261.おかえりなさい
「――ちょっとすっきりしたわ」
誰よりも先んじて。
準教師セイフィの放った魔術が、黒毛の羊の額を打ち抜き、仕留めた。
土魔術「
石や岩を生み出し飛ばす中級魔術だ。
ある程度、大きさを決められるのが特徴だろうか。
しかし、彼女が飛ばしたのは。
人の手で投げられるくらい小さな石ころだった。
見た目だけは。
恐らく、重量だ。
見た目以上に重くしたのだろう。
それこそ獣の皮を貫通し頭蓋骨を穿つほどに。
教師に届くかどうかという腕を持つセイフィである。
実力はあって当然だ。
まあ、なんだかよくわからないが。
すっきりしたなら何よりである。
「――あ、終わってる」
横倒しに倒れた羊をどうしようかと相談していると、リーヤとジルニが戻ってきた。
「おー。さすがにこれだけ魔術師がいると、獲物を傷付けずに仕留められるもんですね」
と、羊の状態を観察するジルニ。
「誰かとは会えた?」
クノンが問うと、リーヤは即座に答えた。
「そうそう。君、ラヴィエルトさんかダリオさんって知ってる?」
「ラヴィ……あ、ダリオ様は知ってるよ」
先の名は知らないが、後者のダリオは知っている。
ミリカの剣の師でもある、第三騎士団の騎士だ。
先日ディラシックで会った人でもあるので、記憶に新しい。
とても強くて誠実な人だ。
「そうなんだ。そのダリオさんとラヴィエルトさんが狩りをしてて、その羊を開拓地方向に追い込んでる最中だったんだって」
そんな説明をしていると、知らない顔が走ってきた。
「――クノン様ですか?」
と、相手はまずクノンに声を掛けてきた。
目立つ眼帯だけに、一目でわかったのだろう。
「こんにちは、剣を帯びたレディ。こんなところで会うなんて運命としか言いようがないね。というわけでこれは運命の出会いだね」
「……おぉ……」
女性は感嘆の息を漏らした。
「ほんとに噂通りの人だ……」
――女と見れば見境なく甘い言葉を吐く。
きっと彼女はそんな噂を聞いていて。
今、それが事実だと知って、感動しているのだろう。
そう。
クノンの噂と実際の人物像は、だいたい一致している。
これほど聞いていた通りの人はいないだろう。
「――失礼しました。私はヒューグリア王国第三騎士団団員のラヴィエルト・フースと言います。
現在、縁があってこの先の開拓地に住んでいます」
居住まいを正して、彼女は名乗った。
ラヴィエルト。
鎧も来ていない軽装で、剣を佩き弓を背負っている。
こうして見ると狩人のようだ。
歳は、二十代半ばくらいだろう。
左頬に走る傷跡が、歴戦の勇士のようだ。
「クノン様が来ることは知らされていましたので、そろそろだろうと思っていました。
それっぽい一団を見つけて思わず手を振ってしまい……行動を遮ってしまい申し訳ありません」
ラヴィエルトは、思わず手を振ってしまった。
――よく王宮魔術師が遊びに来るので、それと勘違いしたのだ。
もしそうなら、狩りの手伝いと獲物の運送を頼みたかった。
気づいてくれれば儲けもの、くらいの気持ちだった。
だが、彼らにしては人数が多すぎる。
それに気づいた時には、もう手を振った後だった。
空を飛ぶ魔術師たちを見て、思わず手を振って。
それを侍女フィレアは見てしまったわけだ。
ほんの一瞬見ただけなので、手招きしているように見えたのだろう。
「皆さんが来ると聞いて、歓迎のために獲物を狩りに来ていたんですが……歓迎する皆さんに狩ってもらったんじゃ格好つかないですね」
苦笑するラヴィエルト。
だが、時間的には間違っていないのだ。
――神の酒樽のおかげで、やってくる日程が一日二日速くなったからだ。
実際なら、クノンらがやってくる前に、狩りは終わっていただろう。
「ということは……王都から殿下と一緒に来ました?」
「はい、一緒にやって来てそのまま移住しております」
「ダリオ様と同じ第三騎士団所属?」
「はい、ダリオ先輩の後輩になります」
こんな人もいるのか、とクノンは思った。
開拓地、開拓業と言えば簡単だが、
実際は何もないところから始まる、不自由で危険も多い仕事である。
現役の騎士がいていい場所ではない。
ダリオはまだわかる。
弟子のミリカが心配で、一緒に来たのだと思う。
だが、他にも騎士がいるとは思わなかった。
「――クノン、あれ」
ハンクに呼ばれて振り返ると、空に煙が上がっていた。
狼煙だ。
きっと先行したフィレアが開拓地を見つけて、目印に焚いたのだろう。
「あ、私に構わず皆さんはどうぞ行ってください」
まあ、ここでだらだら立ち話もないだろう。
思ったより開拓地は近いようなので、さっさと移動してしまおう。
「カイユ先輩、羊運べます?」
「この大きさだもんな……たぶんギリギリだな。
リーヤ、他の連中運べるか?」
「ちょっと人数が多いけど……まあ、速度を出しさえしなければ」
「じゃあ任せた。俺は先に行く」
カイユは仕留めた羊と一緒に浮き上がり、飛んで行った。
「私は結構です。罠を仕掛けて待っているダリオ先輩と一緒に戻りますので」
後ほど集落で会いましょう、と。
ラヴィエルトは森の中へ消えていった。
――さて。
「少しトラブルがあったけど、今度こそ行こうか」
「――殿下! ミリカ殿下!」
慌てた様子で、使用人イコが駆け込んできた。
「来ましたよ! ついに!」
その言葉にミリカは顔を上げた。
来た。
ついに来た。
ついに、クノンがやってきた!
朝から台所にこもり。
料理人たちに混じって、歓迎の料理を仕込んでいたミリカは。
「あとお願い!」
「えぇっ!? 私もお出迎えしたいのにぃ!」
そんな抗議は無視して、ミリカは台所を飛び出し、長い廊下を走る。
髪が落ちないよう結んでいた三角巾を取り。
汚れたエプロンを投げ捨て。
玄関ドアの近くにある鏡で顔と髪型をチェックして。
頬についていた小麦粉を袖で拭い。
そうして、ドアを開けた。
「おかえりなさい!」
ここは将来、婚約者の物になる場所。
彼には「帰ってきた」と言っていい場所になる。
両手を広げて、全身で歓迎の意を示し――
「はい?」
そこには銀髪の少女がいた。
ものすごく冷めた目を向けている。
両手を広げて固まるミリカ。
周囲を探しても、婚約者はいない。
一番会いたかった彼は、いない。
「ただいま戻りました」
どうすればいいか迷った聖女は、ミリカに抱きついた。
そこまで歓迎してくれるなら、と思ったから。
その気持ちに応えないといけないんじゃないか、と思ったから。
――おまえじゃない!!!!
ミリカは激しくそう言いそうになったが。
彼女が歴とした聖教国の要人だったことを思い出し。
軽く抱きしめ返した。
何してるんだ私は、と思いながら。
魔術師クノンは見えている、コミックス2巻が本日発売されました。
よろしくお願いします。