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257.説明をしておく





 魔術都市ディラシックから聖教国セントランスへ。


 その堺。

 国境を守る砦で、一泊する予定である。


「――集まっていただいてありがとうございます」


 時刻は、各々が夕食を取った後。

 あとは寝るだけ、という遅い時間だ。


 使っていない砦の客間に、クノンたちは集められた。


 呼び出したのは聖女レイエスである。

 侍女二人を後ろに付け、彼女は話し始めた。


「皆さんに集まってもらった理由は、気になっているでしょうこれ(・・)に関してです」


 何事か、と思っていた面々もいるが。


「これ」と言われて聖女が指す、彼女の真横に置いてある大きな樽。

 それを見て、納得する。


 ――そう、それがおかしいのだ。最初から。


 旅の基本は、余計な物を持たないことだ。

 どれだけ必要なものを厳選できるかで、旅の快適度が段違いになる。


 そこに、あの大樽だ。


 明らかに場違い。

 明らかに旅の所持品に適さない一品。


 だから、当然思うわけだ。


 何か理由があって持ってきたに違いない、と。

 そして、聖女が呼び出した理由は、きっと大樽の説明だろう、と。


「できるだけ隠しておこう、という方向で考えていたのですが。

 もはや隠すことが困難と考えたので、皆さんに話しておくことにしました」


 隠すことが困難。

 それはきっと、彼女の侍女のせいだろう。


 彼女の行動で、樽には酒が入っていることがわかってしまったから。


「耳に入れておいてください。


 ――これは『酒を捧げよ(アゥゲ・)神の渇きを癒せ(ナルゥ・ズィガ)』、通称神の酒樽です」


 全員が息を呑んだ。

 

 聖女が普段通りの無表情で、とんでもないことを言った。


 神の酒樽。

 まさかの神器である。


 魔術師なら知っていて当然。

 魔術師じゃなくても、「神の酒樽」という名称くらいはどこかで聞いたことがあるだろう。


 神の作りし酒樽。

 神話に出てくるような、伝説の道具だ。


「ほんとに? 普通の樽じゃないことはわかったけど……」


 クノンは、「あの大樽は魔道具だろう」くらいは思っていた。


 実際に強い魔力を感じる。

 だから間違いないだろう、と。


 だが。


 事実はもっと、とんでもない代物だった。


「はい。グレイ先生……グレイ・ルーヴァから直々の依頼を受けて、これで酒を作るよう渡されました」


 グレイ・ルーヴァ。

 世界一の魔女の名前が出たら、納得できた。


 彼女なら神器の一つや二つ、持っていてもおかしくないから。


「そんなこと明かしていいの?」


 と、準教師セイフィがもっともなことを言う、が。


「問題ないと判断しました。この中に酒好きがいて、軽い気持ちで要求される方が困ります。大樽を持ち歩くのも不自然ですし、断るにしても不自然さが際立ちそうですから。

 変に探られるのも困りますからね」


 まあ、すでに色々不自然だったので、その心配はわかる。


 なぜ旅に酒樽を?

 なぜあんな大きな物を持ってきた?


 探られたくない、という聖女が言う通りだ。


 すでに何人かは興味を向けていた。

 だって不自然だから。


 クノンなんて、隙あらば聞こうと思っていたくらいだ。

 魔道具だと思っていたから。


「そもそもの話、明かせない理由がないのです」


 そうだろうか、と首を傾げる一同に。


 聖女は核心に触れた。


「――この中に、あのグレイ・ルーヴァの私物に手を出そうなんて命知らず、いますか?」


 いない。


 即答できる。

 そんなのいるわけがない。


 帝国、聖教国、新王国の侵攻を一人で……三国を相手に戦争して、互角に持ち込むような人である。


 いや、本当は互角じゃないだろう。


 彼女は自分のテリトリーを守るためだけに戦ったという。

 ならば、もし攻勢に出ていたら?


