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26.あれから数日





 気が付いたら朝になっていた。

 この上なく楽しい一日が終わってしまったことを悟り、クノンは少々気が抜けている。


 昨日は、初めて王城に上がった。

 黒の塔で、ジェニエ以外の魔術師とたくさん話した。


 昨夜は、予定通りミリカとディナーを食べた。

 ミリカには悪いが、正直黒の塔で話したことがずっと頭をぐるぐる回っていて、よく憶えていない。

 失礼なことはしていないと思うが、きっと気配りは散漫だったことだろう。お詫び手紙くらいは書いた方がいいかもしれない。


 そして離れに帰ってきてからは、ずっとメモと記憶を元に、考察しながら考えをまとめた……いや、まとまらないままでも、思いついたことは全部レポートとして書き殴った。


 気が付いたら意識を失っていて、起きたらベッドである。

 今ここだ。


 きっと侍女がテーブルで寝ていたクノンを運んだのだろう。


 昨日は、王宮魔術師たちと至福の時を過ごし、なかなか浮かれた一日を過ごした。


 自覚はなかったが、きっと疲れていたのだろう。

 いつの間にか寝ていて、昨日が終わっていた。


 クノンの意欲や魔術の才はともかく、しょせんまだ九歳である。

 多少鍛えていたところで体力だって知れたものだ。


「……あれ? イコ?」


「はい。おはようございますクノン様」


 今日も室内で待機していた侍女が、クノンの呼びかけに答える。


「もしかして、ちょっと遅くない?」


 いつもより寝ざめがいい。

 覚えのあるこの体調は、たくさん寝た翌日のものだ。


「そうですね。少し遅めですね」


「起こしてよ」


 いつもはもっと早く起こしてくれるのに。

 時間と体力と魔力が勿体ないとクノンは思う。どれかが尽きて疲れた時に昼寝でもすればいいと思っている。


「駄目です。クノン様、昨夜は本当に遅くまで起きていたんですから。子供の休息は仕事ですよ。成長に関わる大事な時期なんですから」


 そう言われると不満はもう返せないが。


「成長かぁ。やっぱり女性は大きい方がいいの?」


「大きい方が好きって方も確かにいますね。まあ私は大きかろうが小さかろうがクノン様が好きですけど」


「ありがとう。僕もイコが……おっと、これ以上はミリカ殿下に悪いから言えないな」


「えーずるぅい。女にだけ言わせてぇ。クノン様の女ったらしぃ」


 はっはっはっ、と笑い合うと、二人は行動を開始した。


「今日は午前中の運動を午後に回すから。朝食の準備を」


「畏まりました」


 用意されていたたらいを持って表に出て、魔術で水を満たして顔を洗う。

 歯を磨き、温水の「水球(ア・オリ)」で軽く髪全体を濡らして整えながら乾燥させる。これも「水球(ア・オリ)」の一種だ。


 クノンはそんな毎朝の支度をしながら、昨夜のことを思い出していた。


 いつ寝たかは覚えていないが、朦朧としながらレポートは書いていた。はずだ。

 だが、全て書きあがった記憶はない。


 だから昨日のまとめはまだ済んでいないのだ。

 黒の塔で過ごした貴重な体験を、余すことなく自分のものにしなければ。


 まだちゃんと記憶している内に。

 叱られた記憶だけはいつまでも忘れないくせに、憶えておきたいことは忘れていくのだ。難儀な記憶力である。


「よし」


 すっきりしたクノンは、気合いを入れて部屋に戻った。





 レポート制作が終わり、今度はそれらの実験と検証に入る。


 充実した時間ではあるが、やはり、貴重な意見を聞かせてくれる師の存在が欲しくなる。

 黒の塔で甘く刺激的な時間を経験しただけに、余計にその想いが募っていく。


 数日ほど、充実しているがそれでも満たされない毎日を過ごしていると――ようやく吉報が届いた。


「――やった! イコ、新しい先生が来るって!」


「新しい師を用意する」と約束してくれた王宮魔術師総監ロンディモンドからの手紙には、クノンと侍女が喜ぶべきことが書かれていた。


「よかったですね。いつ来られるので?」


「明日だって。よかったね、イコ」


「はい?」


「君が会いたがってたゼオンリー様が来るんだって」


「――ええっ!? 美貌の魔術師と噂のゼオンリー様が!?」


 黒の塔に行ったあの日。


 クノンは全然興味がなかった……というより、そこで過ごす時間が楽しすぎてゼオンリーの名を思い出しもしなかったが。


 しかし、確か、何かの雑談の中で、誰かが言っていた。


 ――ゼオンも不幸だよね、こんな面白い子が来てるのに不在なんて、と。


 魔術に関係ないことだったからクノンから触れることもなかったが、その発言はうっすら覚えている。


 あの日、噂の美貌の王宮魔術師ゼオンリー・フィンロールは、黒の塔にいなかった。


 そのゼオンリーが、教師としてグリオン家にやってくるそうだ。


「ほんとに来るんですか!? 明日はお化粧しきゃ!」


「僕以外に綺麗なイコを見せるの? 嫉妬でおかしくなっちゃうよ」


「ごめんクノン様! 今そういうの無理! どうしようっ爪のお手入れもしなきゃ! 髪も切らなきゃ! あと痩せなきゃ! 失礼します!」


 ばたばたと侍女は部屋を出て走って行ってしまった。


 …………


「……イコにフラれるとちょっと傷つくなぁ」


 一人きりになった部屋でぽつりと寂しげに呟いたクノンは、小さく息を吐いて手紙をしまうと、今日の実験結果のレポートを書く作業に戻るのだった。





 翌日。

 朝から……いや、前日から様子のおかしい侍女と待っていると、昼を過ぎた頃にやってきた。


 ゼオンリー・フィンロール。


 クノンに転機を与える、偉大なる王宮魔術師である。





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