25.黒の塔を後にした
2021/08/18 修正しました。
「「すみませんでした」」
すっ飛んできた騎士たちと文官にしこたま怒られた王宮魔術師とクノンは、一番の被害者である、悲鳴を上げたメイドにしっかり謝った。
外から見ていた彼らは、城の中からそれがどう見えるのか、まるで考えていなかった。
城から大勢の者たちが走ってやってきたのさえ、平然と「何かあったのかな」と不思議そうに迎えたくらいだ。
クノンの「水人形」が、城からは飛び降りのように見えたことで王城内が結構なパニックになったと聞き、平謝りだ。
王宮魔術師総監ロンディモンド自らが、自分たちの減俸をその場で宣言し、減俸分がそのまま慰謝料として彼女に渡ることで和解が成立した。
こうして決着が付いた後、平謝りした王宮魔術師たちを残して、兵士や騎士たちは引き上げていった。
――今朝「大滑り事件」でレーシャとクノンを捕まえた騎士の視線が痛かった。まあクノンは見えないのでわからないが。レーシャの心にはしっかり届いていた。
「……やれやれ。少々調子に乗ってしまったようだ」
ロンディモンドはやれやれと溜息を吐く。
「これはどこまで飛ばせる? やったことない? 試してみようではないか」と言い出した張本人である。
「人を飛ばすのはダメですね……面白かったけど」
レーシャも溜息を吐く。
「もっと速く! もっと速く!」とはやし立てた張本人である。
「僕、午前中だけで二回怒られてるんですけど……」
その大元になっているクノンも溜息を吐いた。
初王城で、午前中だけで、二回もだ。
一回ならまだ厳重注意で終わりそうだが、二回はない。二回は絶対に多い。
あとで父親から必ず叱られるだろう。
非常に憂鬱である。
「――で、この子どうするんですか?」
同じくテンションが駄々下がりの王宮魔術師の一人……声からして魔術師ビクトが、クノンの処遇をロンディモンドに問う。
「そうだね。落ち込んでばかりいても始まらないし、気を取り直そうか」
取り直すのが早すぎて反省の色がまったく感じられないのだが、確かに落ち込んでいても話が進まないので今は仕方ない。
「――わーい」
わーっと「超軟体水球」に飛び込む者がいたり、
「――猫よこせよ!」
「――触るな! 私が育てるんだよ!」
「水猫」を取り合う者がいたりと、本当に反省の色が見えない。
でも、クノンも気にしないことにした。
魔術に失敗は付き物、実験して失敗して少しずつ進歩していくのだ。
いちいち気にしていても仕方ないだろう。
それにしても早すぎるという話だが。
「次は論じあうとしようか。昼食を食べながら話そう、クノン君」
「はい。ちなみに僕のテストの結果は?」
「聞かなくてもわかるだろう。君の師については私が責任を持って考えようではないか」
つまり、合格ということだ。
薄々わかってはいたが、ちゃんと言葉にしてもらって、一気に喜びが込み上げてきた。
「――……やった! やったぁ!」
クノン・グリオン。九歳。
冬のある日、王宮魔術師に認められる。
貴族の令息としてではなく、ただの見習い魔術師として。
初めて己の手で勝ち取った実績だった。
――そして公式に語られる汚点が二つ増えた日でもあった。
「――私が来た理由はわかるな?」
昼食を取りながら、楽しい楽しい王宮魔術師たちとの語らいが続いた。
興味深い実験、失敗談、新たな魔術の考察。
必死で勉強してきたクノンの知識を軽々凌駕する話が次々飛んでくる。
クノンはとにかくメモを取った。
一言一句聞き漏らしがないよう、絶対に忘れないよう、この貴重な時間を記録していく。
――そして、そんな楽しい時間は、父アーソンがやってきたことで終わりを迎えた。
魔術師の誰かが告げた「クノン君、お父さん来てるよ」の声。
言葉の意味がちゃんと頭に入ったところで、自分でもわかるほどさーっと顔から血の気が引いた。
来た。
ついに来てしまった、と。
見送りのレーシャに連れられて黒の塔の玄関に行くと、もう気配からして怒っている父親が仁王立ちしていた。
そして言った。
私が来た理由はわかるな?と。
「あのう、父上、今日は僕夜のディナーの約束があるので、帰りはご一緒できないんですが……」
動揺で言葉使いがおかしい息子に、父親は容赦しなかった。
「二回だぞ。父は今日、午前中だけで、二回も息子の不評を聞いたぞ。どういうことだクノン?」
「……すみません、調子に乗りました」
やはり案の定、二回もやったことで怒られた。
一回だけならまだしも二回もだから、さすがに許してくれなかったのだ。
本当は一回でも駄目なのだが。
「――いえグリオン卿。クノンは悪くありません、私や他の魔術師がそうするよう指示を……」
クノンを庇おうとするレーシャを、父親は「それは違います」と厳しい声で遮る。
「私は魔術に明るくないですが、何があろうと術者に責任がないとは言えないと考えます。
そんなことを言っていたら、誰かに言われたから人を傷つける、誰かに命令されたから人を殺す、それらが誰かのせいで許されるようになってしまう。
クノン、わかるな?
