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266.朝の散歩





「……思ったより進んでるんだよなぁ」


 早朝、クノンは一人で開拓地を歩いていた。


 到着から一夜明け。

 朝の散歩がてら、まだ冷え込みの厳しい冬空の下に出てきた。


 石畳が敷かれているので問題なく歩ける。

 クノンには昼夜は関係ないので、昨夜ミリカと歩いた時と同じだ。


 領主邸となっている屋敷。

 大通りを想定した道。


 この二つだけは場所が決まっている。


 それから、思い思いに建つ木造住宅が八軒。

 すでにこの地に住んでいる住人の家だ。


 結構しっかりしているように見えるが。

 仮住まいだそうだ。


 ここが発展してから、いずれ建て直すことを想定しているとか。


 それと家畜小屋があったり。

 共同倉庫や備蓄小屋があったり。


 畑はあるが、冬なので今は何も育てていない。


 その代わりに、大きな温室で作物を育てているとか。


 ――思ったより開拓が進んでいるのだ。


 昨夜、ミリカの案内で見て回った時も思ったが。


 もう、それなりにできているのではなかろうか。

 そこらの村くらいには。


 いや、まあ、住人は三十人前後という話なので。

 やはり規模的には、まだまだ開拓地ではあるのだろうが。


「――あ! 知らないやつがいる!」


「――がいる!」


 突然の声。

「何事だ」と周囲を警戒するクノンの前に。


 五、六歳くらいの小さな子供が二人立ちふさがった。


「おまえだれだ! 新顔のオーキューまじゅつしか!?」


「まじゅつしか!?」


 クノンは理解した。


 どうやら「知らない奴」とは自分のことだったようだ。


 ――まあそうか、と思う。


「君たちはここに住んでる子かな?」


 ここに住んでいる人からすれば。

 クノンは充分よそ者だ。


「そうだぞ! ミリカさまのおんじょーに甘え切っていきてるぞ!」


「てるぞ!!」


 甘え切っているのか、とクノンは思った。


 まあ、元気そうで何よりだ。

 幼少期の暗かった己より、こっちの方が数百倍はマシだ。


「おいおい、朝から誰にいちゃもんつけ……あ、クノン様」


 のしのしとやってきたのは、昨日紹介されたユークスだ。


「ユック!」


「ユック!!」


 子供たちが彼の大柄な身体にしがみつく。


 そして登る。


「すみません、クノン様。まだ分別の付かない子供なんで……俺の非力さに免じてやってくれ、いてて、くれませんかね」


 頭まで踏破した子供たちに髪を引っ張られるユックは、のんびりそう言う。


「僕は別に気にしてないけど。

 というか、正式に拝領するまではミリカ様に任せるって話が付いたから。今日にでも集落中に通達があるんじゃないかな」


 ミリカの婚約者がクノンだと知っている。


 そんな者がどれだけいるのか、という話である。


 それに関しては。

 強いて隠さないけど伝えることもない、という方向で決まっている。


 変に混乱を招きかねないから。


「僕のことはただの客だと思えばいいよ」


 まだ、隣人が近しい小さな集落である。


 面倒な立場だ身分だを持ち込んでも仕方ない。


「そうですか。温厚な人でよかった。


 ディラシックではリンコも大変お世話になっていたようで。昨夜じっくり聞かせていただきました。

 あいつうまいもんたくさん食ってますね」


「らしいね。おかげで食事のバリエーションが多くて楽しいよ」


 確かレストランとかよく行くんだよな、とクノンは振り返る。


 うるさいことを言うつもりはない。

 ちゃんと使用人の仕事さえしてくれれば、多少経費で外食しても構わない。


「将来リンコとお店をやるんでしょ?」


「ええ。人を闇から闇へ消す商売と迷ったんですけどね、相談して飯屋をやろうってことになりました。……あれ?」


 ユークスがあらぬ方を向く。

 クノンも気づいた。


「――おはようございます、クノン」


 歩いてきたのは、聖女レイエスだ。


「おはよう」


「それでは後ほど」


 と、足を止めることなく通り過ぎて行った。


 あの方向は温室だ。


「すげー。とかいの美人だ」


「びじんだ」


 ユークスから降りた子供たちが、ふらふらと聖女の後についていく。


 小さくとも紳士だな、とクノンは思った。