 きっと三国は今頃、地図には存在しなかった。


 そんな危険人物の逆鱗に触れたいものか。


 魔術を知れば知るほどに。

 あの人の存在は遠くなっていくのだ。


 近づいているはずなのに。


 それくらい、偉大で、想像も及ばない力を持っている。


 あれに逆らってはいけない。絶対に。


「仮に盗んだところで、彼女から逃げ切れると思いますか?」


 逃げ切れないだろう。


 彼女自身が探すだろうか。

 世界一の魔女から逃げ切れるとは思えない。


 更には、彼女が一声掛ければ。

 一言「盗まれた物を取り返せ」と発すれば。


 きっと世界中の魔術師が動く。

 魔術師だけじゃない、いろんな国だって動くだろう。


 あのグレイ・ルーヴァに貸しを作れる機会である。

 それだけで充分の褒美が期待できる。


 どうやっても逃げ切れる未来が見えない。


 そんな先のない愚かな行為、誰がするものか。





「そういうわけで、話しておきました」


 確かに納得できた。

 聖女が話した理由にも。


 話した方が盗難の恐れがない、というのも同感だ。

 むしろ全員で守ることさえ考える。

 

 あの人を怒らせてはならない。

 絶対にだ。


「そして、私にとっても説明しておいた方が都合がいいのです。


 ――まず、クノン」


「ん?」


 返事をするクノンは、少々上の空だ。


 クノンはすでに、神の酒樽を観察していた。

 吸い寄せられるように近づいて。


 己が興味を隠そうともしない。


「私は酒を作るために、果実や香草を育てねばなりません。

 地主であるあなたには、どこかのタイミングで酒樽のことを話そうと思っていました。ぜひ現地で畑を作ることを許してください」


 これから向かうヒューグリアの開拓地は、いずれクノンが拝する土地。


 そう、つまりクノンは地主である。


「いいよ。素敵な君の素敵なお願いを聞かない紳士なんて素敵じゃないからね」


 と、クノンはいつも通りに軽く答えた。


 神の酒樽に向かって。


 もはや女性に言う形さえ取り繕う気がないらしい。


 もう言わなければいいのに。


「それで、皆さんにもお願いがあります」


 驚くべき事実が告げられた。

 魔術師の多いこのメンツ、神器に興味を抱かないわけがない。


 そんな彼らに、聖女は言った。


「酒の味見をお願いしたいのです。私は年齢制限で吞めませんので、ぜひ意見を聞かせてほしいのです。

 参考意見は多い方がありがたいので」


 ――実はこのメンツ、クノンと聖女とリーヤ以外、飲酒できる年齢なのだ。


 呑めない方が少数派なのだ。


「え、僕も呑みたい!」


「ダメです。ヒューグリアは十五歳からでしょう?」


 すかさず挙手したクノンを、聖女は即座に却下した。


「――すみません、発言をお許しください」


 間髪入れず、更にもう一人。

 クノンの連れてきた侍女が挙手した。


「もしお酒を分けていただけるなら、料理に使うのはどうでしょうか? そっちの使い方なら年齢問わず全員楽しめると思います」


 聖女が許可すると、つらつらとそんなことを言った。


「なるほど、料理に」


 火を通せば酒精が抜ける。

 酒としては楽しめないが、違う形で酒を身体に入れることはできる。


 ――感情の乏しい聖女でも、この酒を味わってみたいとは、漠然と思っていた。


 ジルニが旨い旨いとがばがば呑んでいて、興味が湧いたのだ。ほんのりと。


「少量であれば構いません」


 聖女が言うと、クノンと侍女は喜んだ。


「――やった! お手柄だよリンコ!」


「――はっはっはー。この私がやってやりましたよクノン様ー」


 全員が思った。

 あいつら仲いいな、と。





 驚きの真相を聞かされた翌日。


「確かに調子がいい」


 まだ空が藍色に染まる早朝。

 今日も早くから、移動である。


 昨夜、あの酒を呑んだカイユの体調は、すこぶる良い。


 長時間の「飛行」による疲労が残っていない。

 これなら今日も快調に飛ばせるだろう。


 一滴だけ酒を落とした紅茶を呑んだリーヤも、調子がよさそうだ。


「おいクノン、神都リビラには寄らないんだよな?」


 神都リビラとは、セントランスの首都である。


 大神殿がある大きな街で、非常に賑わっている。


「はい。えっと……このルートを通ります」


 だが、今回の旅では通らない。


 クノンは地図を出して、改めて今日移動するルートを伝える。


 聖女の実家たる大神殿があるリビラだが。

 早くヒューグリアへ抜けたいので、別ルートを行く予定だ。


「寄るなら帰りですね。レイエス嬢にもそう伝えてあります」


「そうか。わかった」


 この日から二日と半日を掛けて、聖教国セントランスを抜けた。


 途中で新たな酒を仕込みつつ、旅は続く。





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