254.ヒューグリアへ行く準備 前編
「――というわけで、予定通りヒューグリアに行くから」
夕食の席。
クノンは侍女リンコに、これからのことを話す。
ヒューグリアへ行く。
先日、ミリカがやってきた直後から、そういう話は出ていた。
「いよいよ行くんですね」
前もって相談していたので、侍女の反応は薄い。
「うん。詳しい日程はこれから決めるけど、できるだけ早く行くつもり」
リーヤ・ホースと、ハンク・ビート。
彼らから同行する返答があったので、決定した。
他の魔術師も探してはいたが。
どうにもこれ以上の増員は望めそうにないので、打ち切りにした。
同期である聖女レイエス、リーヤ、ハンク。
ロジー・ロクソンの弟子カイユ。
準教師セイフィ。
以上の五名を集めることができた。
結果は悪くない、とクノンは思っている。
特にセイフィの存在だ。
彼女は教師志望で、なれるかなれないか、という線の実力を有しているそうだ。
すごく簡単に言えば、特級クラスの卒業生なのである。
それだけの事実でも充分期待が持てる。
希少度で言えば、光属性の聖女だが。
今回のメンバーで一番の実力者と言えば、彼女だろう。
「君はどう? 決めた?」
クノンは侍女に選択を委ねたのだ。
ヒューグリアへ行くか、それともこのままディラシックに残るか。
ヒューグリアでの滞在は、一ヵ月から二ヵ月を予定している。
その間どうするか、と。
――どっちでもいい、というのがクノンと侍女双方の意見である。
行った先にも使用人はいる。
だから、強いて連れていく理由がないのだ。
クノンが不在の間、留守番をしてもらうのも悪くない。
この家を維持し、クノンへの用事や手紙、荷物などを受け取ったり。
その辺を管理してくれるのはありがたい。
もちろん、同行したらしたで役に立ってくれるだろう。
「かなり迷ったんですが、里帰りも兼ねて一緒に戻ろうかと思っています」
なるほど、とクノンは思った。
今後帰る予定があるかはわからない。
ならば、帰れる機会に帰ってもいいだろう。
ここから先、里帰りの機会など、もうないかもしれないのだから。
「家族に会ったり? あ、婚約者に会ったり?」
「ええ。実は――」
侍女は語った。
――少し前に、クノンが「僕の領地に店をプレゼントするよ」と約束してくれた。
その後。
侍女はすぐに、ヒューグリアの婚約者に手紙を書いた。
この約束の件を伝え、クノンが賜る領地へ行くように指示を出したのだ。
ここは先行して居場所を作っておけ!
今の内に店を建てる場所に目を付けろ!
……と。
筆圧からか。
それとも便箋に大きく書き殴った文字から侍女の想いが通じたのか。
あまり返事を書かない婚約者も、すぐに返してきた。
今すぐ向かう、と。
「そうなんだ。じゃあ今僕の貰う開拓地にいるの?」
「いるはずですよ。クノン様の将来の妻に媚びへつらって低姿勢で生きているはずです」
――心配はしてないが、クノンが口約束を反故にしないように。
外堀を埋めるつもりで。
また、一番立地条件のよさそうな土地を確保するために。
クノンは約束を守るだろう。
ここで一緒に生活する上で、侍女はクノンの誠実さを理解している。
その心配はしていない。
女生との約束なら、尚更守るだろう。
だが、怖いのはクノンではなく。
クノンの婚約者だ。
彼女が拒否した場合、クノンがどうするか。
それが読めない。
見る限り、夫婦の立場や力量差で見たら、あっちの方が強そうだった。
あれは処すタイプだ。
クノンを立てつつ、裏で行動する恐ろしいタイプだ。
――まあ何にせよ。
どちらにも媚びを売っておいて間違いはないだろう。
権力者の気まぐれなど、当てにしてはならない。
とっかかりはそれでもいいが、最終的には己の力で勝ち取るべきなのだ。
「なら一緒に帰ろうか。数日中には発つから準備しておいてね」
「数日中? そんなに早いんですか?」
「皆それぞれ予定があるから。早めに行って早めに戻ってくる予定だよ」
単位問題が片付いているわけではない。
色々と策は練っているが、上手く行く保証もない。
時間を無駄にはできない。
そして、詳しいことは現地で様子を見てから、だ。
「それで――結局クノン様は何人連れていくつもりですか?」
少し緊張して、侍女は聞いた。
それは何の変哲もない質問である。
しかし、侍女にとっては大きな不安を孕んだ質問である。
「えっと……僕らを除いて五人かな。あ、いや、七人かな?」
クノンは気楽に答えた。
質問の意味を正しく把握していないから。
――誘ったのは五人。
