267.これからのこと
「――あ、おはようございますクノン様」
朝の散歩を終えて、屋敷の玄関ドアを開ける。
そこに侍女リンコがいた。
ちょうど今やってきたようで、防寒用の襟巻を手に持っていた。
「おはよう。今日も朝日のように美貌が輝いてるね」
「今日曇りですけどね」
――この遠征、リンコは婚約者ユークスと一緒に過ごすかも、と言っていた。
現地の様子を見て、それから決めると。
そんな話をしたのだが。
「君はユックのところに住むの?」
クノンはさっき、そのユークスに会った。
昨夜リンコと話をしたと言っていたので、昨日は婚約者と過ごしたはずだ。
「昨夜は泊まりましたけど、今後は……まだ迷ってます。このお屋敷の仕事量によってはこちらに住み込むべきかも、とは思うんですが」
「そう? せっかく一ヵ月いるんだから、ユックと一緒にいたら?」
「一緒に暮らす段階にないんですよね。だってまだ結婚できませんから。その辺のけじめはつけないと」
なるほどけじめは大事だな、とクノンは思った。
「それに、私は一応クノン様の専属侍女として同行してますから。ビッグマネーを掴むまでは誠心誠意お仕えしたいと思います」
なるほどお金のためにがんばるんだな、とクノンは思った。
侍女を連れて食堂へ向かう。
長いテーブルがあるだけのがらんとした寂しい部屋だ。
やはり飾りも何もないし、今は誰もいない。
侍女に紅茶を用意してもらい、のんびりと待つ。
「おはよう」
「おはようございます」
一人、また一人とやってきて、席が埋まっていく。
昨夜と同じ面子が揃うまで。
大して時間はかからなかった。
「――今後の話をするから、食べながらいいから聞いてほしい」
朝食が始まると、クノンは言った。
ちなみに朝食メニューはパンとスープとサラダである。
一般的なヒューグリアのパンに、肉の入ったスープ。
サラダはドレッシングではなく香草塩。
貴族の朝食にしては質素だが、庶民には少し豪華だ。
味に関しては文句はない。
足りないものが多い開拓地にしてはかなりおいしい。野菜も新鮮だ。
昨夜ミリカが言った通り。
肩の凝らない内容となっている。
「まず食事のことだけど、今後は各自で済ませることにしよう。
全員揃って食べるのは用事があって集めた時か、偶然揃った時だけ。
皆ばらばらに行動するから、きっと時間が合わせづらい。
だから最初から合わせない方向でいいと思う」
元々魔術師は協調性が怪しい者が多い。
クノンも然りだ。
研究や実験で力を合わせるのはまだいい。
だが、生活リズムまで合わせるのは不可能だと自認している。
やろうと思ってもすぐ破綻するだけだ。
――これに関しては、誰も異を唱えなかった。
そもそも開拓民たちはそうしている。
クノン含めた客人たちも同じようにする、というだけの話だ。
食事は既定の時間内に、この食堂で。
弁当の注文は可。
食いっぱぐれたら自分でなんとかしろ、と。
そういうことになった。
「次に各々がやることだけど」
――本題は、ここからである。
クノンが連れてきた彼らにとっては、これが仕事になる。
自分たちを連れてきた理由。
結局、具体的なことは説明されていない。
果たしてクノンは、ここで何をさせるつもりなのか。
「二、三日はのんびり過ごしてほしい。できれば開拓地の仕事を手伝って」
「「えっ」」
のんびり過ごせ。
できれば開拓地を手伝え。
クノンにしては、なんとも具体性のない言葉だった。
「ちょっと待って。君はなぜ僕らを連れてきたの?」
誰もが思っていた疑問を、リーヤが口にする。
――少し前にも同じことを聞いたリーヤだが。
今回は質問というより、むしろ抗議に近い。
まさか遊ばせるために連れてきたわけではないだろう、と。
クノンに限ってそれはないだろう、と。
どうか違うと言ってくれ、と願って。
そんなリーヤの心境を知ってか知らずか、クノンは苦笑した。
「来る途中でも言ったけど、開拓を進めようと思ってたんだ。
――でも、ここってすでに、結構開拓が進んじゃってるんだよね」
それは……確かにその通りだ。
誰の予想をも裏切る方向で、開拓は進んでいた。
