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33.苦労と苦心と行き詰まりと、そして





「……うーん」


 検証をする。

 ダメだった方法を記載する。


 検証をする。

 ダメだった方法を記載する。


 ひたすらその繰り返しを続けるクノンの部屋のテーブルには、失敗を書き記した書類が積み上がっていた。


 元々見えないクノンには、光源は必要ない。

 昼だろうが夜だろうが問題なく、魔術で試行し、魔力で文字を読み書く。


 時間を忘れて没頭し、疲れたら「超軟体水球」の水ベッドに飛び込む。冬のベッドは寒いのでもっぱらこっちである。


 その繰り返しだ。


 一日一回侍女が食料を持って様子を見に来る以外、外界との関わりはない。

 食事だって空腹になったら食べるだけなので、朝も夜も関係ない。


 クノンは日常の全てを放棄して、己が野望である目玉造りに没頭していた。


「……ダメかぁ」


 ふと、クノンは考えるのをやめ、持っていたペンをテーブルに投げた。


 試行回数はすでに百を余裕で越えている。

 可能性のありそうなものから、順番順番に試して来たが、一向に手応えがない。


「いてて」


 どれくらいの時間を椅子に座り、書き物に集中していただろうか。

 身体中が凝り固まっていて、動かすだけでギシギシきしむ。


「――さて!」


 クノンは気合いを入れて、両頬を叩いた。


 行き詰った。

 疲れた。


 だから息抜きだ。


 クノンは久しぶりに部屋から出て、本館へと向かった。


 どうやら夜だったようだ。


「お、おう。おまえか。もう寝るところなんだが……」


 本館にある兄イクシオの部屋を強襲したら、彼はナイトキャップをかぶっていた。

 これから寝るところだったようだ。


 なんとなく冬の夜っぽい気温だとは思ったが、やはり夜だったようだ。


 だが、それは今はいいのだ。


「兄上、サウナ行こう」


「は? この時間に? この時間にか? 俺明日も学校なんだぞ?」


「息抜きしたい。行こう」


 平然と自分勝手なことを言う弟は、やや顔色が悪い。

 そしていつものよくわからない冗談がない。


 疲れているのだろう。

 息抜きしたいというのも、きっと本当のことなのだろう。


 ――イクシオは、クノンが何をしているかは聞いている。


 きっと相当な困難であり、今は行き詰ったのだろう。

 勉強に疲れたイクシオが、息抜きに娯楽小説に手を伸ばしたり木剣を握ってみたりする感覚と、きっと同じだ。


「……父上には声を掛けたか?」


「え? 掛けないとダメ?」


 いつだったか本で読んだ知識から、試しにサウナというものを即席でやってみたら、意外とよかったのでたまにやるようになったのだ。


 最初はあくまでも魔術の試行でしかなかったのだが……


 こういう偶然の産物も嬉しいものである。


「俺より父上の方がサウナ気に入ってるんだぞ。誘わなかったら文句言われるのは俺なんだからな。

 ……まあいい。おまえ先に風呂場に行って準備しとけ。俺は父上を連れてくる。あ、静かにな。母上にバレたら俺が文句言われる」


 どう転んでも文句言われるのは兄になる。

 なかなか理不尽だが、もうその辺は諦めているのでいい。


 それより、滅多に家族に頼らない弟が来たのだ。

 兄として、サウナくらいいくらでも付き合う所存である。


 こうして、子供はもう寝るような時間に、風呂場を水蒸気で満たした即席サウナで男三人は汗を流した。


 ついでに風呂にも入った。

 兄は眠いばかりだが、父親はこの後のエールが楽しみで仕方ない。


 ――クノンが離れにこもって、約三週間目のことだった。


 リフレッシュしたクノンは、部屋に戻って寝た。熟睡だった。





「……ダメだなぁ」


 試行は続いている。

 やってもやっても成果は出ないが、やらない理由はないので続けるのみだ。


 だが、ふと、こうして集中力が途切れることがある。

 頭が考えることを拒否し、何もかも投げ出して寝てしまいたくなる。


 ずっと行き詰まっているのだから仕方ない。

 進んでいる実感がないのだ。だから余計に追い込まれている気がしてくる。


「んん~!」


 椅子から立ち上がり、大きく伸びをする。腰がゴキゴキ鳴って驚いた。随分長いこと同じ姿勢でいたようだ。


「……ちょっと休憩するか」


 ゼオンリーが言っていた。


 行き詰まったら距離を取れ、と。

 距離を置き、冷静になり、少し離れた場所から問題を見ろ、と。


 あまりにそれしか見ていないと、近寄りすぎて周囲が見えない。

 だから、もしどうにもならない問題にぶち当たったと思ったなら、一度頭を空っぽにしてそれからまたやってみろ、と。


 ゼオンリーの場合は仮眠がそれに当たったようだが、クノンは――これと言ったものは決まっていない。


「サウナ……って気分じゃないなぁ」


 そう言いながら部屋を出て、本館へ向かい。


 結局サウナになった。


「――かーっ! あーっ!」


 母ティナリザに捕まったから。


 少し前に、家族の男だけでサウナを楽しんだことがバレていた。

 だから待ち構えていたようだ。


 夕方、クノンが本館にやってくると、クノンを見かけた使用人が母親に教えたのである。


 そして「私はまだサウナを経験してないのに」と泣かれたので、たまたま今日は早く帰ってきたという父親と一緒に、家族三人でサウナである。なお兄はまだ帰ってきていなかった。