私がなぜ、おまえに攻撃に使用するような魔術を教えないようにしたのか。
まだ、自分の使用する魔術でどうなるか考えないからだ。だから今日のような騒ぎを起こすのだ。
誰に何を言われようと、誰かを傷つけたり何かを傷つけたりすると思えば、拒否しなさい。
誰かにやれと言われたからやった、そして悪い結果になった。
だが誰かに言われてやっただけだから自分は悪くないなど、そんな無責任は許されない。
魔術は力だ。
力を振るう以上、何をするにも責任は常につきまとう。
これから本格的に魔術を学ぶのなら、無責任な子供でいることも卒業しなさい。
自分の使う魔術で何がどうなるか、ちゃんと考えて使いなさい」
「……はい。すみませんでした」
クノンは素直に謝った。
父親の言う通りだ。何一つ言い返せない。
たとえロンディモンドの指示でも、どうなるかくらいは考えて使えばよかったのだ。
「水人形」を王城近くまで飛ばしたのはクノンだ。
どうして黒の塔が王城から離れているかを考えれば、王城方面に魔術を飛ばすべきではないことは、すぐに察することができたはずだ。
言い訳はできない。
「……なんかすみません」
本当にクノンをはやし立てて魔術を使わせた一員であるレーシャは、魔術師一同に変わって一緒に頭を下げた。
「なぜレーシャ様まで……いえ、もういいでしょう」
とにかく、この件はこれで終わりだ。
父親もあまり引きずるべきではないと思う――息子の未来の職場になる可能性が高くなった今、必要以上に揉める理由はない。
この時間までクノンはここにいたのだ。
それこそが、王宮魔術師たちに気に入られた証拠である。きっとテストも合格したのだろう。
「ではクノン、私は帰るからな。おまえもそろそろ殿下の下へ向かうといい」
「はい。……え?」
「くれぐれもミリカ殿下に失礼のないようにな」
出入り口の近くで「超軟体水球」に埋まって寝ている魔術師たちをなんとも言えない顔で一瞥し、父親は行ってしまった。
そして、残されたクノンは言葉の意味を測りかねていた。
楽しい話に夢中になり過ぎて、時間の感覚を完全に失っていたのだ。
実際は、もう夕方である。
父親は少々早上がりの時間になるが――ディナーの前にクノンを叱っておきたかったのだろう。
楽しいことの前に、浮かれる前に。
「そうね。そろそろミリカを迎えに言った方がいいかも」
「え? あれ? もしかして、もうそんな時間なんですか?」
空は赤いどころか、もう暗くなってきているくらいだ。
見えないクノンにはわからないが。
――こうして、名残り惜しい気持ちだけを抱えたクノンは、黒の塔を後にするのだった。
「あ、ちょっと待って」
一旦部屋に戻って、クノンが帰ることを告げて仲間にブーイングを浴びせられたレーシャが戻り、さあ行こうと歩き出そうとしたところで彼女が止めた。
「せっかくだし、合わせ技で素早く行きましょう」
「はい? 合わせ技?」
「そこで寝てる人たちの柔らかい『
「はい、できますが……?」
「じゃあ出して」
言われるまま、クノンは「超軟体水球」を出す。
「よいしょ、っと。ほら、クノンも乗って」
「は? はい……」
何をするつもりなのかわからないが、不安半分期待半分でクノンも「超軟体水球」に乗った。
二人して乗ったところで、「水球」を操作して浮かせる。
「――私の紋章は風なのよ。重力がないなら風の推進力で進めるはずだわ」
「僕が操作してある程度の速度は出せますけど」
「相乗効果よ」
面白い、とクノンは思った。
相乗。
つまり合わせ技で飛ぶのか。
クノン自身の魔術操作と、レーシャの風の力で、どこまで速度が出せるのか。
――黒の塔に来て貴重な話はたくさん聞いたが、肝心の彼らの実力はほとんど実感できないままだった。
最後の最後で面白い実験ができると言うなら、大歓迎だ。
「そもそも『
「興味深いのはお互い様です。僕もあなたに興味津々です。きっといたずらな風のように子供を翻弄する魔性の女性なんでしょうね」
「なんで子供限定にしたの? 子供限定の魔性の女だと特殊な趣味っぽいんだけど。――まあいいわ、さあ行くわよ!」
「柔らかくてよかったわね」
「柔らかくてよかったですね」
クノンの操作とレーシャの風。
二つを組み合わせた結果、とんでもない速度で飛んで、身体を打つ風の強さにクノンが操作を誤り、見事にバランスを崩して不時着した。
「すみません、僕のミスです……」
「いえ。初めてやる以上、失敗のリスクを念頭に置いておくべきだった。私の監督ミスだわ」
かろうじて「超軟体水球」を二人に巻き付けるように操作したことで、クッションにしてなんとか無傷で生還した。
激しく地面をはずみ転がり、ようやく止まったところで二人は立ち上がる。
二人とも、あまりの恐怖に、生まれたてのシカのように足ががくがくしていた。
本当に。
下手をしたら、死んでいた。そんな速度だった。
「もっと実験が必要だわ」
「そうですね」
結果事故になりかけたが、これはこれで運搬や移動の歴史が変わる発見――
「――三回目ですね、レーシャ様」
「……」
どうやら二人が地面を転がっているのをどこかで見て、走ってきたのだろう。
今朝二人を捕まえた騎士と、本日三度目の再会だった。
二人ともすっごい怒られた。