クノンは驚いたが、連れてきた者たちもそれなりに驚いている。
あの聖女でさえ驚いた。
まあ、彼女は開拓地の様子ではなく、温室があることに驚いていたが。
「昨日の夜と、今朝と、ちょっと見て回ったんだけど……正直、何から手を付けていいか、僕もわからなくなっちゃって」
そう。
今のところ、開拓は足りているのだ。
人が少ないから、規模が小さい。
人が少ないから、できることが少ない。
そんな感じで停滞している感がある。
「商業が発展するほど人がいない、人が少ないから物流もない、もちろん人を呼ぶ観光地や名産品があるわけでもない。
そもそもまだ正式な村でも街でもないからね。
だから、大っぴらにできることがあんまりないんだよね。この段階って人を集めすぎるのもよくない気がするし。
もっと言うと、今目立ちすぎるの、よくないと思うんだ」
何せ領主が決まっていない地なのだ。
いずれクノンが貰うことになるが、今はまだ違う。
たとえ国王陛下が秘密裏に決めていることでも、違うものは違うのだ。
周囲に領地を構える貴族たちは、今は黙認している状態だろう。
その辺はさすがに陛下が調整していると思う。
だが、派手にやりすぎるのはよくない。
目立って貴族たちに睨まれるのはよくない。
現段階なら、この集落を潰す理由など、いくらでも作れるのだ。
正式に決まっていない地だ。
今なら、法の穴など突き放題だ。
――特に、このメンツが逆に問題だ、とクノンは思う。
王宮魔術師が遊び半分で開拓する。
これは、まだ納得できるだろう。
自分たちの国への貢献だ、何の問題がある、と。
かなり強引に説得はできる。
だが、クノンが集めて連れてきたのは、国籍が違うよその国の魔術師だ。
よその魔術師がヒューグリアの土地で何かやっている。
そんな噂、絶対に好意的には思われない。
補充、補強するならいい。
この開拓地に足りない物を足すだけならいい、と思っていた。
しかし、発展は違う。
このメンツで、これ以上開拓を進めてしまうのは、まずい気がする。
昨夜から、クノンはずっとそんなことを考えていた。
これ以上発展させてはならない。
そんな印象を強く感じた。
王宮魔術師が発展させるのはいいが。
自分たちはダメ。
そんな風に考えると――できることを悩み出した。
果たして、自分たちは何をすればいいのか。
どこまでやって許されるのか。
この地にいる人たちの今後に関わる問題だ。
問題として表面化するのは、クノンたちがいなくなってからだろうから。
迷惑はこの地に、ミリカに降り注ぐことになる。
慎重に動く必要があるだろう。
そう考えると……どうしてもやるべきことが、決めらないのだ。
「色々考えてたんだけどなぁ……」
と、クノンは行儀悪く頬杖をつく。
ふいとあらぬ方を向く。
その先は、何もない。
あるとすれば――クノンが考える開拓地の発展図だろう。
「木材を設置したら規定サイズに加工してくれる魔道具とか、規定位置から規定位置まで自動で走る馬車とか、火じゃなくて熱で加熱する料理道具とか、土を入れたらレンガとか石畳ができる魔道具とか、水耕栽培の研究もしたかったなぁ。作物が良く育つ土にする魔道具とかできたら……あ、師匠の作った
はあ……やりたかったこと、全部できなくなっちゃったなぁ……」
漏れる愚痴に、だいたいの者が納得した。
――確かにそれはやりすぎだ、と。
先にクノンが言った「目立ちすぎるのはよくない」というのも、なんとなくわかる気がする。
足りないものの穴埋めならいい。
生活できるかどうかギリギリという状況から、生活できるという一定水準まで。
そこまで高まる程度なら、誰も文句は言わないだろう。
だが、そこから先はどうだろう。
今この状態で、クノンの思い付きを実現したら。
きっと、非常に目立つ。
「……だからごめん。今すぐはちょっと、やることが思いつかないんだ」
開拓地にやってきて、一日目。
クノンは早くもやることを見失っていた。
見えないが。
第七章完です。
お付き合いありがとうございました。
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