44.家探しから始まる魔術都市ディラシック生活
「――いやあ、参りましたねぇ」
「――参ったねぇ」
細々したトラブルはあったが、大きく予定を狂わせるほどではなかった。
旅はとても順調に進み、約一ヵ月の旅程を経て、無事魔術都市ディラシックに到着した。
魔術都市と言われるだけあって、魔術師が多く住み、魔術に関する店が多いことでも知られている。
クノンにとっては、まさに夢のような場所である。
すぐにでも街を探索してみたいところだが、手続きが先である。
到着したその日は、休息も兼ねて早めにホテルに入って一泊。
翌日の朝、魔術学校の受付へ向かう。
魔術学校の敷地の外にある人気の少ない建物で、窓口の受付嬢に手続きを申し込む。
と――
「申し訳ありませんが、寮はもう空いてません」
受付嬢に入学と入寮について問い合わせたところで、返ってきた返事がこれである。
この旅最大のトラブルは、最後の最後に訪れたのだった。
入学に関しては、父親が手続きを終えている。
軽く確認をしただけで、クノンは無事、入学試験を受ける許可が出た。無事に受験票を受け取ることができた。
試験は、だいたい一ヵ月後になる。
そして問題の寮である。
クノンが魔術学校に行くかどうかわからなかったので、父親はこちらの手続きはできなかったのだ。
いざ行くと判明した時は、すでに先着順で埋まってしまっていたようだ。
「なんとかならないか」とリンコが食い下がるが、「さすがにどうにもならない」と言い切られた。
リンコはこっそりとネッカ……受付嬢に賄賂を渡したが、「賄賂は万単位からです。百ネッカ握らされてもどうにもなりません。そもそも賄賂って考えが気に入りません」と少々怒らせてしまい、二人で追い出されるように表に逃げてきた。
そして、現在。
「参りましたねぇ」
「参ったねぇ」
リンコとクノンは途方に暮れていた。
「百ネッカ返してくれませんでしたね」
「僕もあんまり賄賂を推奨する気はないけど、ほんとに百ネッカでどうにかなると思った?」
「最初は無茶な要求をするのが交渉の基本でしょう?」
なるほど。
百ネッカから始まる賄賂の釣り上げ交渉を行おうとした、と。
外聞の良くない話を長々しようとする辺りから間違っていると思うが。
しかも場所は相手の職場だし。
まあ、どうせ失敗したので、それはもういいだろう。
変に教えたら、次の賄賂交渉は成功率が上がってしまいそうなので、そういう意味でもこのままでいいだろう。
一応貴族の教育では、賄賂も有効な交渉術とは習っている。リンコがやろうとしたことも貴族の使用人として、そこまで間違ってはいないのだ。
だが、それはあくまでもヒューグリア王国での話だ。
きっと魔術都市では、賄賂や袖の下、お偉いさん同士の癒着等々の印象も違うのだろう。
「寮に入れなかった場合も想定して、多めにお金を預かってるよね?」
「はい。ホテルに逗留しても一ヵ月は暮らせます」
その間に、実家に連絡を入れて、追加の資金を送ってもらうなりどうするか指示を受けるなり、やりようはある。
ただ、クノンとしては。
「数年はここにいて魔術学校に通うんだから、長期滞在するための家を借りたりできないかな?」
クノンとしては、高くつくホテル暮らしではなく、年単位で住める場所を確保したい。
ここで生活する以上、これから物は増えるだろう。
魔術関連の書類や本もどんどん増えるだろうし、魔道具開発にも着手するかもしれない。もちろん魔術の実験も研究もたくさんするはずだ。
生活にはお金が掛かる。
魔術に関することで多少浪費もするだろう。
だが、それらは無駄な出費ではない。
ホテルは快適かもしれないが、でもこれはきっと無駄な出費の部類になるだろう。
節約できるところは節約するべきだ。
「リンコは料理できるんだよね?」
「はい。将来は婚約者と、合法的な料理を提供するお店を持つつもりですから」
「家事もできるよね?」
「はい。いつでもお嫁さんに行く準備はできています」
「じゃあ小さな家でも借りて、一緒に住もうよ」
「えっ。……まさかプロポーズ……?」
「僕と君に婚約者がいなければそう受け取ってくれて構わない。僕と君に婚約者がいなければ結婚しよう。僕と君に婚約者がいなければ一生大切にするよ」
「はいっ! 私とクノン様に婚約者がいなければ喜んで!」
ふっふっふっ、と笑い合う二人。
「――あのう」
そして、それを見る気もなく見てしまった受付嬢の顔は少々渋い。
「一応、寮に入れなかった入学希望者には、こういうものを配ってまして……あとさっきの百ネッカ返しますね。これで賄賂を受け取った扱いされて上司に怒られたら堪らないんで」
どうやら通達事項があったようで、さっきクノンたちを追い出した受付嬢が追ってきていたらしい。
彼女は、二人が妙な会話を始めたから声が掛けづらく、少し待っていたのだ。
まあ、仲が良さそうで結構なことだが。
「紙?」
見えないクノンの代わりに受け取ったリンコは、受付嬢に渡された書面に軽く目を通す。
「ええ。不動産屋の情報ですね。――毎年寮に入れない方が出るんですか?」
「偏りが激しいです。世界的に魔術師自体が少ないので、入学希望者がいない年もありますので。
それと、入学した生徒がなかなか卒業しないというケースもあって、寮の空きに関してはかなり不安定なんです。今年は卒業生が少ないせいですね」
なるほど。
今年は入学希望者の過多というより、むしろ卒業しない生徒が寮を埋めているパターンのようだ。
「そこのリストにある不動産屋なら、魔術師見習い用の優良な物件を紹介してくれますよ」
「ご丁寧にありがとうございます。先程は無礼にも賄賂を贈ろうとしてすみませんでした」
「……賄賂は万単位からですよ。百ネッカ渡されてもチップにしか思えませんから」
「肝に命じておきます」
受付嬢はやれやれと溜息を吐き、建物の中に戻っていった。
「ではクノン様、お互い婚約者がいなければ二人の愛の巣を探しに行きましょうか」
「うん。二人きりの生活の始まりだね」
そこは婚約者云々がなくともその通りである。
魔術学校の入学試験は、約一ヵ月後。
それまでの間、クノンは試験に向けて準備をしなければならない。
一応、試験に落ちても魔術師であるなら、それなりに身の振り方もあるらしいが、クノンは試験に受かることしか考えていない。
不老不死の魔女グレイ・ルーヴァを筆頭に、気になる魔術師の名前がたくさんある。
そしてその人たちは、魔術学校の教師が大半である。
魔術学校にいる教師たちは、それぞれの分野で世界トップクラスの知識と経験、そして魔術の才を持つ。
ここまで来ておいて、会わずにいられるわけがない。
だからクノンは必ず試験を通るつもりだ。
寮の申し込みには遅れたが、紹介された不動産での家探しは早かった。
例年、入学希望者は二週間前から増えていくそうだ。
一ヵ月前に到着したクノンは、寮はあぶれたが、家はゆっくり選ぶことができた。
二人暮らしには少し広めの家を借りて、リンコとの生活が始まった。
生活に慣れるので一週間。
食文化になれるのに二週間。
クノンが魔術関係のお店を渡り歩くので三週間と五日。
残りの丸二日で、クノンはまだまだ出していなかった本気を出して、試験勉強にスパートをかけた。
そうして完璧な仕上がりとなったクノンは、いよいよ魔術学校の入学試験へと臨む――