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259.あと少し

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 人里からどんどん遠ざかり。

 ついには、人の手が入った痕跡がなくなっていた。


 枝に残雪を残す木々と、ぬかるむ地面と。


 そんなものばかりになってきた頃、最後の休憩を取ることになった。


「――素晴らしい」


 地面に触れたり。

 近場の草木を観察したり。


 自然を満喫している聖女レイエスは、無表情で呟いた。


 なんという肥沃の土。

 冬ゆえに木々は葉を散らしているが、それでも強い生命力を感じる。


 開拓地と聞いて期待しかしていなかったが。


 すでに期待以上だ。

 期待以上の僻地だ。


 ディラシックやセントランスの土地もいいのだが。

 やはり、これだけ距離が開くと、土の質や生態系が結構違う。


 興味深い。

 これは研究のし甲斐がありそうだ。


 滞在一ヵ月で足りるだろうか。

 今やそれだけが心配である。


「あ、その辺ありそう。そこの木の根の間かな」


「了解です、先生」


 木々を観察しているレイエスをよそに。


 準教師セイフィと侍女ジルニは、山菜の採取中である。


 セイフィは魔術で地中を探索し。

 ジルニは地面の中にある、食材を探す。


「あ、冬トウゲだ。強めに塩振って焼いたら酒に合うんだよなぁ」


 ほどなく丸いキノコを掘り起こした。


 黒く丸い球体だ。

 トリュフにしか見えないが、トリュフではない。


「――冬トウゲと言えば、生でも食べられるキノコでしたね。食べても?」


 レイエスがこちらにやってきた。


「食べられますが、一応火を通しましょう。キノコは当たるとヤバイですから」


「そうですか。残念です。……一口だけなら?」


「ダメですね」


 普段は呑んだくれのジルニでも、護衛としてそこは譲らなかった。





「なんで? 何が違うんだろ?」


 最後の賄い料理の仕込みに入っている、侍女リンコは。


 すぐ隣にいるハンク・ビートに興味津々だ。


「だから魔術だよ」


「そんな冗談はもういいから教えてくださいよ」


「いや、最初から素直に答えてるんだけどな」


 ハンクは肉を焼いている。


 目的地は間近だ。

 保存食の干し肉を使い切るつもりで、水で戻して火を入れているのだ。


 ――リンコは不思議だった。


 何の変哲もない携帯用フライパンで、普通に干し肉を焼くだけ。

 それだけに見える。


 なのにこの香りはなんだ。

 かぐわしく広がる脂の匂いは、上質な肉のそれとしか思えない。


 貴族が食べるような肉だ。

 決して保存食の干し肉が発せるものではない。


 ディラシックにて。

 クノンの財力に頼り、高いレストランに行きまくっているリンコである。


 味と素材の良さは、わかる。

 料理人志望だけに、調理法におかしなところがないことも、わかる。


 だからこそ。

 わかるだけにわからないのだ。


 なぜ干し肉が、こんなにも美味しそうなのか。

 いや、実際味もいいのだ。 


 これまでの賄いで食べてきた、ハンクの干し肉や燻製肉。

 それらは、リンコの知っているものとは全然違った。


 段違いに旨いのだ。

 レストランで食べた肉とも遜色がないくらいに。


「本当に魔術なんだよ。肉を美味しく焼く火の魔術だ。これはそういう火なんだ」


「そんなのいいから真実を教えてくださいよ。情報料ですか? それならクノン様から貰ってください」


「いやいや、本当に火なんだよ。変わった火で焼いてるだけ」


 リンコは信じなかった。

 ハンクは説明に困った。


「そんな火ないでしょ」


「あるんだよ。というか作った。クノンが教えてくれたんだ、ないなら作れって」


「え? クノン様が? つまり……」


 逡巡し、リンコは言った。


「スパイスが決め手ってことですね?」


「クノンの教えどこいった。だから魔術だってば」


