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284.ミリカ様はもうに大人になっていた





「――こっちは倉庫でしたっけ?」


 先導するミリカに続き、クノンは下りの階段を降りる。


 この屋敷、広いは広いが。

 肝心の中身はすっからかんである。


 今は必要最低限、という感じなのだ。

 家具なりなんなり、これから増やしていく必要がある。


 そんな場所だけに、物置や倉庫と想定しているスペースもある。

 もちろんこちらも何もない場所ばかりだ。


「はい。今はジルニに貸しているんですが」


「……あ、そうですか」


 ジルニ。

 その名前を聞くと、まず、あの十万ワイン事件のことを思い出すクノンである。


 高い勉強代だったと未だに思う。

 もしかしたら、クノンの女性遍歴で唯一苦手な女性かもしれない。


 だが、まあ、それはさておき。


「ジルニは……確か酒造りに集中してるって話でしたね」


 彼女は聖女レイエスの護衛兼侍女である。


 魔術師じゃないし、クノンが呼んだ者でもない。

 だからあまり動向を気にしていなかった。


 自由に過ごしていいと思う。

 開拓地の邪魔にならなければ。


「ええ。私はよく味見をしに来ているんですが――」


「え?」


 クノンにとっては寝耳に水だった。


 ミリカが酒を呑んでいる。

 その事実に、少し、驚いていた。


 ――いや、冷静に考えると、ミリカの年齢なら許されるのだ。


 ヒューグリア王国では、十五歳から飲酒が認められている。

 だからミリカは呑めるのだ。


 しかし、クノンはまだ十三歳である。

 もうすぐ十四歳になるが、それでもあと一年以上待たねばならない。


 なんだろう。


 クノンは何とも言えない気持ちになった。


 ミリカだけ先に大人になってしまった、かのような。

 クノンを置いて、一人で遠くへ行ってしまったような。

 

 それくらいの距離を。

 疎外感を、感じた。


「……どうかしました?」


 先を行くミリカが、足を止めて振り返った。


 クノンの心境の戸惑いを、敏感に感じ取ったのかもしれない。

 

「あ、いや……ミリカ様だけ先に大人になったんだな、って思っただけです」


 二歳年上の婚約者。


 これまであまり気にしたことがなかった年齢差を。

 絶対に埋められない差を。


 今、はじめて実感した。


「クノン君」


 果たしてクノンの本心を見抜いているのか。


 そこまではわからないが――ミリカは真顔で言った。


「貴族はお酒が吞めないとまずいのです。

 特に王族は、呑める年齢になればすぐに呑み、慣れ親しんでおくよう教育されます。


 クノン君も、フラーラ・ガーデン男爵夫人からそう習いませんでしたか?」


「……あ」


 言われて思い出した。


 そうだ。

 幼少の頃、家庭教師をしてくれていたフラーラ・ガーデン先生。


 彼女も確かに言っていた。

 貴族は酒が呑めないといけない、と。


 付き合いでも、贈答品でも、特産品でも。

 事あるごとに酒を呑むシーンは絡んでくるから。


 酒を贈られれば呑まずには済まない。

 贈った相手が自分より上位の貴族だったら、絶対に断れない。


 呑む量はそこまで求められないが。

 それでも最低ワインの一杯二杯は呑めないと、社交界でやっていけないのだ、と。


 ――そう、確かにフラーラ先生は言っていた。


「私だって本音を言えば、クノン君と一緒に初めてのお酒を呑みたかったですよ。でも私の立場が許してくれませんでした。本当にただそれだけです」


 そうだ、とクノンは思った。


 ミリカは自分の責務を果たすため飲酒した。

 それを、己の狭量な気持ちで水を差すなど、あってはならない。


 それは紳士じゃない。


「すみません、ミリカ様。たった二歳差がとても大きな壁に感じてしまいました。

 僕らには関係ない壁なのに」


「そうですよ。たった二歳差だし、たかが私がお酒を呑んでるってだけの話ですよ。


 クノン君だってあっという間に十五歳になります。

 いつか、二人でお酒を呑み交わしましょう。約束ですよ」


「はい」


 そう。

 たかが先に酒を呑んでいた。


 それだけの話だ。


 それだけの――


「――あ、いらしゃいミリカ様ぁ~。今日の酒はめちゃくちゃいい出来ですよぉ~」


「本当!?」


 それだけの……


「それはけしからん、実にけしからん! 罰として私に献上しなさい! さあ早く!」


 ……それ、だけの……


 …………


 ミリカはいそいそと開いたドアをくぐる。


 なんかクノンの知らないノリと、知らないテンションで。


「……また一つ、僕の女神の新たな魅力を見付けてしまったようだ」


 クノンは呟いた。

 自分を納得させるように。


 そして、彼女の後に続いた。


 ――ミリカは酒が好きなんだな、と思いながら。





「あ、クノン様だぁ。こんな場所に来るなんて珍しいですねぇ」


 ジルニがのったりした口調で言う。


 どうやらすでに出来上がっているようだ。

 まだ昼間なのに。


 簡易的に用意した木箱の椅子やらテーブルやら。

 それと――神の酒樽。


 ここにはそれだけしかない。

 薄暗い照明といい、なんだか怪しげな酒場のようだ。


 なんというか……いや、言うまい。


 開拓地に迷惑を掛けないなら、何をしても構わないだろう。


「くうっ! とろっとした舌触りにきつい酒精……香りも極上ですね!」


 そして、すでに呑んでいるミリカの評。


 クノンが見たことのない顔で興奮している。

 見えないが。


 なんというか……いや、言うまい。


「こんにちは、ジルニ。あの……酒造りは順調?」


 完全に場違いというか。

 やはりなんかミリカの酒に対するあれこれがちょっと納得いかないというか、なんというか。


 言わないけど色々気になるが。


 クノンは持ち前の紳士力を発揮して、話を進めることにした。


「ダーメですねぇ~。結局全部吞んじゃうぅ~」


 それは本当にダメだ、とクノンは思った。


「ミリカ様、僕を誘った理由は?」


 正直、出来上がっているジルニを見るのも。

 酒呑んで舌鼓を打つミリカも、見たくなかったのだが。


 しかも昼間から。

 この二人はなんなんだ。


 まあ、見えないが!


「もう一杯――え? あ、そうそう」


 ジルニに二杯目を要求するミリカは。


 まるで忘れていたかのようにクノンを振り返り、言った。


「――この開拓地でお酒を造りましょう!」





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