42.聖教国の魔術専門店にて
旅が始まって三週間。
クノンたちは特に予定が狂うこともなく、聖教国の首都にいた。
だいたい出発から三週間後の到着を目安としていたので、予定通りである。
ここから一週間を掛けて聖教国を抜け、隣の魔術都市ディラシックへ渡ることになる。
聖教国セントランス。
名前の通り宗教色の強い国で、国民全員が輝女神キラレイラの信者であると言われている。
が、それも昔の話で、今では割と普通の都会という感じだ。
かつては国民全員がローブをまとって輝女神の名の下に生活していたらしいが、時代の流れがそういう古い習慣を排していったのだとか。
「……ううん」
クノンは悩んでいた。
手には、世界的に有名な水の魔術師サトリが書いた、新説を綴った本がある。
さすがは魔術都市のすぐ隣にある国、魔術関連の道具や本が多く流れてくるようだ。
――クノンは今、セントランス首都にある、大きな店構えの魔術専門店にいた。
セントランスの首都に着いたのは、昨日の夜である。
ホテルで一晩を過ごし、翌日。
リンコを連れて首都を歩いている最中、この店に立ち寄った。
今日一日は休息日である。
しっかり旅の疲れを癒やし、明日の朝早くにディラシック行きの馬車に乗る予定である。
「リンコ、財布の中身は?」
「何度聞かれても、その本の値段と丁度ですよ。ちなみに買ったらホテル代も払えない上に馬車に乗るお金もありませんよ」
「そう。じゃあ買っていい?」
「絶対ダメです。買った瞬間から路頭に迷う羽目になりますよ」
――魔術に関する本は高い。
そもそも、それを必要とするのは、だいたいにおいて魔術師のみに限られる。
魔術の使えない一般人にはまるで必要のないものであり、魔術師以外には無用の長物なのだ。
それゆえに、ほとんどが一点物ばかり。
量産品じゃないだけに、一個ずつの単価が高い。本となるととんでもなく値が張る。
それも、名の売れている魔術師の書いた本ともなれば、猶更のことである。
「高い買い物だからゆっくり考えればいいと思うけど、私も買わない方がいいと思うよ」
売れた方が得をするはずの魔術専門店の女性店員も、買わないことを勧めてくる。
「それより君、魔技師に興味は? 最近売れてるゼオンリーの本の中古が入ったんだ。そのサトリの本よりは安いし、お勧めだよ」
「そっちはいいです」
――最近、稀代の天才魔技師ゼオンリーの本が魔術師及び魔技師業界を震撼させているそうだ。
だがクノンは、読むまでもなく本の内容を熟知しているので見向きもしない。
見えないし。
そもそも師匠に貰っているから持っているし。
「――これは何に使うんですか?」
「――それ? それは『
簡単に言うと、片方の箱に入れた物体をもう片方の箱に瞬間移動させるって魔道具だね」
サトリの本を手に悩むクノンの横で、リンコと女性店員が話している。
「え、すごくないですか? これ私が入ってもいいですか?」
「入れるものなら入っていいけど。でも箱は指一本くらいしか入らない大きさだけど、どうやって入るの?」
「それが問題なんですよね。無理したら入れませんかね?」
「相当ぎゅってならないと無理ね。……いやはっきり言うわ。無理よ絶対」
「それは残念。身体を小さくする魔道具はないんですか?」
「今のところないかな」
「そうですか……試してみたいなぁ。クノン様どうです? 入ってみます?」
「――うん」
クノンはサトリの本を棚に戻した。
水の魔術師サトリは、これから行く魔術学校の教員でもあるという。
ならば、ここでの本の購入は諦めて、学校で本人に話を聞けばいいだろう。何なら学校にあるという図書館にも置いてあるかもしれないし。
どうしても欲しかったが、仕方ない。
