<< 前へ次へ >>  更新
42/51

41.別れと出会い





 祖父に軽く乗馬を習ったり、祖父に「こっそりカジノとか買ってやろうか? 子供用だから安心だ」と財力を見せつけられたり、祖父に「構ってくれないと老いが加速して死ぬ」と駄々をこねられたりと、実家滞在中のクノンはだいたい祖父と一緒に過ごした。


 数年くらいは本当に会えなくなりそうなので、クノンはできるだけ祖父に付き合った。


 まだお迎えが来るには早いので大丈夫だとは思うが、何しろご高齢である。

 いつ何があるか、誰にもわからない。


 ……と思ってできるだけ付き合っていたが、さすがに夜までは無理だ。


 祖父には「超軟体水球」に横になってもらってもらった。

 すぐ寝た。

 眠りに誘う香り付き水ベッドは、寝心地が良すぎて人をダメにすると(ゼオンリーに)評判である。


 そんな滞在二日間は、あっと言う間に消化された。





「クノン様、時間です」


 別れたくないとぐずる祖父と朝食を取り、部屋に戻って出立の準備をしていると、イコがやってきた。


 この二日間、イコとは一度も会えなかった。

 次のクノンの専属侍女となる妹に、仕事の引継ぎをしていたからだ。


 ここで会えた。

 つまり、ここでお別れということだ。


「イコ。今までありがとう」


「帰ってきたらまた会えますけどね。私は結婚しても王都の別邸で使用人を続けますので」


「うん。今度会うのは数年後になると思う。またね」


 二人は自然と抱き合った。


 クノンにとっては、自分の人生の半分以上を支えてくれた人だ。

 生き方を教えてくれた人だ。

 生きる目標をくれて、前を向かせてくれた人だ。


 決してただの使用人なんかじゃなかった。


 抱いている感情をなんと呼べばいいのかはわからない。

 感謝だけでは足りないし、愛情という一言で済むほど大味でもない。


 でも、わからなくてもいいのだろう。


 今クノンが抱いている気持ちと、イコが抱いている気持ち。

 きっと一緒で、言葉にしなくても伝わっていると信じることができるから。


「――じゃあ行きましょうか」


「――うん」


 涙はない。

 自分たちの関係に、そういうのは似合わない。


 だから、前を行くクノンの後ろで荷物を持つイコが鼻をすすっているのなんて聞こえないし、クノンは決してハンカチを挟んだ眼帯を取らなかった。





「本当に行くのか? 行かなくてもいいんだぞ? ここでおじい様と一緒に暮らそう」


 さめざめ泣く祖父に曖昧な笑顔で別れを告げ、クノンは馬車に乗り込んだ。


「それでは! 行ってきます!」


 イコからバトンを渡された妹リンコも乗り込む。


「本当に行くのか!? おじい様はこんなにも――」


「行っていいよ」


 クノンが御者に声を掛けると、「水球(ア・オリ)」で車輪を保護された馬車はスムーズに動き出した。


「よかったんですか? エドリュー様、まだなんか言ってますけど」


「真面目に付き合ってたら長いから仕方ないよ」


 旅程はだいたい決まっている。

 天候で左右されることもあるだけに、進める時は進まなければならない。


 祖父の狙いは、諸々の遅延による滞在日数の引き延ばしなので、これでいいのだ。


「リンコ、これからよろしくね」


「はいこちらこそ! お金のためにがんばります!」


 実に頼もしい言葉だ。

 まだ情が育つほどの馴染みはないし、グリオン家当主ではないので忠誠心を期待するのも少々違う。


 クノンとしては、即物的なところがわかりやすくていい。


 そう、まだ知らない者同士だ。

 急ぐことはないが、ちゃんと知り合っていかなければならない。


「引継ぎはちゃんと終わったの?」


「はい! クノン様が疲れていると思ったら絶対休ませろって言われました! これが鉄則だって言われました!」


「そう……」


 きっとイコのように、魔術やら読書やら書類やらに夢中になっていたら、休むようにあの手この手で邪魔してくるのだろう。


 今度の侍女も、なかなか手強そうだ。


「リンコの婚約者は大丈夫? 数年は待つことになるけど」


「ビッグマネーを掴むまでは我慢しようって相談して決めました! クノン様は知ってます? この魔術学校行きって、月々のお給料のほかに、完遂の暁にはそれまでの給料分の追加報酬が出るんです」


 追加報酬。

 初耳である。


「つまり、最終的には提示された給料の倍額が手に入る?」


「はい! ビッグマネーです! 子供の面倒を数年見るだけで大金が! こんなにおいしい仕事はないと飛びついた次第です!」


 気持ちがいいくらい現金だ。


「お店をやりたいんです。だから資金はどれだけあってもいいですからね! この旅が終わったらすぐお店を構えて、夫婦でやっていくつもりなんです!」


「そうなんだ。夢があるっていいね。なんのお店をするの? 人を闇から闇に葬る裏家業?」


「それとも迷ったんですけどねぇ。でも結局、私も婚約者も食べるのが好きだから、料理のお店にしました。どっちも似たようなものだし、だったら合法のこっちでもいいかなって」


「そうだね。食事で人を生かすか闇で人を殺すかって違いくらいしかないしね」





 出会いがあれば別れもある。


 これからはイコがいないという不安は、ある。

 だが、新しい生活が始まる以上、誰かとの別れは避けることができないことだ。


 家族とも別れた。

 ミリカやゼオンリーとも別れた。

 もう随分前のことになるが、ジェニエとフラーラ男爵夫人とも別れた。


 イコとも別れた。


 そしてきっと、これからはリンコのように、新たな出会いがたくさんあるのだろう。


 ――寂しいのは今だけ。 


 道中、クノンはこれから何年か一緒にいることになるリンコと、親睦を深めるためにいろんな話をした。


 寂しくはあったが、でも、悪くない時間だった。





<< 前へ次へ >>目次  更新