<< 前へ次へ >>  更新
29/51

28.楽しい魔術の話





「――それぞれの事情はわかっただろ? 今度はお兄さんと楽しい魔術の話をしようや。なあ坊主」


「――はい。よろしくお願いします」


 そんな会話を境に、クノンとゼオンリーの気配が変わった。


 いや、正確にはまだ(・・)クノンだけか。


 これまでは平素のそれそのものだったが、今は見えない銀色の瞳がゼオンリーに向いている。

 無知な子供をからかってやろうという意図が見え見えの、へらへらしているゼオンリーに。


 悪趣味なことである。

 この場で気づいていないのは、見えないクノンだけである。


「今更基礎の話もねぇだろ。ぶっ飛ばして実用的なとこからだ」


「わかりました」


「重奏は何段使える?」


「三十一です」


「あ?」


「無理したら三十二です」


「……やるじゃねえか」


 ――なるほど、とようやくゼオンリーは納得した。


 自分がクノンに会うよう指示された理由。

 魔術師たちから漏れ聞いた嘘のようなクノンの知識と実力が、嘘ではないこと。


 あれらの話が本当に本当ならば、己の実験と研究と試行に、これ以上ないほどうってつけの人材だ。


「まあ俺は五十は行けるけどな」


「五十!? そんなに!? どうやって!?」


「俺こそ聞きてぇよ。どうやって三十……いや、二十の壁を超えた? ありゃ独学でやれるもんじゃねぇだろ。おまえに魔術教えた師匠もそこまでできなかっただろ」


「紋章を重ねました。今では二重が基本です」


「……独学でそれに辿り着いたのか。ハッ、やべぇガキだな」


 ゼオンリーの笑みが、違う意味になる。


「よし、だいたい実力はわかった。実際に腕を見せろ」


「その前に五十段のやり方を」


「駄目だ。できねぇ奴に教えたって無駄だろ。俺は時間を無駄にする趣味はねぇ、できることを証明してから堂々と教えを乞え。この俺に媚びへつらってな」


「かっこいいゼオンリー師匠お願い教えて。僕師匠のいいとこ見てみたいなぁ。あと心の広いところと優しさと愛しさと時折見せる寂しげなところも見てみたいなぁ」


「色々言いてぇけど切りがねぇからやめとくが、まず師匠って呼ぶな。まだ認めてねぇよ。――実力なら今少しだけ見せてやるよ。課題としてな」


 ゼオンリーがそう言うと、すぐ傍に土の壁がせり上がった。


 クノンが誰よりも早く反応し、反射的にそちらを向いた。ゼオンリーの動いた魔力を追ったからである。


「俺の紋章は三ツ星の土だ。土は地味だと思われがちだが、これがまた奥が深くてな……そんなことはいいか。

 おまえ、水のベッドが出せるんだろ? 出せ。俺は寝る。


 その間に、おまえはその壁を魔術で壊してみせろ。それが課題だ。できなきゃこれっきりだ、次はねぇからな」


 ――恐らくやるだろうな、と。


 ゼオンリーはそう予想を立てつつ、「超軟体水球」に埋もれた。

 思わず「ふぉっ!?」と驚きの声を上げてしまった。


 想像以上の柔らかさだ。

 身体の負荷が消え失せる、羽の山に飛び込んだかのような寝心地。

 確かに水に触っているのに、まるで濡れることがない不思議な触感。

 冬であることを考慮した、適度な温水であること。


 突如襲い来る疲れと寝不足が、意識にぶら下がる。

 その重みに耐えられず、いや、耐えることなく、ゼオンリーはあっという間に眠りに落ちていった。


 ――絶対同僚の誰かに習得させよう、と思いながら。





 そんなゼオンリーからまったく興味を失ったかのように、クノンはそびえる土壁に触れていた。


 土をガチガチに固めた一枚の板、という感じだ。

 厚みもあまりなく、きっちり測って整えたような長方形で、本当に板のようだ。


 押してみてもビクともしないし、軽く杖でつついてみても硬質な音が返ってくるだけ。

 全力で殴ってみても欠けることさえないだろう。

 恐ろしく固い土壁だ。


 手触りはさらさらしている。

 素材は乾いた土そのもののようだ。


 だが、これを構成している魔力がすごい。


 クノンの「水球(ア・オリ)」と同じく、継続して魔力で維持するものではなく、魔力を閉じ込めて切り離す独立型。

 術者の解除か、閉じ込めた魔力が尽きるまで存在し続ける。


 ――クノンの勘では、二日くらいは持つだろう。


 最長持続時間半日が限界のクノンには、これ一つでゼオンリーの実力がよくわかる。


 王宮魔術師なら、誰が来てもクノンは得るものがあった。

 だが、これは王宮魔術師の中でも、頭一つ飛びぬけている実力者の魔術だ。


 偉そうにするだけはある。

 ゼオンリーは、クノンのはるか上にいる魔術師だ。


「……なるほどなぁ」


 こうして触っているだけでも勉強になる。

 込める魔力をかなり圧縮している。それで持続時間を伸ばすとともに、硬度も保っているのだ。


 やはり、こう、ぎゅっと詰め込むのは、魔術師界隈では常識なのだろう。

 クノンは自分なりの解釈で辿り着いた境地だが、魔術師にとってはあたりまえの技術だったのだ。


 ただ、ぎゅっとする密度が、段違いだが。


 恐らく、四十を超える重奏紋章の結晶。

 問題はどうやってそこまで重奏を増やせるかだが……


 ――魔術は紋章である。

 ――紋章は魔法陣である。


 魔術は魔法陣から出る。

 魔力で描く魔法陣から、その形に(・・・・)魔力を放つのだ。


 術者は、その魔法陣を組み替えることで、いろんな魔術を使うのだ。

 特定の「言葉」で組まれる魔法陣はいくつも発見・発表されているが、それはあくまでもベース、基礎である。


 魔術の神髄は、ベースから発展させた術者独自の魔術。

 オリジナリティに特化したそれである。


 重奏とは、どれだけベースの紋章を……魔法陣を分割し、再構築したかの数になる。

 その数がオリジナリティの高さ、高度な魔術と言える。


 数が増えれば増えるほど難易度が高くなり、制御も困難になる。


 クノンは「ベースになる魔法陣をぎりぎり二つ重ねる」という発想で、ゼオンリーの言うところの「二十段の壁」を超えた。

 だからクノンの「水球(ア・オリ)」は、同じ魔術を同時に二つ使っているという解釈が近い。


「……」


 クノンは、「超軟体水球」に埋もれてすでに寝ているゼオンリーを振り返り、少し溜息を吐いた。


 そしてテーブルに戻った。


「ミリカ殿下、少しお話しましょう」


「え?」


 魔術の話になったので、余計な口を出さず様子を見ていたミリカは、クノンが戻ってきたことに驚いた。


 課題はいいのか、と聞きたかったが、聞かなかった。

 魔術のことはわからないから。





 どうもゼオンリーはお疲れのようだ。

 今寝たばかりだ。すぐ起こすのは忍びないので、クノンは少しだけ時間を掛けることにした。


 触ってわかった。

 あれくらいなら、すぐ壊せる。





<< 前へ次へ >>目次  更新