 賄いの時間はいつもこうなので、もう誰も気にしない。





「ここからあと少しです」


 クノンと侍女フィレア、カイユ、リーヤは最後の打ち合わせをする。


 一度も行ったことがない開拓地だ。

 近くに人里などないので、迷ったら大変なことになる。


 最悪、大きく後退することになるだろう。


 ここは慎重になっていいはずだ。


「目印は……あの山ですね」


 と、フィレアは遠くに見える山脈を指差す。


「地図によれば、現在地とあの山の直線上に、開拓地があることになります」


「そうだね。可憐な君の言う通りだよ」


「近くまで行けば、きっと何かの建造物くらい見えるんじゃないかな」


「そうだね。僕は見えないけど」


「二、三十人は開拓民がいるんだよな? だったら生活の痕跡くらいあるだろ」


「だといいんですが」


 クノンの女性への相槌が露骨なのは、今更なので誰も触れない。


 ――だが、ここで。


「なあ、ちょっといいか」


 カイユが、フィレアとリーヤを見る。


「ここから先はプライベートが怪しくなりそうだから、先に言っておきたい。


 俺は女だ」


「「は?」」


 魔術学校の卒業生で、かなり見目のいい男。

 今は特定の教師に弟子入りし、学んでいる最中。


 カイユの情報はこんなものだった。


 ここに――突然、予想外の情報がやってきた。


 フィレアもリーヤも、予想していなかった。


 確かにカイユは、男にしては線が細いとは思っていたが……


 でも、細い魔術師なんてたくさんいる。


 やせ細った魔術師なんてざらだ。


 寝食を忘れて没頭する魔術師なんて珍しくない。

 だから、カイユのような男もいるのだ。


「こんな身なりだけど、男じゃないんだよ。マジで。ちょっと都合があって」


「待ってください」


 さすがにこんな嘘は吐かないだろう。


 そう思ったがゆえに、フィレアは信じた。


 信じたがゆえに――言わねばならない。


「カイユ様、その件は内密にいたしませんか?」


「あ? いや、だって行くの開拓地だろ?

 家が足りないとか部屋が足りないとか生活スペースが狭いとか。共同施設ばかりとか。足りないものばかりだと思うぜ」


 開拓が始まって、半年は過ぎているが。


 それでも。

 まだまだ足りないものばかりだろう、とカイユは考えている。


「そんな環境だと、隠し切れるとは思えねえ。だから事前に話しとこうと」


 思ったわけだ。


 確かに、事前に教えておくべきかもしれない。

 いきなり予期せぬタイミングでバレるより、よっぽどマシだ。

 

「気持ちはわかりますし、カイユ様の事情に踏み込む気はありません。

 ただ……セイフィ様が」


「セイフィ先生?」


「……あの方、あなたにちょっと気がありますよ?」


「は? ……え、マジで?」


「はい。リーヤ様もそう思いますよね?」


「ええ、僕もそうだと思います」


「ふうん……そうか」


 と、カイユはニヤニヤし出した。


「よし、先生からかってこよっと」


 フィレアが「悪趣味」と呟き。

 リーヤが「やめましょうよそういうの」と注意するが。


「どうせバレるなら早い方がいいだろ。笑い話にでもした方がまだ傷も浅いだろうし。

 いやぁ、モテる()はつらいなぁ」


 それだけ言い残し、カイユは行ってしまった。


 それはそうだが。

 それは確かにそうなのだが。


 モテる女云々はどうでもいいが。

 早い方が傷が浅いのは確かだろうが。


「ねえねえ」


 ずずいと、難色を示す二人にクノンが近づく。


「セイフィ先生ってカイユ先輩が好きなの? ほんとに? どの辺でそう思ったの? 僕そういうの全然わかんないから教えてほしいんだけど。


 ――え? 顔に書いてあった? ああ、僕そういうの見えないからなぁ」


 最後の休憩、クノンたちは恋愛の話をした。





 開拓地まで、あと少し。





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