56.聖女固有の魔術
「……思ったより、本当に……」
「ん? 何か?」
「いえ、なんでもないです」
聖女が決断したので、早速本題に入ることとなった。
まず、セイフィと同期たちには教室から出て行ってもらい、クノンと聖女は二人きりになる。
聖女からすれば、クノンと二人きりの空間など、絶対に避けたかったシチュエーションである。
だが、今は仕方ない。
完全に身も心も身構えている状態で――しかしクノンは予想に反して、すぐに魔道具の構想を話し始めた。
時間が惜しいとばかりに。
「という感じだよ。どう? 惚れ直した?」
「最初から惚れてません」
途中途中で入る軽口さえなければ、と思わずにはいられない。
これさえなければ、普通に優秀な同期として、歓迎できたはずなのに。
――聖女は完全に身も心も身構えていたが、それでも、クノンの新しい魔道具に関する話には、すぐに引き込まれてしまった。
本当に、思った以上に、すごい子だった。
今名前が売れているゼオンリー・フィンロールの弟子だということが、決して嘘でも伊達でもないとすぐにわかった。
「――シ・シルラを……なるほど」
借りたペンと紙にメモを取りつつ、クノンに質問をしては聖女は理解を深めていく。
「これで概要は全部だけど。だいたいわかったかな?」
「はい。聖地でしか育たない霊草シ・シルラを、私の浄化魔術で人工的に育てようという話ですね」
「そう。僕は聖地の解明がしたくて調べてみたことがるんだ。
聖地は土地が強い聖魔力と浄化の力を帯びているらしいから、もしかしたら君なら栽培できるんじゃないかと思って」
「理屈はわかりますが、できるかどうか……」
「だから君次第なんだよ。この話って僕ができることはあまりないから。
もしこれができたら、この研究と成果にはそれなりの価値が出てくると思う。もちろんシ・シルラ自身の価値も高いしね。栽培と量産の体制が整えば――」
「月収百五十万ネッカも夢じゃない、と」
「うん」
「そして、シ・シルラを傷薬にするんですよね? その傷薬がまったく新しい製品で……これが魔道具であり、更に価値を高めるんですね」
「そうだよ。惚れ直した?」
「最初から惚れてません」
クノンの案は、霊草シ・シルラを原料にして、薬を作るという話だ。
霊草を原料にしている時点で、出来上がる薬はいわゆる
クノンの案では、これをまったく新しい傷薬として生成するという。
それに関してはまだ秘密だそうだ。
「惚れ直した」とでも応えれば教えてくれるかもしれないが、聖女のプライドに懸けて、絶対に言わない。
「霊草単体より、加工した方が量が増えるし価値も高くなると思う。月に五本くらい作れれば、それくらいの利益になるんじゃないかな。あくまでも僕の計算だけどね」
望外である。
たった五本の草を育てるだけで、月に百五十万ネッカ以上の価値を生み出す。
――この時点で、レイエスには勝算があった。
元々、仕事で聖地巡りはよくしていた。
馴染み深い場所なのである。
聖地の状態や雰囲気、聖なる魔力でもって土地が浄化されているそれを、よく知っている。
あれなら。
あの土地、あの空間なら、己の力で造れる。
永続的には難しいが、一時的に栽培場所を確立するくらいなら、問題はないはずだ。
何より傷薬を作るという、人に尽くす崇高な目的もある。
これならば教義に反するということもあるまい。
「早速やってみます」
「あ、待った」
教室を出て行こうとする聖女を、クノンは呼び止める。
「できれば、ここの近くに教室を借りてそこで育ててくれない? 育ててる経過を見て記録したいから。もちろん頑張る君の姿も記録したいな」
「気が進みません」
「そう言わないで。これ、きっと学校側に提出したら単位になると思うから。お金稼ぎは別として、シ・シルラを育てるのは立派な実験だし、魔術師の功績だよ。
二人の共同実験ということにしようよ。君は育てればいい、記録は僕がするから。あと暇な時はランチを一緒にしたいな」
そうだった、と聖女は思った。ランチはともかく。