 そして、エールだ。


 いつもは貴族の淑女然とした上品な母親の呑みっぷりは、父親よりも凛々しく雄々しかった。


 クノンは見えないが、裸にタオルを巻いただけのあられもない格好で、片手に大ジョッキを持ち、もう片方は腰に当て、ごっきゅごっきゅと喉を鳴らして結構な量のエールを呑み干す母親の姿は、誰よりも男らしかった。


 汗を掻いて失った水分を補うように、冷えたエールが沁みる、そうだ。


「これだわ! もうワインなんていらないわ! これさえあればいいわ!」


 かつてない初めての体験と興奮に、母親は大はしゃぎである。

 勧めた父親が引くほどだ。

「でも愛してるよ」と言っている。

「でも」がどこに掛かっているかはわからない。


 ――クノンが離れにこもって、約二ヵ月目のことだった。


 自分で出した梨ジュース風の水で水分を補ったクノンは、部屋に戻って寝た。熟睡だった。





「――っ!」


 がたん、と。

 急に立ち上がったクノンは、椅子を倒してしまった。


 だが、今はそれどころではない。


「来た! これか!」


 今の感覚を逃がしてはならない。

 今の試行を忘れてはならない。


 ――今、確かに、一瞬だけ何かが見えた。


 魔力で見る色ではなく、もっと明確で詳細ではっきりとした、何かが。


 何か。

 本の絵で見たことがあるものが、たくさん見えた。

 色しか見えない己の部屋に、たくさんの情報が重なって見えた。


 忘れてなるものか。

 今の感覚、絶対に忘れてなるものか。


 頭の中では、今不意に見えたものを整理しつつ、手は別の生き物のように素早く動いている。


 今の試行を書き留めているのだ。


 やっと掴んだ手掛かりである。

 何ヵ月も足踏みしていた中でようやく掴んだ手掛かりである。


 こういうものは、一つの足掛かりさえ見つかれば、一気に物事が進んだりもするのだ。


 ミスがないよう、頭で反芻しながら書く。

 念のためにもう一枚同じ内容の物を書いておく。


 飲み物やインクをこぼして台無しになった場合の保険だ。

 普段なら考えられないような些細なミスであっても、どんな理由があろうと、これを失うわけにはいかないから。


 思考が加速する。

 可能性の扉がようやく開き、細い光明が差し込む。


 だが、とりあえず。

 あえて今。


 覚書を終えたクノンは一旦そこで中断し、しっかり睡眠を取ることにした。


 ここから先は、万全の体調で望みたいから。


 ――クノンが離れにこもって、約三ヵ月半のことだった。













「……」


 核は水鏡。


 薄く平面の水で、景色を写すことができる水の鏡。

 表面には流動砂漠紋様を施し、動く景色を、流動する紋様がリアルタイムで動く景色をクノンに送る。


 水鏡そのものを保護するため、透明な水泡に包む。


 ――仕掛けはこれくらいシンプルで良かったのだ。


 クノンは難しい方法、応用が利いている方法からひねりまくりながら試して来たが――やりすぎだったのだと今はわかる。


 複雑な構造はいらない。

 中継する仕掛けもいらない。


 水鏡と直結でよかったのだ。

 こんなにもシンプルで良かったのだ。


 答えがわかれば拍子抜けするほど簡単だった。


「――見える……こ、これが、景色……視界っ……ぐっ!?」


 感動で言葉が詰まる。

 そして激しい頭痛にうずくまる。


 ――視覚から入ってくる情報が多すぎる。多すぎて処理が追い付かず、頭がこれ以上の景色を拒否している。


 自分の部屋だけでもこの様だ。

 外なんて見たら、耐えられないだろう。


「……やった……やった!」


 だが、それも今だけだ。


 まだ「見える」という感覚に慣れていないだけ。

 徐々に慣らせばいずれ平気になるだろう。




 クノンは野望を叶えた。

 魔術による視覚を得ることに成功したのだ。


 クノンが離れにこもって、約三ヵ月と三週間目のことだった。


 ――涙を流して喜んで、そしてそのまま疲れて寝た。床が少し寒かったが熟睡だった。





 冬はとっくに過ぎ去っていて、もうすでに春だった。





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