274.聖女の縄張り
「――でね、やっぱり推力が必要なんだよね。僕の場合は水力と言っても過言じゃないとあおはようレイエス嬢! 今日も輝いてるね! で、原理としては『
なんともおざなりに挨拶されたものだ。
朝も早くから、クノンは屋敷の前で、ぺらぺらしゃべっていた。
きっとまた魔道具か魔術の話でもしているのだろう。
捕まったリーヤはご愁傷様だ。
いや、彼もそれなりに興味津々で聞いているので。
需要と供給は合っているのだろう。
「おはようございます。また後ほど」
たった今、屋敷から出てきた聖女レイエスは。
いつも通りさらりと挨拶し、彼らの横を通り過ぎた。
聖女の足は止まらない。
クノンと同じだ。
己の興味があるものを前に、立ち止まる理由がない。
歩きながら思う。
――今なら、少しだけクノンの気持ちがわかる、と。
入学試験の時。
クノンは魔術に対する好奇心を、聖女に向けた。
あの時は本当に心底、ただのナンパとしか思えなかったが。
クノンにとっては違っていたのだろう
誰にどう見ていたとしても。
しかし、今なら。
今なら。
もし似たような状況であるなら。
聖女も、クノンと同じことを、してしまいそうだ。
少し離れた場所にある温室。
聖女は迷いのない足取りでそこへ向かい、ドアを開けた。
「――おはようございます、ワーナー様」
まだ空の彼方は薄暗い、早朝である。
にも関わらず先客がいた。
ワーナー・ファウンズ。
髪も髭も白い、老人と言える年齢の男性だ。
開拓地には似つかわしくない品のある格好に、乱れのない髪と髭。
誰がどう見ても老紳士である。
恐らく上流階級、貴族出だ。
こんなところにいる意味がわからない人である。
だが、聖女は特に気にならない。
そういう性格だから。
「おはようございます、レイエス様」
柔和な笑みを浮かべるワーナーの手には、ジョウロがある。
彼はここの管理者だ。
「今日も早いですね」
ここにいられる時間は限られている。
で、あるなら。
可能な限り植物の観察と育成をしたいと願うのは、あたりまえである。
聖女にとっては。
「そちらこそ。いつもお早いですね」
「年寄りですから。起きるのが早いだけですよ」
と、そんな挨拶もそこそこに。
聖女はメモを取りながら、温室を見て回る。
――外観こそ木造で飾り気もなく、ただただ大きいだけの温室だが。
中は違う。
今は魔的要素で作られた強化ガラス越しに、朝日が差し込んでいる。
陽の明かりと熱を通し、外気を遮断する構造だ。
こうして、冬では育てられない植物や野菜を作っているわけだ。
少々いびつな三角錐の形。
壁は板張りで、三角に尖る天井は強化ガラスで守られているが――夜は木造の板で覆われるのだ。
日中はガラス、夜は板張り。
そんな風に切り替える仕掛けがあるのだ。
それだけとっても、かなり高度な技術で作られた温室だとわかる。
いったいいくら掛かるやら。
金銭感覚がしっかりしている聖女は、この施設にどれほどの金が掛かっているか、想像もできない。
いつか、この温室に負けない施設が欲しい。
そう願うだけである。
大きく分けて、区画は四つ。
それぞれで育てている物が違う。
ここが開拓地だけに、やはり食料となる野菜が中心だ。
「なんと立派な」
軽く見て回り、観察し。
それが終わると、ワーナーと一緒に野菜を収穫する。
蔦を引っ張って掘り出した紫芋の、なんと大きなことか。
この辺りは聖女の「結界」も使っていない、来る前から育てていた分だ。
実に立派。
従来の紫芋と比べて、二回りは大きい。
その上味もいいことは、ここ数日の食事で確認済みだ。
これは甘いのだ。
焼くと蜜があふれ、皮を剥けば黄金色の身があらわになる。ほくほくだ。こんなにもほくほくなのかと、感情の乏しい聖女でさえかすかに感動したほどだ。
開拓地では、小腹が空いたらこれを食べるそうだ。
「レイエス嬢は、魔法薬を使用した肥料や堆肥は知っていますか?」
「勉強中です。察するに使っているのですね?」
「ええ。ただあまり効果が高いものではありませんが。
それらのものは、植物の育成に大きく影響しますからね。過ぎた栄養や薬は却って害になってしまう」
「わかります」
クノンと水耕栽培の実験をした。
まさにアレのことだ。
「これは魔法薬で大きく育てているのですか?」
「ええ、とにかく量を考えて……という理由ですが」
――言えないが。
アルトワールの王宮魔術師たちが、かなり土もいじっている。
だから理由はそれだけではない。
だが、ワーナーがそれを言うことは許可されていない。
「その魔法薬とは? どの素材を使い、どの程度の割合で使用するのですか? この環境を考えると高価かつ希少な素材は使わないと思います。きっとこの辺りで手に入るもので作っているのではないかと考えますが、どうですか? 私はその話にとても興味がありますが、話せないと言うなら早めに言ってください。どうです? 話せるんですか? 話せないんですか? もし話せないと言ったら私は少し駄々をこねるかもしれませんがそれは許してもらえますよね?」
「話せますよ。少し調べればわかることも多いですからね」
グイグイ迫る聖女の好奇心。
魔術学校の教師でも、若干引く者もいるのだが。
さすがは老紳士。
一切引くこともなく、穏やかに頷く。
この開拓地に来て。
知識の豊富な彼には、すでにたくさんのことを学んでいる。
「素晴らしい」
最早その一言に尽きる。
聖女の好奇心は止まらない。
止まる理由もない。
さて。
一通り、朝の作業が終わった。
ここでのワーナーの仕事も終わりである。
彼も忙しいようで、色々とやることがあるそうだ。
つまり、ここからは聖女の時間だ。
「ワーナー様」
「はい、なんでしょう?」
「
「いいえ。
「そうですか。
それでは一緒に行きましょう。ぜひあなたのご意見を伺いたいので」
「ええ、お供いたします」
そうして、二人は向かう。
温室の地下。
光る種が植わる、聖女の縄張りへ。