273.通信水魚
「これでいいのかな?」
クノンに頼まれたリーヤは、休憩用の小屋に飛んできた。
森の中にある、外回り用の休憩所である。
簡素な丸太小屋だが、しっかり頑丈で、一晩過ごすくらいなら不自由はない。
森の中を行動する狩人や、見回りをする騎士たち。
彼らの拠点の一つである。
リーヤは地図作りに協力しているので、この辺も来たことがある。
森を歩くのは大変だが。
飛べるというのは、本当に便利である。
段々と空が明るくなってきている。
そろそろ騎士たちが、朝の訓練を始める頃だ。
――クノンに頼まれた時はまだ暗かったので、少しだけ地図について話をして。
それからここにやってきた。
危険はないとは思うが、念のため、暗い時刻の森は避けた形だ。
さて。
クノンには、「この木箱を外に置いて、蓋を開けておいて」と言われた。
その通りにした。
蝶番で固定された蓋を立てて、地面の上に設置する。
中には何も入っていないが。
この重さからして、何らかの仕掛けはあるようだ。
恐らくは二重底。
下に魔道具的処理をしているのだろう。
「……」
魔道具には詳しくないので、リーヤにはまるでわからない。
だが、形状からして、恐らく入れ物だろう。
きっとここに何かが飛んでくるとか、そういう――
「あっ」
何もない箱の中を覗いて考え込んでいると、視界の端に何かが光った。
まずい、と思った瞬間。
リーヤは「飛行」を利用して、素早く一足飛びに距離を取った。
いわゆる緊急退避である。
果たして――とんでもない速さで飛んできた何かは、ストレートに、木箱の中に飛び込んだ。
ばしゃん、と音がして。
入った衝撃だろうか、開けっ放しの蓋がバタンと閉まる。
危なかった。
あのまま近くにいたら、飛んできたものが当たっていたかもしれない。
とんでもない速さだった。
音からして、飛んできたのは水だとは思うが……。
「……開けていいよね?」
クノンの指示は、ここまでだ。
何が起こってどうなって、それからどうするか。
そんなことは聞いていない。
まあ、それ以外がないので、開けていいだろう。
リーヤは箱を開けた。
結局好奇心を抑えられなかったのもあった。
「ああ、なんか……」
それを見て、「クノンらしい」と思ってしまった。
蓋を開けたら、そこには魚が一匹。
水の中を泳いでいた。
水でできた魚だ。
うっすら赤くなっているのは、水の中だと水魚が見えなくなるからだろう。
さっき飛んできたのは、魚型の水だった。
そして、魚の身体の中に、小さな木筒が埋め込んである。
「……クノン君の水球は本当にすごいな」
手を伸ばし水に触れると、魚は水と同化して消えてしまった。
そして、水面に木筒が浮かんでくる。
凝った仕掛けに見えるが。
きっと、彼にとってはそうでもないのだろう。
相変わらずすごい技術である。
入学試験の時もレベルが高かったが、更に磨きが掛かっていると思う。
「――なるほど、伝書鳩か」
木筒の中には、丸めた紙が入っていた。
そして、文字が書かれている。
――手紙を見たら、筒を木箱に戻して蓋をして、魔力を込めてほしい。
つまりこれは、特定の場所に手紙を届ける。
そういう魔道具なわけだ。
指示通りにやれば、今度はきっと、クノンの方へ水魚が飛んでいくのだろう。
水魚の速度はかなりのものだった。
たぶん鳩より速い。
木筒を水面に浮かべ、蓋を閉めて、魔力を込める。
と――
「速っ」
ガパッと蓋が開き、木筒を持った水魚が、とんでもない勢いで飛んで行った。
箱の中には何もない。
さっきまで水があったのだが。
残るは多少の湿り気のみ。
面白い魔道具だ、とリーヤは思う。
それと同時に、こうも思う。
「……なんでこうとんでもないものを軽く作るかなぁ」
クノン的には、ただ利便性を求めただけだろう。
だが、これは。
この技術、この魔道具は。
なんというか……使い道の幅が広すぎる。
具体的に言うと。
国が秘匿して独占したい、と。そんな風に考えそうなやつだ。
離れた場所との通信、連絡。
優れた技術であればあるほど、いいことにも悪いことにも使えるものだ。
それこそ軍事利用も……いや。
そんなことを考えたら、全てがそうだ。
これに限らず、魔術も魔道具も、全てが。
――まあ、考える必要はないだろう。
もしかしたら、いずれ国に取り上げられる魔道具かもしれない。
だがそれでも、リーヤが深く考える必要はない。
この国とクノンの問題なのだから。
とにかく。
これで実験は終わり、ということでいいはずだ。
リーヤは木箱を持って、集落へと飛んだ。
「どうだった? ちゃんと届いたよね?」
リーヤが帰ってきた。
屋敷の前にいたクノンは、まず聞いた。
「うん。木箱に入ったよ」
「ああよかった! 今回色々と新技術を使ったから、結構不安要素もあったんだ!」
そう言うクノンの足元には。
リーヤが持っているのと同じ木箱がある。
蓋は閉まっている。
水魚が飛び込んできたからだ。
こちらは問題なく作動した。
そして、リーヤの方でも上手いこと動いてくれたようだ。
「これ、どういう風に使用するの?」
――使い道自体は色々思い浮かぶリーヤだが。
クノンがどう活用するつもりだろう。
「問題ないなら、山小屋には置くべきかな。最終的にはここから一番近い村には置きたいよね」
一番近い村。
ここに来る途中、一泊世話になった場所である。
まあ、わかりやすい通信手段なのだから、それもいいだろう。
「できれば改良を加えて、場所じゃなくて個人に送れると便利だよね」
「個人?」
「箱を小さくして携帯できるようにして、誰がどこにいても届けられる……みたいな」
「……」
――ますます軍事利用に……とリーヤは思ったが、言わなかった。
想像よりすごい魔道具が誕生したのかもしれない、と。
そう思ったが、それも言わなかった。
「どこにいても婚約者に『おはよう』と『おやすみ』が伝えられるんだ。こんなにも画期的な魔道具、他にはないと思う」
――安定のクノンだな、とリーヤは思った。
「まあ一ヵ月くらいじゃそこまではできないと思うけどね。たぶん滞在中は無理かな。他にもやらないといけないこともあるしね」
まったくその通りである。
「次は何をするつもり? 他にも何か作るの?」
「まだ漠然としてるけど――」
と、クノンは集落の方を向く。
「僕、ずっとこの開拓地で何をするか考えてたんだけど。ちょっと考え方を変えたんだ。
ここって無理に手を入れる必要がないんだよね。だいたい足りてるっていうか。不足していないっていうか」
――それはリーヤにもわかる。
わかるからこそ、外周りで地図作りを手伝っているのだ。
集落内では、やることがないから。
特に重い物を運ぶこともないし。
高所での作業もないし。
風魔術師はそういうのが得意なのだが、ないのである。
そう。
内側には、ないから。
「だから、開拓地の周りをね。色々やっていこうかなって思ってるよ」
道の舗装。
森の開闢。
この辺はできそうだ、とクノンは考えた。
あとは周辺の調査などだが。
それは元からするつもりだった。
ただ、どう調査するかを、クノンは決めかねていた。
見えない自分には向いていないからこそ。
「――これから忙しくなるよ。料金分はこき使うからね」
まあ、何はともあれ。
思い悩んでいた同期が動き出したので、リーヤも安心した。