287.呑み女子たち
「――うーん……」
クノンは神の酒樽を仔細に調べる。
漂う酒精の匂いが鼻につく。
匂いだけで酔っぱらいそうになりつつ、細部まで観察する。
ジルニはこれで酒を造った後、ほかの容器に移すそうだ。
そして、酒をストックしつつ新しく仕込んでいくのだとか。
五日間、供給がなくてもいいように。
五日分の酒を確保するため、とにかく若い酒を溜めているのだとか。
でも、呑んじゃうらしいが。
だからなかなか五日目の酒に出会いのだとか。
本当に酒に弱い人なんだな、とクノンは思った。
「――かんぱーい!」
「――かんぱーい!」
「――かんぱーい!」
クノンが調べている間、ミリカを除く女性たちは盃を掲げる。
もう何も言うことはない。
今更感が強いから。
「どうですか? 何かわかりますか?」
と、クノンの傍らにいるミリカが問う。
そう、ミリカは傍にいる。
さすがに自分まで酒盛りに参加するのはどうかと思ったのだろう。さすがに。
あの使用人たちとよその侍女は、最初からそういう人たちである。
そう思えば、特に何も思うことはない。
邪魔さえしなければそれでいいのだ。
「うーん。古代文字が使われていることは知ってたけど、古代文字を使った知らない紋章が刻まれてるみたいです」
魔術は紋章から発現する。
魔力で紋章を描くことで、発動するのだ。
紋章は魔法陣とも呼ばれる。
魔道具に使用する際は、魔法陣と評することが多い。まあ紋章とは違う意味の魔法陣の場合もあるのだが。
――と、それくらいの基礎知識はミリカにもある。
まだクノンがヒューグリアにいた頃に、雑談がてら聞いたことがある。
「古代文字を使った知らない紋章、ですか」
「はい。紋章は属性ごとに違い、基本は七種類あります。
でも時々、こういう七属性にない紋章が見つかることがあるそうです。
いわゆる古代魔術というものですね。
かなり昔に使われていて、今では失われている魔術なんですが……。
古すぎるせいで、発見されたものはほとんど解読できないほど劣化していて……これも例に漏れないようです」
樽の表に刻まれた「
この文字さえ薄くなり、読みづらいほどなのだ。
内側にある紋章は、更に劣化が進み。
七属性の紋章とは違う、ということしかわからないくらい、その形はおぼろげだ。
ほかにもいくつかあるので。
何かしらの法則性があり、それらの影響で、神の酒樽として機能しているわけだ。
神が造りし神器と言われている、神の酒樽。
しかし、もしかしたら。
本当は人が造ったものだったりするのかもしれない。
クノンの知らない紋章。
クノンがわからない構造。
疑問は尽きない。
ここにある紋章は、魔道具用に考案された紋章なのだろうか。
それとも、失われた古代魔術のものなのか。
そこからしてわからないのだ。
実に興味深い。
「――うわっ、今日のは強いなぁ。美人人妻には強すぎるわぁ~」
「――でも?」
「――呑んじゃう!!」
「――よし、人妻に酒呑ませて酔わせちゃおうか」
「――えぇー? 私を酔わせてどうする気ぃ?」
「――アーリーさんに迎えに来てもらう」
「――夫には言わないでっ。ふしだらに乱れた私を見られたくないっ」
向こうは楽しそうだなぁ、とクノンは思った。
…………。
勤務時間中に雇い主の前でよくも酒が呑めるな、とも思った。
冷静に考えるととんでもないな、とも思った。
しかし、まあ。
なんだ。
本当に今更感があるので、もう言わないことにした。
あえて水を差すこともないだろう。
楽しそうだし。
参加したそうなミリカがそわそわしているのもあるし。
あまりよくないとは思うが、神の酒樽がある今だけのことだ。
貴重な機会でもあるので、心行くまで……とまでは言わないが、多少楽しんでも罰は当たらないだろう。
一応、仕事もちゃんとしているようだし。
そう納得しておくことにした。
「――程々にしてね」
神の酒樽を調べたクノンは、地下室を後にした。
酒に現を抜かす女性たちを残して。
――さて。
場違いな地下室から抜けたクノンは、屋敷の表に出てきた。
深呼吸をする。
神の酒樽を調べている間、ずっと酒の匂いを嗅いでいた。
酒精で頭がくらくらしていた。
新鮮な空気を吸って、体内に入った酒の匂いごと吐き出す。
何度か繰り返してすっきりしたところで。
「よし」
クノンは温室へ向かった。
まずは聖女と相談だ。
「――いつか聞かれると思っていました」
聖女レイエスは、温室で植物の観察をしていた。
それと文官ワーナーもいた。
彼は彼で、作物の管理をしていた。
自動荷車の件で共同作業し、午前中で別れた聖女は。
温室に行くと言っていた通り、温室にいた。
植物の成長度合を書き記しているようだ。
学校にいた頃と同じ過ごし方である。
「むしろ遅いくらいだと思っていました」
遅いくらいだと思われていたようだ。
まあ、確かに。
遠慮さえしなければ、クノンだってすぐにでも調べていたはずだ。
「どうかな? 僕は全然心当たりがないんだけど、麗しの聖女様はわかるかな? それとも二人で神秘を解明しちゃおうか?」
クノンの軽口は無視して、聖女は淡々と答えた。
「神の酒樽に使用されている材料――木材は何か。
一見どこにでもありそうな木材ですが、手触りや硬度は、知っているものとはどれとも違いました。重量も……あの大きさにしては軽いのです。あのように古い物なので、時の流れに合わせて擦り減ったり変わったりした部分も多分にありそうですし、正確にわかることの方が少ないです。霊樹の類かもしれませんが、過ぎた年月がその手掛かりさえも擦り減らしてしまったように思います。まあ、特殊な素材であることは間違いないとは思いますが。間違っても簡単に調達できる素材ではないと思います。だって普通の木材では耐えられない年月を過ごしているはずですから。
ここまではいいですか?」
「もちろん」とクノンは頷く。
長々淡々と話す聖女だが、全部がクノンも同意見だった。
「キーブン先生なら何かわかるかもしれませんが、ここにはいませんから。ディラシックに帰った暁には、グレイ先生に返す前に、見てもらおうと思っています」
つまり、聖女でも答えはわからないようだ。
「候補は三つ思いつきますが、自信はありません。
それでもよければ話しますが」
「あ、聞きたい聞きたい」
「では観察メモの手伝いをお願いします。やりながら話しましょう」
「するする」
今のところやることがないので、クノンは聖女の手伝いをすることにした。
――こっちもこっちで興味がないわけではない。
ずっと気になっていた。
果たしてここではどんな物を育てているのか、と。
聖女の教室は大変なことになっていたが。
ここもここで、今は聖女が出入りしている。それだけに気になっていた。
きっと、面白い物を育てているに違いない、と。
2023/9/29
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