 素敵な女性にはついていきたいものである。

 紳士とはそういうものだから。


「あ、俺も行かなきゃ。温室に野菜を採りに行く途中なんです」


 ユークスは、屋敷の台所で働いているコックだ。


 恐らく朝食で使うのだろう。


「でも俺って非力だからなぁ。あんまり持てないなぁ。手伝ってくれる男手が欲しいなぁ」


 意味深にチラチラ見られたが。


「じゃあまた後でね」


 クノンは気にせず散歩を続けることにした。


 紳士とは、女性の期待に応えるものだ。

 そして男の期待には任意で応えるものだから。


 そもそも彼が非力であることを信じる気はないから。





 開拓地を一回りして、クノンは屋敷に帰ってきた。


「――はあ、はあ、もう一本!」


「――来い!」


 カンカン、と木剣を打ち合う音が聞こえる。


 吸い寄せられるように向かうと――


 そこには四人いた。

 屈強な男が二人と、可憐な女性が二人。


 男はダリオと、知らない顔。

 女性はミリカと、昨日会ったラヴィエルトだ。


 どうやら朝の訓練の最中だったらしい。

 一組ずつで打ち合っていた。


「クノン様――」


「いいから続けてください」


「はっ、すみません」


 クノンに気づいたダリオが手を止めようとしたのを制し、続けてもらう。


 ――ミリカの剣を振るう姿。


 王都にいた頃も見た姿だ。

 今も続けているようで、あの頃より格段に動きがよくなったと思う。


 だが、対するラヴィエルトはさすがだ。

 伊達に騎士じゃないようで、まだまだ動きに余裕がある。


 そして、ダリオと対する知らない男。


 こちらもすごい。

 ダリオの剣の腕はかなりのものだと聞いているが、相手の男も負けていない。


 しばらく眺めていると、終わったようだ。


「お疲れ様です」


 と、クノンは巨大な「水球」を四つ出した。


「あ、久しぶり」

 

 ミリカは嬉しそうに「水球」に飛び込んだ。


 途端、ぶわっと細かな泡に包まれる。


「ああ~これだ~」と呆けた声を上げるミリカ。

 頭まで潜って泡風呂を堪能する。


 そう、これは風呂だ。


 王都に住んでいたあの頃。

 ミリカが訓練した後に入れるよう考案したものだ。


「すみませんクノン様、いただきます――君らも入れ」


 ダリオの言葉に従い、ラヴィエルトと知らない男も「水球」に入った。


「あっ、あっ、ああっ、あ、ああ、……ああ……あ、なんだ風呂か」


 戸惑うラヴィエルトは納得したようだ。


 入ってはみたが、しばし、これが何だかわからなかったらしい。


「これが噂の……」


 そう呟いた知らない男は、目を伏せた。


 ――で、だ。


「水球」から出て乾燥させて、少しだけ湿り気を残すだけになった面々。


 その内の一人。

 知らない男が、クノンの前に跪いた。


「初めまして、クノン様。私はアーリー・ホーンズと申します」


「あ、はい。初めまして」


 鳶色の鋭い瞳が、クノンを見詰める。


「――その節は妻のイコがお世話になりました」


 妻のイコ。


 一瞬耳を疑う言葉に、クノンは驚いた。


「あなたがイコの旦那さん!?」


「はい。ヒューグリア王国の元兵士アーリーです」


 クノンはまじまじとアーリーを見た。

 見えないが。


「……イコでよかったの?」


 すごく真面目そうだ。

 見れば見るほど真面目そうだ。


 リンコの婚約者であるユークスは、なんか納得できたが。


 こっちは大丈夫か。

 真面目そうな彼に、イコは、大丈夫なのか。


「私は口下手で、どうも人と話すのが苦手で……

 でも、あれくらいグイグイ来られると、苦手とか言っていられなくなりまして」


 わかる。


 かつて俯きがちだったクノンである。

 彼女の明るさと積極性に救われた。


「――もしかしたら私にはこんな人がいいんじゃないか。


 そう思ったら、もう、この人しかいないと思い至りました」


 思い至ったらしい。


「……イコをよろしくお願いします」


 果たして彼とイコは相性が合うのか、とクノンは思ったが。


 真面目そうな彼なら、イコを大事にしてくれそうだ。


 むしろ真面目そうでよかった、とも思った。


 



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