この二週間、単位のことなど考える間もなかった。
金策に走り回るだけで消化してしまった。
まだ単位についてもよくわかっていないが、一年間に十点を得ないと、強制的に特級クラスから二級クラスに移動させられるという話だ。
仕方なく移動するのと、強制的に移動させられるのでは、結果は同じでも意味が違う。
一年間に単位十点。
だいたい一ヵ月で一点ずつ取っていく計算になる。
そう考えると、あまり余裕はないのかもしれない。
「誰かとの共同実験というのは認められているのですか?」
「うん。確認してある」
「……仕方ありませんね」
「やった! 一緒にランチだ!」
「ランチへの返事ではありません」
単位の話を出されたら、聖女の個人的な理由では断りづらい。
この話の発案はクノンである。
そして、霊草シ・シルラを育てたところで、更に先の魔道具への加工については、その時また聞く必要がある。
要は、クノンの存在はまだ必要ということだ。
切り捨てるには早い。
……まあ、無駄な軽口さえ我慢すれば、切り捨てる必要もなさそうな気もしてきたし。
性格はともかく、クノンの実力も知識も発想も、非凡なものを感じる。彼との付き合いはきっと得るものが多い。
「では早速始めましょう」
「うん。僕はシ・シルラの種を調達するから、レイエス嬢は空き教室を借りる申請をしておいて。申請は――」
クノンが立ち上がり、出入り口のドアを開ける。
そこにはセイフィとハンクとリーヤがいた。
追い出されたけど、それでもなかなか離れづらく、話が終わるまで待っていたのだ。
一応、クノンがどういう人間なのかまだよくわからないので、聖女と二人きりにするとまずいと考えていたりもしたのだが。
だが、そんな杞憂はともかく。
「セイフィ先生、レイエス嬢が空き教室の申請をしますので、手伝ってください。ハンクとリーヤも、暇ならちょっと手伝って」
元は聖女の金策の話だった。
しかし、よりやる気で乗り気になっていたのは、クノンの方だった。
「す、すごい……!」
「これが、聖女固有の……!」
聖女固有の魔術、「結界」。
ハンクとリーヤに用意してもらった鉢植え五つを、聖女の張った「結界」が覆う。
透明だが、きらりと光を反射するドーム状の膜が見える。
具体的にどうとは言えないが、神聖なる力を感じる。
それも、非常に強力な。
範囲は狭く小さいのに、それでも、そう簡単には壊せないほどの圧倒的な力だ。
悪しき存在を遮断する力を持つ、聖女だけが使える最強の防御魔術と言われている。
聖女とは、これが使えるから、聖女なのだ。
「……」
聖女の「結界」を見る機会など、早々ない。
騒ぐ同期たち、内心驚きながらも冷静に観察しているセイフィをよそに、クノンはひたすら記録していた。
もちろん、気持ちは同じである。
クノンも驚いているし、興奮もしている。
だがそれ以上に、今は見えるものも感じるものも、忘れないように書き記す方を優先しているだけだ。
終わったら存分に興奮する予定である。
「どうですか? 人工的に聖地を作ってみたのですが」
一人静かに書き殴るクノンに、聖女は声を掛けた。
そんなクノンは、書き殴りながら興奮して答えた。
「すばらしいね! これを見たら色々試したいことをたくさん思いついたよ! またなんか頼んでいい!? いいよね!? パフェ奢るから! 三杯奢るから! お願いお願い!」
「……」
このテンションは覚えている。
入学試験の時の、あのクノンである。
――ああそうか、と聖女はようやく信じることができた。
誘っているけどナンパじゃない。
あの時のクノンの言葉は本当だったのだ、と。
「パフェ三杯では安すぎませんか?」
「えー? 僕もお小遣いが厳しいんだけどなぁ」
「今とても稼いでいるでしょう」
「知らないの? 魔術師って結構お金が掛かるんだよ」
――クノン・グリオンとはこういう人だ。
そうわかってしまえば、もう警戒の必要もない。
翌日。
霊草シ・シルラの種は無事芽吹き、すくすくと育ち出した。