57.思い付きの提案
「一日に十回以上も記録する必要がありますか?」
「うーん。どうなんだろうね。それがわからないから記録してるんじゃないかな」
その返答は、要領を得ているのかいないのか。
ようやく金策の目処がつき、聖女の魔術学校生活が少しだけ落ち着いた。
空き教室も借りたので、落ち着く場所もできた。
これで、ようやく学習する基盤がなんとか確保できただろうか。
少々落ち着かないのは、クノンがちょくちょく霊草の様子を見に来ることだ。
昨日も何度もやってきたし、今日も朝早くからやってきていた。
しかも早くも二回目だ。
こんなに頻繁に来るとは思わなかった。
確かに記録係は任せたが、それにしたって来訪が多すぎる。
ナンパしているようでしていない。
そんなクノンの本音に気づいていなければ、聖女の気は休まることはなかっただろう。
――その証拠に、やってきたクノンはまっすぐに霊草シ・シルラを育てている鉢植えに向かっている。
聖女のことなどお構いなしで。
「あまり変化はないだろう?」
言ったのはハンクである。
実は今、教室にはハンクとリーヤ、そしてセイフィもいるのだが。
クノンはそれにも全然構わない。
「正直、朝一で見た時から何も変わってないよ。でも完成までは油断なく見たいし記録もしたいかな。
僕はそもそも、霊草の乾燥粉末は見たことがあるけど霊草そのものは見たことがないから、単純に珍しいのもあるんだよね。ちゃんと見ておきたいんだ」
確かに珍しいものではある。
聖女じゃなければ、こんなにスムーズに栽培することも不可能だっただろう。
現在、霊草シ・シルラの栽培と量産は、まだ誰も成功していないのだから。
「絵では見たことあるけど、実物はこう、なんか……存在感があるよね。聖なる存在感が。霊草って言われるわけだよね」
その存在感はきっと「結界」のそれだと思う。
そしてそれ以前に、クノンはその霊草が見えないはずだが。
「おっと。見えないだろおまえ、って言うのはなしだよ?」
本人がそれを言うのも驚くが。
そんなデリケートな問題には、誰も触れられない。
「実際クノンのその目はどうなっているのですか?」
いや、触れた。
聖女が容赦なく触れた。
いつもの感情の見えない無表情で、触れづらいクノンの視界の謎に切り込んだ。
これが「感情が乏しい」という証だろうか。
だが、この場の全員、不思議に思っているのは確かだ。
クノンはいつも眼帯を巻いていて、杖を付いている。
どう見ても、少なくとも目で周囲を見ている状態にはない。
それなのに、筆記試験を受けることができる。
かなりの速度で本も読める。
見えないと絶対にできない行為の数々は、クノンに対する謎そのものである。
「ふふっ。僕のことが気になる?」
「気になりますね。以前はまるで興味などありませんでしたが」
「君にだけは教えてもいいよ? 僕の秘密を」
「いえ、ここの全員で聞きたいです」
「我儘な子猫ちゃんだ。でも紳士として僕はそれに答えよう」
なんだかよくわからないが、聖女はクノンの扱いが上手くなったようだ。
そしてクノンはいいかげん鉢植えではなく聖女たちの方を向けばいいのに。
口説き文句くらい顔を向けながら言えばいいのに。
「魔力で色がわかるの?」
真っ先に興味を示したのは、リーヤだった。
「遠いと全然だけど、近くならね。手が触れられるほどの距離なら正確にわかるよ。色の識別だから、文字の形や絵も見えるよ」
魔術界全体ではわからないが、リーヤの知識では、その「魔力で色がわかる」という理屈は初耳だ。
しかし、それが本当ならクノンの謎は解決だ。
触れている本は、色の識別で文字がわかる。
ならば絵も見ることができるだろう。
「師匠にも言われたけど、これは僕が渇望していたから身についたものなんだろうってさ。要は魔力の変質化だよ」
魔力の変質化と言われればわかる。
「魔術を使えば使うほど、術者の意思や魔術のイメージに添って魔力の質が変わる、だったね」
習熟した魔力は、徐々にその人の得意な魔術、使える属性に最適な形へ変じる、という理屈である。
