265.全てを見てほしい
「――改めまして。
私はクノン・グリオンの婚約者ミリカです。
まだまだ足りないものばかりの開拓地なので、面倒な家名は名乗りません。
まだ身分のない、ただの領主代行とお考えください」
これがクノンの婚約者。
晩餐のテーブルに集った、家主と客人たち。
彼らの視線は、この地の代表として挨拶するミリカに釘付けだ。
明るい金髪に、アイスブルーの瞳の美少女。
品のある面差しと立ち居振る舞いは、高位貴族の娘であることが容易に想像できる。
家名を名乗らなかったこと。
それは客に気を遣わせないためだ。
きっと、ただの庶民なんかでは同じテーブルに着くのは許されない。
それくらいの高貴なる人なのだろう。
「クノン君と相談して、彼が卒業するまでは、私がこのまま代行を務めることになりました」
将来、ここはクノンのものになる土地。
つまり領主は彼だ。
しかしクノンはまだここに住むことはできない。
今回やってきたのも、視察の面が強く。
滞在期間はだいたい一ヵ月だ。
ゆえに、これまで通りにミリカに任せることにした。
本人たちはともかく。
周囲や下の者が混乱する。
たった一ヵ月しかいない、ぽっと出の領主より。
これまで集落をまとめてきたミリカが続けた方がいいだろう、と。
「こちらは魔術師レーシャ。私の姉になります。
その隣から、私の護衛であるダリオ様とラヴィエルト様。私の家庭教師であるワーナー様。
彼らの家名も伏せますが、何か困ったことがあれば彼らにご相談を」
高貴なるミリカと、同じテーブルに着いているのである。
そして客と同席もしている。
要するに、彼らはこの開拓地の要人だ。
「それでは皆様、自己紹介をお願いします。それが終わったら食事にしましょう」
やってきたのは、クノンを含めて九人である。
その内、使用人であるリンコは同席していない。
ハンク・ビート。
リーヤ・ホース、
レイエス・セントランスの同期三人。
聖女の侍女であるフィレアとジルニは、客人扱いである。
造魔学の兄弟子カイユ。
準教師セイフィ・ノーザ。
「え? やっぱりセイフィ?」
「話はあとで聞いてあげる」
レーシャが反応する。
彼女とセイフィとは知り合いのようだ。
それ以降発言がなかったので、個人的な会話はあとでするのだろう。
少々手の込んだコース料理が運ばれてくる。
開拓地とは思えないほど、ちゃんとした豪華な料理だが――
「――今日は歓迎の食事だから頑張っただけですよ。明日からは肩の凝らない食事になりますので、期待しないでくださいね」
冗談めかしたミリカの言葉に、何人かはほっとする。
テーブルマナーが覚束ない者は少なくなかった。
相当食べづらかったらしい。
和やかな雰囲気で食事が終わり、一人、また一人と席を立つ。
「セイフィ、私の部屋でちょっと呑もうよ」
「はいはい。あんたなんでここにいるの? おうきゅ、……就職したんだよね?」
と、そんな話をしながら食堂を出ていくレーシャとセイフィ。
「ワーナー様。温室や田畑の管理はあなたがしていると聞きましたが?」
「ええ、私がしております。私もあなたの
「はい、もちろん」
と、聖女と家庭教師ワーナーが立ち上がる。フィレアとジルニも続いた。
「それじゃお願いします」
「はい」
夜の見回りに行くというダリオとラヴィエルトに、早めに開拓地を見ておきたいリーヤが同行する。
「いいかな?」
「ええ、問題ないですよ」
ハンクは食品、とりわけ肉の扱いが気になるようで、使用人イコの案内で台所へ行くようだ。
「俺は玄関付近にいるから」
カイユも立ち上がる。
さっき放した造魔ウサギの様子を見に行くのだろう。
ちなみにリンコはいなかった。
彼女は使用人扱いなので、どこかで働いているか休んでいると思われる。
――そうして。
さっきまで賑わっていた大きなテーブルには、二人だけが残った。
「皆行ってしまいましたね」
「そうですね」
ミリカとクノンだけが、並んで座るばかりだ。
「人数、多かったですか? ここまで文化的な暮らしをしているとは思わなかったので……
ミリカ様の負担になったのなら謝ります。すみません」
開拓が始まって約半年の地である。
家も人も何もかも足りない場所だと、クノンは思っていた。
だから、人を。
それも魔術師を多く連れてきた。
自分がいる間だけでも、開拓を推し進められるように。
ミリカには文化的な暮らしをしてほしかったから。
だが、そんな心配はいらなかった。
夕食のメニューも味も、この大きな屋敷も。
実に文化的だった。
「クノン君が学校で広げた交友関係ですもの。私から何か言うことはありませんよ」
――女子率が高すぎる、とは、ミリカも思っているが。
八人連れてきて男は三人だ。
まあ聖女の侍女もいるので、すべてがクノンの交友関係とは言えないが。
「本当に、想像以上に開拓が進んでいて驚きました」
「そう、ですね……詳しい話をするなら、今なんでしょうね」
来た時は時間がなかったが。
夕食が終わり、落ち着いてきた今なら、話す時間があるだろう。
――王宮魔術師が行ったり来たりしているのだ、と。
――そして遊び気分で開拓を進めるのだ、と。
クノンの師ゼオンリーも来るし、ロンディモンドも来るし。
ついでに第六王子ライルも来るし。
レーシャは王宮魔術師だがほぼ常駐しているし。
家庭教師ワーナーは、元は王城勤めの文官だし。
もうじき引退を考えていた初老の彼は、この地をいたく気に入ってくれて尽力してくれているし。
話すべきことはたくさんある。
「それでは――」
クノンは立ち上がり、手を差し出す。
「夜のデートに行きませんか?
あなたの努力の結晶を、一緒に歩いて見て回りたいです」
「……はい」
――ミリカが王都を出て。
この開拓地に来て、もう半年以上が経っている。
大変なことばかりだった。
人には恵まれた。
ダリオ、ラヴィエルト、ワーナー、レーシャ。
この優秀な人材を連れて来られたことは、この上ない僥倖だったと思う。
遊びに来る王宮魔術師たちも。
当てにはしていないが、来たら来たでしっかり役に立ってくれて助かった。
だが、それでも楽ではなかった。
貴族らしい生活など一つもできず、庶民に混じって作業をしてきた。
領主代行として、率先して動いてきたつもりだ。
その成果を見たい、と。
一番見せたいクノンが言ってくれた。
「クノン君」
手を重ねて立ち上がり、ミリカは言った。
「見えないかもしれないけど、ちゃんと見てくださいね。
私たちのやってきたこと。全てを」