259.あと少し
5/21 修正しました。
人里からどんどん遠ざかり。
ついには、人の手が入った痕跡がなくなっていた。
枝に残雪を残す木々と、ぬかるむ地面と。
そんなものばかりになってきた頃、最後の休憩を取ることになった。
「――素晴らしい」
地面に触れたり。
近場の草木を観察したり。
自然を満喫している聖女レイエスは、無表情で呟いた。
なんという肥沃の土。
冬ゆえに木々は葉を散らしているが、それでも強い生命力を感じる。
開拓地と聞いて期待しかしていなかったが。
すでに期待以上だ。
期待以上の僻地だ。
ディラシックやセントランスの土地もいいのだが。
やはり、これだけ距離が開くと、土の質や生態系が結構違う。
興味深い。
これは研究のし甲斐がありそうだ。
滞在一ヵ月で足りるだろうか。
今やそれだけが心配である。
「あ、その辺ありそう。そこの木の根の間かな」
「了解です、先生」
木々を観察しているレイエスをよそに。
準教師セイフィと侍女ジルニは、山菜の採取中である。
セイフィは魔術で地中を探索し。
ジルニは地面の中にある、食材を探す。
「あ、冬トウゲだ。強めに塩振って焼いたら酒に合うんだよなぁ」
ほどなく丸いキノコを掘り起こした。
黒く丸い球体だ。
トリュフにしか見えないが、トリュフではない。
「――冬トウゲと言えば、生でも食べられるキノコでしたね。食べても?」
レイエスがこちらにやってきた。
「食べられますが、一応火を通しましょう。キノコは当たるとヤバイですから」
「そうですか。残念です。……一口だけなら?」
「ダメですね」
普段は呑んだくれのジルニでも、護衛としてそこは譲らなかった。
「なんで? 何が違うんだろ?」
最後の賄い料理の仕込みに入っている、侍女リンコは。
すぐ隣にいるハンク・ビートに興味津々だ。
「だから魔術だよ」
「そんな冗談はもういいから教えてくださいよ」
「いや、最初から素直に答えてるんだけどな」
ハンクは肉を焼いている。
目的地は間近だ。
保存食の干し肉を使い切るつもりで、水で戻して火を入れているのだ。
――リンコは不思議だった。
何の変哲もない携帯用フライパンで、普通に干し肉を焼くだけ。
それだけに見える。
なのにこの香りはなんだ。
かぐわしく広がる脂の匂いは、上質な肉のそれとしか思えない。
貴族が食べるような肉だ。
決して保存食の干し肉が発せるものではない。
ディラシックにて。
クノンの財力に頼り、高いレストランに行きまくっているリンコである。
味と素材の良さは、わかる。
料理人志望だけに、調理法におかしなところがないことも、わかる。
だからこそ。
わかるだけにわからないのだ。
なぜ干し肉が、こんなにも美味しそうなのか。
いや、実際味もいいのだ。
これまでの賄いで食べてきた、ハンクの干し肉や燻製肉。
それらは、リンコの知っているものとは全然違った。
段違いに旨いのだ。
レストランで食べた肉とも遜色がないくらいに。
「本当に魔術なんだよ。肉を美味しく焼く火の魔術だ。これはそういう火なんだ」
「そんなのいいから真実を教えてくださいよ。情報料ですか? それならクノン様から貰ってください」
「いやいや、本当に火なんだよ。変わった火で焼いてるだけ」
リンコは信じなかった。
ハンクは説明に困った。
「そんな火ないでしょ」
「あるんだよ。というか作った。クノンが教えてくれたんだ、ないなら作れって」
「え? クノン様が? つまり……」
逡巡し、リンコは言った。
「スパイスが決め手ってことですね?」
「クノンの教えどこいった。だから魔術だってば」
賄いの時間はいつもこうなので、もう誰も気にしない。
「ここからあと少しです」
クノンと侍女フィレア、カイユ、リーヤは最後の打ち合わせをする。
一度も行ったことがない開拓地だ。
近くに人里などないので、迷ったら大変なことになる。
最悪、大きく後退することになるだろう。
ここは慎重になっていいはずだ。
「目印は……あの山ですね」
と、フィレアは遠くに見える山脈を指差す。
「地図によれば、現在地とあの山の直線上に、開拓地があることになります」
「そうだね。可憐な君の言う通りだよ」
「近くまで行けば、きっと何かの建造物くらい見えるんじゃないかな」
「そうだね。僕は見えないけど」
「二、三十人は開拓民がいるんだよな? だったら生活の痕跡くらいあるだろ」
「だといいんですが」
クノンの女性への相槌が露骨なのは、今更なので誰も触れない。
――だが、ここで。
「なあ、ちょっといいか」
カイユが、フィレアとリーヤを見る。
「ここから先はプライベートが怪しくなりそうだから、先に言っておきたい。
俺は女だ」
「「は?」」
魔術学校の卒業生で、かなり見目のいい男。
今は特定の教師に弟子入りし、学んでいる最中。
カイユの情報はこんなものだった。
ここに――突然、予想外の情報がやってきた。
フィレアもリーヤも、予想していなかった。
確かにカイユは、男にしては線が細いとは思っていたが……
でも、細い魔術師なんてたくさんいる。
やせ細った魔術師なんてざらだ。
寝食を忘れて没頭する魔術師なんて珍しくない。
だから、カイユのような男もいるのだ。
「こんな身なりだけど、男じゃないんだよ。マジで。ちょっと都合があって」
「待ってください」
さすがにこんな嘘は吐かないだろう。
そう思ったがゆえに、フィレアは信じた。
信じたがゆえに――言わねばならない。
「カイユ様、その件は内密にいたしませんか?」
「あ? いや、だって行くの開拓地だろ?
家が足りないとか部屋が足りないとか生活スペースが狭いとか。共同施設ばかりとか。足りないものばかりだと思うぜ」
開拓が始まって、半年は過ぎているが。
それでも。
まだまだ足りないものばかりだろう、とカイユは考えている。
「そんな環境だと、隠し切れるとは思えねえ。だから事前に話しとこうと」
思ったわけだ。
確かに、事前に教えておくべきかもしれない。
いきなり予期せぬタイミングでバレるより、よっぽどマシだ。
「気持ちはわかりますし、カイユ様の事情に踏み込む気はありません。
ただ……セイフィ様が」
「セイフィ先生?」
「……あの方、あなたにちょっと気がありますよ?」
「は? ……え、マジで?」
「はい。リーヤ様もそう思いますよね?」
「ええ、僕もそうだと思います」
「ふうん……そうか」
と、カイユはニヤニヤし出した。
「よし、先生からかってこよっと」
フィレアが「悪趣味」と呟き。
リーヤが「やめましょうよそういうの」と注意するが。
「どうせバレるなら早い方がいいだろ。笑い話にでもした方がまだ傷も浅いだろうし。
いやぁ、モテる
それだけ言い残し、カイユは行ってしまった。
それはそうだが。
それは確かにそうなのだが。
モテる女云々はどうでもいいが。
早い方が傷が浅いのは確かだろうが。
「ねえねえ」
ずずいと、難色を示す二人にクノンが近づく。
「セイフィ先生ってカイユ先輩が好きなの? ほんとに? どの辺でそう思ったの? 僕そういうの全然わかんないから教えてほしいんだけど。
――え? 顔に書いてあった? ああ、僕そういうの見えないからなぁ」
最後の休憩、クノンたちは恋愛の話をした。
開拓地まで、あと少し。