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285.先を見た話





「――この開拓地でお酒を造りましょう!」


 そんなミリカの言葉に、クノンは返答に窮した。


 女性の言葉なら肯定するのが紳士のたしなみ。

 女性の提案なら同意するのが紳士の心得。


 そう学んでいるクノンが、だ。


「酒造り、ですか……」


 クノンはいろんなことを思い出した。


 家庭教師フラーラ・ガーデンのことを振り返ったからこそ、だ。


 ミリカの真意はわかっているつもりだ。

 まあ、単に彼女が酒が好きだというのも、理由の一つではあると思うが。


 でも、それだけではない。


「この地の特産を作りたいんですね?」


 酒は手っ取り早いのだ。

 

 この地の売りは何なのか。

 何が多く採れ、何で外貨を稼いでいくのか。


 まだまだわからないことだらけである。


 ――集落を盛り立てる要素の一つであり、また欠かせない要素の一つ。


 それが特産、特産品というものだ。


 その地その場所にしかない、特別な物。

 ミリカは早めにそれを確立させたいのだろう。


 将来的には絶対に欲しいものだ。

 ここで生活しているだけに、ミリカは随分先を見据えているようだ。


 いや。


 もしかしたら、クノンの方こそ呑気に考えているのかもしれない。


 正式にこの地を賜ってから。

 本格的に手を入れるのはそれから。


 そういう気持ちも多分にあるのだが……


 それでは遅い。


 まるでそう言われているようだ。


「やはり他に売り物になりそうな物はありませんか?」


 リーヤの地図を見ても、開拓地の現状を見ても。


 まだ特産品らしいものがない。

 ここにしかないという技術もない。

 いつか行った村のような、そこにしかない毒沼があるということもない。


 至って平凡、至って普通の集落。

 クノンはそう思っていた。


 ただ発展が早い集落だ、と。


 特産品のことなどまだまだ先の話だ――とも思うのだが。


「うふふふふ。さすがは貴族学校を試験のみで卒業したクノン君、鋭いですね」


 二杯目を舐めながら、ミリカは不敵に笑う。


 ――しかし、ミリカは考えていた。


 まだまだ先のことではなく。

 今から取り掛かるべき問題だと認識していた。


 先を見据えて動く。

 それでこそ為政者なのだろう。


「特産品に関しては、まだ探していない、という状況です。

 ただ、目立つものはありませんね。


 もしかしたら鉄や銀が眠る鉱脈があるかもしれないし、ないかもしれない。

 特別な薬草や霊草が育つ土地もあるかもしれないし、ないかもしれない。


 ただ、不安定な供給で不安定な収入を見込むよりは、自分たちである程度コントロールできる財源は欲しいですね。それも早めに用意したい。


 限りある資源を主力に据えていると、いずれ枯渇した時が大変ですから」


 そう。

 クノンも似たようなことを、フラーラ先生に学んだ。


 そして、上級貴族学校……

 要は支配者階級の勉強をしてきたミリカだ。


 財源の確保は死活問題だと学んでいるのだろう。


「……酒がいいですか? 他にも財源にできそうなものはあると思いますが」


 あえて酒を選ぶ理由は?


 確か造酒は国の許可がいるし、取扱証などを得るために金が掛かる。

 ただ造ればいいというだけの話ではないはずだ。


 詳しく知らないクノンだが、それくらいは知っている。


「レイエスさんの管理する野菜や穀物の種。

 私はこの度の訪問で、彼女と定期的な取引をしたいと交渉するつもりです。彼女の用立ててくれる植物は品質が高いですから。


 もちろんクノン君がしてもいいと思いますが……クノン君は、私が交渉に失敗したらお願いします」


 ミリカの中ではすでに計画があったようだ。


「彼女の用意する植物の種。それで何をするべきか。

 そのまま自分たちだけで消化するには、勿体ないくらい高品質ですから。ならば――」


「それを使って酒を造ろう、と」


「ええ。あの光る種を託され、育ててから……ずっと何に使うべきか考えていました。その結果が」


 酒だ、と。


「まだ呑めないクノン君には申し訳ないんですが、とても美味しいんです。レイエスさんの野菜や穀物から作るお酒は素晴らしい。実にけしからんのです。

 これは売れると思います。ぜひこの地の財産にしたいのです」


 ――そこまで言われては、反対する理由がない。


「確かに、いずれ特産品は必要になりますからね。僕に反対する理由はないですよ」


「本当に!? では手伝ってくれますか!?」


「もちろん。これはあなただけではなく、僕の問題でもありますから。

 二人でいいものを作りましょう」


「――クノン君!」


 感極まったのか酔いのせいか。

 ミリカはジョッキ片手にクノンに抱き着いた。


「私信じてました! クノン君ならそう言ってくれるって信じてました! ああ! 私の好きなお酒が作れるなんて夢みたい!」


 ――なんか再会した時より嬉しそうだな、とクノンは思った。


 今回はあんまりドキドキしなかった。

 鼻先をかすめる酒精の香りが、少し悲しかった。


 いや。


 結構じゃないか。

 ミリカが喜ぶなら、それでいいじゃないか。


 こうなれば、ミリカが喜ぶ酒を、自分の手で作るのも一興。

 

 彼女のためだけの酒を。

 彼女だけのために。


 最愛の婚約者へ贈る、最高の贈り物。


 それを自分の手で作ってしまえばいい。


 幸い水魔術師は、酒造りにも向いているのだから。





「――えっ!? 本当に!?」


 ニヤニヤしながら。

 それこそクノンらの様子を酒の肴にしていたジルニが、激しく食いついた。


 特産品の酒を造ろう。

 そう決まった、その後の話に。


「あるんだよ、酔っぱらいのレディ。酒を作る魔道具が」


 魔術師にも、また魔技師にも。

 酒好きはいるのである。





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