クノンのお小遣いでも足りず、旅の路銀でもぎりぎりでは、さすがに無理だ。ここに祖父がいたらいいのにと思わずにはいられない。
それより、だ。
「ちょっと試してみてもいいですか?」
クノンはリンコと女性店員の話も気になっていた。
「ん? え? いいけど、入れないよね?」
さっき返事はしたが、入る気はない。
「――リンコ、箱を」
差し出したクノンの手に、小さな金属の箱が乗る。
「はいどうぞ」
「え? え?」
箱は二つで一つ。
一つはクノンが持ち、もう一つは女性店員が持つ。
「ふうん……」
クノンは魔力で探り、箱の構造を解析する。
乱反射魔法陣をいくつも重ねている造りである。
一度に何度も魔法陣を通過させることで、かなり強引に空間を捻じ曲げて、もう一つの箱に繋げるのだ。
随分乱暴で雑な仕事である。
有効距離もかなり短いだろうし、強度も微妙だ。
恐らく十回も使えば壊れてしまうだろう。
箱の大きさも小さいし、利用価値が見つからない。
魔道具としては欠陥品もいいところだ。
だが、こういうのは着眼点が大事なのだ。実用的なものは、こういうものから発展した先にあるから。
「興味深いなぁ……あ、開けていいですよ」
「は? あ、はい――うわぁ!!」
クノンの箱から、女性店員の箱へと空間移動した中身は、箱に納まるほど小さな「水猫」である。
馬車の移動中、暇にかまけてリンコの注文通りやっていたらできた代物だ。
「可愛い! ちっちゃい! 可愛い!」
やはり猫は受けがいい。
「やっぱり君も魔術師なんだね」
女性店員は、クノンが魔術関係の本を欲しがる辺りそうだとは思っていたらしいが、客の都合に立ち入るのもアレなので何も言わなかった。
だが、魔術を見てしまった以上、もうバレたも同然である。
「もしかして、これからディラシックの魔術学校へ?」
「そうです。向かう途中です」
「そうなんだ。この時期……もうちょっと先か。毎年、君みたいな魔術師見習いが店に来るんだよね。旅の途中に寄ってみた、ってね」
「あなたも魔術師ですか?」
「いいえ。魔術は好きだけど、才能がなくてね。でもどうしても魔術師に関わる仕事がしたかったから、今ここにいるの。まあいわゆる魔術師マニアね」
それより、とマニア女性店員やや強引に話を変えた。
「今年、聖教国の聖女が魔術学校へ入学するらしいよ」
「聖女?」
初耳である。
聖女の存在は自体は知っているが、この時代に現存しているとは思わなかった。
「去年は帝国の狂炎王子に、新王国の雷光も入学したんだって。かなりの粒ぞろいよ。
そこに君も入るわけだ。うんうん、楽しみ楽しみ」
指先サイズの猫を人差し指に乗せているマニア女性店員は、マニア好みの少年を見つけて喜んでいる。
「こんな小さな猫を造れる魔術師なんて、初めて見た。君、絶対有名になるよ。将来入学前の君に会ったことを自慢しちゃう」
そう言われても、今クノンの頭の中は違うことが占めている。
「聖女、狂炎王子、雷光……ふうん」
楽しみ楽しみ。
それはクノンも同じである。
一度会ったきりになった王宮魔術師を除いて、ジェニエとゼオンリー以外の魔術師とは、まだちゃんと付き合ったことがない。
きっとクノンからは出ない発想を出し、持っていない技術を身に付けているはず。
属性が違うから応用が利かない?
それは試してみないとわからない。
まだ見ぬ学友に思いを馳せる。
それだけでももう楽しい。
「ところで君さ」
「はい?」
「君の属性ってなんなの?」
どうやら「水猫」が水でできていることがわからないらしい。
「ヒントは火に近づけると蒸発する、かな。答えがわかるといいね」
「――あ、水ね」
粋にヒントだけ出してみたクノンはリンコを連れて、颯爽と店を出た。
マニア女性店員の即答は、聞こえていないことにした。