追加の二人は聖女の侍女だ。
侍女二人を連れていきたい、と言っていたから。
「そうですか」
――七人。それだけいれば大丈夫だろう。
そう思い、侍女は核心に触れた。
「それで、
大丈夫だろうか。
この里帰りで、己の首は飛ばないだろうか。
いや大丈夫だろう。
さすがに七人もいれば、ちょうどいい塩梅に男女がばらけて――
「五人は女性だね」
二人男。
五人女。
なんという……なんという、ちょうどいい塩梅を裏切る比率。
「……そうですか」
この比率は大丈夫だろうか。
現地にいるクノンの婚約者は、男二・女七の対比に何を考え、何を思うのか。
今からでも里帰りは諦めた方がいいのではないか。
侍女は本気でそう思うのだった。
クノンから日程の通達があった。
いよいよヒューグリア行きが具体的な形となり、目前に迫っていた。
日程が決まったとなれば、聖女レイエスがやることは一つである。
「ちょ、ちょっとちょっと! この量って……!」
「お気になさらず。すぐに撤去しますので」
レイエスは受付嬢ルーベラに答えた。
こんな些細なことで騒ぐな、と言わんばかりの無表情で。
だが、騒いで当然である。
魔術学校の受付ホールの一角が、数えきれないほどの鉢植えで埋まっているのだから。
色とりどりで、種類豊富な植物たち。
そこそこならまだしも、あまりにも数が多すぎて、おびただしいとさえ思える。
「確かに一時置かせてくれって言われて承諾はしたけど、さすがにこの数は――」
受付嬢がもっともな抗議していると。
「レイエスさん、あと二回くらいで終わると思うよ」
更に追加が来た。
リーヤ・ホースが、更に鉢植えを持ってきたのだ。
風魔術による浮遊と、荷運び。
それなりに使える風魔術師なら、簡単なお仕事である。
「どんどんお願いします」
「どんどん!?」
追加分があるのでも驚いているのに、まだまだあるらしい。
「さすがにこれ以上ここに置かれたら、仕事の邪魔になるわ!」
ちょっと物を置くだけ。
レイエスからそう頼まれ、そのつもりで受付嬢は了承したのだ。
なのに、この量だ。
断じて「ちょっと」で済む量ではない。
「もうすぐ私の侍女が取りに来ますので」
「いや、それでもこの量は――」
「許可を出したのはあなたですが。今更ダメと言われては困ります」
そう言われると確かにそうなのだが……
少々釈然としないが。
「早めに引き取ってください」と言い残し、受付嬢は行ってしまった。
――なんとかお偉いさんに見つかる前に撤去してくれよ、と願いながら。
「……」
レイエスは、受付嬢の様子を見て立ち止まっていたリーヤに続きを頼み。
不揃いに置かれた鉢植えを並べていく。
――今回の遠征、教室に置いていた植物は、自宅に運ぶことにしたのだ。
前回、聖教国に帰った時。
教師キーブンやスレヤに、植物の世話を頼んだのだ。
だが、教師も暇ではないのだ。
そういつまでも、そして何度も甘えているわけにはいかない。
それに。
植物があると教室の掃除ができない。
鉢植えが多すぎて、隅々まで手が届かなかったのだ。
――週に一度でもいいから掃除をするんだよ。
かつて教皇から言われた言葉だ。
目に見えるところはやってきた。
だが、最近は届かないところが多かったのだ。鉢植えが多すぎて。
これを機に、徹底的に掃除をするつもりだ。
そしてヒューグリアへ行く予定である。
「――あ、いたいた。レイエス」
次の鉢植えを持ってくるリーヤか。
鉢植えを引き取りに来た侍女フィレアか。
どちらが先かと思っていたら、予定にない人がやってきた。
教師サーフ・クリケットだ。
「うわ、すごい量だな……あ、これって食虫植物だろ。なんて言ったっけ?」
並ぶ豆状の花弁は、鮮やかな黄色で。
美しく咲いている。
「ビカニット。甘い香りで小さな虫を呼びます。でも水分、つまり栄養が足りているとあまり匂いを発しません。
あだ名はフォーバンシーです」
「フォーバンシー……って英雄の名前だな」
「植物は語りかけるとよく育つと聞きましたので。名前を付けました」
「ふうん。……少し興味あるけど、今度聞かせてくれ」
――この前の第十一校舎大森林化事件で知っていたが。
実際は、想像よりずっと、植物の世界にのめり込んでいるようだ。
サーフとしても興味がないわけではない。
が、今はそれどころではない。
「それより君、クノンとヒューグリアへ行くんだよな?」
「はい」
「ならば一緒に来てくれ」
と、サーフは少しだけ顔を寄せ、小声で囁いた。
「――グレイ・ルーヴァが君を呼んでいる」