293.ヒビ割れ
レーシャの「飛行」で飛び、森の上空を行く。
指針となる小川に沿って、上流へ。
行けば行くほど緑が深まる。
人の手の入っていない辺境の、更に辺境へと向かう。
随分移動した気がするが。
しかし、ここらはまだまだ、未来のクノンの領地である。
これだけ広いのだ。
ほかにも探せば何かありそうだ、とクノンは思った。
「――あ、あった。降りるよ」
どれほど飛んだだろうか。
果たしてそれを見付けたレーシャは、ゆっくり下降した。
主に周辺調査を行っている騎士ダリオら。
彼らは、気になる場所や要調査ポイントには、目印を残すことにしているそうだ。
これまでは、あまり活用できていなかったらしい。
気になる場所も要調査ポイントも、そんなになかったから。
しかし今回は違う。
クノンらが調査に来た、魔力溜まりの地。
ここに目印は必須である。
上空からそれを見付けたレーシャは。
無事、問題の場所に到着することができた。
「結構目立つね」
川沿いの大きな木に、黄色い布を巻いてある。
テーブルクロスくらい大きな布だ。
これはさすがに目立つ。
まあ、目印だ。
目印を付けたのに目立たない、見つからない、なんて本末転倒である。
だからこれでいいのである。
実際、迷うことなく到着できたのだから。
「……なるほど」
地面に降り立てば、クノンはすぐにわかった。
ここから少し森に入ったところ。
そこから微弱な魔力を感じる。
魔力溜まりと聞いていなければ。
誰か魔術師がいる、と勘違いしたかもしれない。
それくらいのものだ。
「あー……私わかんないかも。どっち?」
レーシャは感じられないらしい。
距離があるせいか。
それとも対象の魔力が弱すぎるせいか。
どちらもありえるかもしれない。
――魔力視を通して、感知能力が磨かれてきた。
そんなクノンだからこそこの距離で気付いた、のかもしれない。
「向こうです。安全を考慮して少し距離を置いたんでしょう」
と、クノンは森を指差す。
魔力に当たりすぎると意識を失う。
こんな森の中で倒れたら、命の危険に関わる。
「うーん……言われてもわかんないわ」
「今まで見つからなかったことを考えると、魔力溜まりとしての規模が小さいんでしょうね」
――王宮魔術師がどれくらいの頻度で来ているかは知らないが。
しかし、魔術や魔力に特化した、彼らが見逃していたのだ。
たぶん相当小さいし、感知しづらいのだろう。
「世界的に有名な魔力溜まりである『忘却の谷』は、谷が丸ごと魔力溜まりになっているとか。
それと比べると……というか、比べ物にならないくらい小さいですね」
屋敷と納屋、くらい違うと思う。
いや、規模だけで言えばそれ以上だろうか。
「ふうん。……行く?」
「行きましょう。近いので歩いて行けると思います」
「うん。一応危険な場所でもあるから、ゆっくり様子を見ながら行こうか」
さて。
「ミリカ様、お願いします」
きょろきょろと周りの様子を見ていたミリカに、クノンは手を差し出す。
「ん? あ、はい」
一瞬何かと思ったようだが。
すぐに意味を察した。
「――お手をどうぞ、王子様」
「ありがとうございます、僕のお姫様」
整地していない場所だけに、クノンは歩きづらい。
ゆっくり進む分には問題ないが。
しかし、エスコートは欲しい。
そして、そこにミリカがいるなら。
当然、頼るのは彼女になる。
「お。恋人同士みたい」
レーシャが茶化し、ミリカが答える。
「恋人同士同然ですから。お姉さまも恋人作ったら?」
レーシャとクノン。
波長が合うのかなんなのか。
この二人、ミリカには、妙に仲が良く見えることがある。
ほかの女たちよりよっぽど。
まあ、同じ魔術師であるから、と言われればそれまでだが……。
でも面白くはない。
そんな心のささくれが、少し言葉に出てしまった。
若干嫌味っぽく「恋人云々」と言ってしまったが――
「恋人かぁ。……正直邪魔なのよねぇ」
しかし、そんな妹の心境に、姉は気づいていない。
「え? ……まるでかつてはいたかのように言いましたね」
何気ないレーシャの言葉。
しかし、思ったより気になるセリフだった。
歩き出したレーシャを追うようにして。
ミリカが歩き出し、クノンが続く。
「魔術学校にいた頃、ちょっとだけね。秘密だからね」
「え? ……それはまずくないですか?」
――レーシャは王族である。
そして彼女の魔術学校時代と言えば。
当然、まだ、王宮魔術師ではない。
つまりその頃はヒューグリアの王位継承権があったはずで……。
「だから秘密なんだって。
そもそもあの頃から、王族はやめようと思ってたからね。むしろ恋人を作ったのは王族をやめるためって面もあったわけ。
でもって、我らが国王陛下様は、すでにその辺のことを知っていたんだけど。
私が何か言う前にね。
おかげですんなり王位継承権を返上できたのよ」
「思い切ったことをしましたね」
その事実だけ取れば、不貞行為に等しい。
下手をすれば、いろんな人の首が飛びかねない案件だ。
「元々王族の生き方は向いてないって思ってたからね。
魔術学校に行かせる段階で、
ミリカも含めて、ヒューグリアの王族って
「ああ、そうですね」
――ミリカが真っ先に思いついたのは、第六王子ライルのことである。
「レディには秘密が多いなぁ」
と、クノンは呟いた。
レーシャの軽い口調にそぐわない、ちょっとまずい話を聞いてしまった。
人に歴史あり。
女性に秘密あり。
そういうことにしておく。
「女性は秘密の数だけ輝くという説がありますからね。レーシャ様の魅力の一つに触れた気がします」
「クノン君」
「はい」
「私にも秘密がたくさんありますからね」
「知ってますよ、僕のお姫様。あなたの輝きはギラギラでテカテカで直視するのがつらいほどです。ちょっと秘密が多すぎるんじゃないですか? あなたの秘密のヴェールを開いてしまいたいと思うと同時に秘密は秘密のまま秘めていてほしいとも思いますね。
あなたは紳士を惑わせる罪深きレディです。あなたの罪を一緒に数えたいな」
ぺらぺらとしゃべるクノン。
ミリカはフフンと鼻を鳴らして胸を反らす。
「どうですお姉さま、私の恋人は?」
レーシャは振り返らず答えた。
「すっごい軽薄だと思う」
――まあそれはそうだな、とミリカも内心頷いた。
でも。
そんな軽薄なクノンが好きなのだから、ミリカはこれでいいのである。
そんな話をしたりしなかったりして。
三人は問題の場所にたどり着いた。
「ああ、確かに魔力を感じるわね」
「そうなんですか? 私は全然何も感じませんが……」
魔術師のレーシャと。
魔術師じゃないミリカ。
二人の感想は、そんな感じだった。
ここは何の変哲もない、森の中。
特に何もない。
目立つものもないし、魔力を発する何かがあるわけでもない。
何もないそこから、魔力を感じる。
ただそれだけ場所だった。
――クノンを除いて。
「……穴?」
クノンが「鏡眼」で見たそれは。
空間に走った、ヒビ割れのようなものだった。
その向こうには、ただただ暗い闇があった。