最初は使いづらい魔術でも、使い続ければ次第に慣れていくというのも、この理屈からだ、と言われている。
「そう、魔術を使えば使うほど馴染んでいく、ってあの感覚だね。
元々見える君たちには必要ないでしょ? だから僕のように変質した人って今までいなかったんじゃないかな」
それとクノンには、現段階では一瞬だけ見ることができる「鏡眼」があるが、こちらはまだまだ試行段階なので話さない。
いずれ形にして世に発表する時が来るだろうが、それは今ではないことは確かだ。
――あれに関しては、実際にはないものまで見えてしまうという問題もあるので、慎重に扱うべきだろう。
「ところで、リーヤとハンクはなぜここにいるの? 僕とレイエス嬢とセイフィ先生との三角関係を邪魔しに来たの?」
「あ、私も入るんだ……」
小さく呟いたセイフィはともかく。
「何から始めていいのかわからなくてね。レイエスとセイフィ先生に相談しに来たんだ」
「同じく。僕もハンクさんと一緒で、何をすればいいのかわかんなくて」
「こちらのお二人は私のお金の相談に付き合ってきましたから。今度は私が彼らの相談に乗る番です」
クノンを除いて、同期たちは早い段階から交流が始まっていたようだ。
「そうなんだ。君たちが女性なら僕も全力で手伝ったかもしれないね。残念だね」
同期二人は、別にクノンには期待していないので、それはいいのだが。
「でも同期だから少しだけ協力しようかな」
どっちだ。
いや、単純にありがたいと思えばいいのか。
なんだかんだ言ってもクノンは優秀だし、そもそも彼をまともに相手しても疲れそうだから。
「魔術師の実験って、大きく三つに分けられるそうだよ。
一、魔術を動力に使う何か。二、魔術自体への細工。三、魔術を使用した何かの解明。
まあ複合も多いみたいだけど……この三つの分類に当てはめるなら、今レイエス嬢がやっているのは、三になる」
三、魔術を使用した何かの解明。
例に当てはめるなら、「霊草シ・シルラの栽培方法の解明」ということになる。
「ハンクは火で、リーヤは風だよね? 試したいことはないの?」
「これと言って思いつかないんだ。私は長年ここの教師の助手をしてきたから、思いついたのはだいたい試してきたし」
「僕はそもそも特級クラス希望じゃなかったから、急に単位だ実験だって言われても戸惑うばかりで……」
「――じゃあ僕の思い付きを手伝ってよ。何かやってる内に何か閃いたら、その時こそ自分の実験をすればいい。
報酬は出すよ。何もしないで無駄な時間を過ごすよりマシだと思うけど」
自分の思い付きを手伝え。
若干怖い提案だが、何もしないよりマシだというのはよくわかる。
「何をさせる気だ?」
「ハンクには僕の食べるベーコンを作ってほしい」
「ベーコン!?」
貴重な魔術師を捕まえて、まさかの食肉加工の手伝いだった。
「リーヤには飛んでもらいたいなぁ」
「と、とぶ?」
「うん。そう。空に浮く魔術はあるけど、空を飛ぶ魔術って公表されてないんでしょ? 僕も前に失敗してそれっきりだから、心残りを解消したくてね」
飛ぶ魔術師はいる。
だが、その使用方法などは公表されていない。
クノンの提案がもし実現するなら、単位取得に繋がるくらいの功績にはなるだろう。
その上報酬も貰えるなら、リーヤにとっては悪い話ではない。
「レイエス嬢は今日こそ僕とランチしようよ」
「全員一緒なら構いませんよ」
「お、やった。約束だよ。セイフィ先生もランチに行きましょう」
「はいはい」
セイフィは返事をしながら思っていた。
――もう自分が付いている理由はないかな、と。
今年の特級クラスの生徒も優秀だ。
教師の手伝いは、もう必要なさそうである。
特に、一番心配だったクノン・グリオンだ。
目のことも性格も心配でしかなかったが――まごうことなく
あの男の弟子ではあるが。
嫌でも
個人的に少々思うこともあるが、しかしそれでも、優秀なことには変わりない。
きっと彼が、今年の特級クラスを引っ張っていく存在になるだろう。