<< 前へ  次へ >>  更新
254/254

253.上からの通達





「――クノンか。よう来た、よう来た」


「こんにちは、ウィーカー先生。今日もスレンダーで一際魅力的ですね。顔のしわの一つ一つがイキイキしてますよ」


「カッカッカッ、何言っとるかわからん。

 今日は呼んどらんけどちょうどいい、眠らせておくれ。……あん? もしや呼んだかの?」


 サーフの研究室から移動し。

 クノンがやってきたのは、教師ウィーカーの研究室である。


 土魔術師ウィーカー。

 やはり今日も顔色が悪い。


 見た目は、くたびれた老婆である。

 やせぎすで、いつも疲れた顔をしていて、実際疲れている。


 サトリより年上で。

 恐らくは七十代後半と思われる。


 ――彼女はクノンの睡眠商売の常連、お得意様だ。


 なんでも、若い頃から眠りが浅い体質らしい。

 年を取ってからは更に悪化して、なかなか眠れなくなってしまったのだとか。


 そんな体質から、これまでは、気絶するまで活動するしかなかった。


 休めるのは、力尽きてから。

 限界までがんばってから。


 そんな無茶な、と。

 彼女の事情を知ったクノンはそう思ったが――冷静に考えると。


 もしかしたらウィーカーも、英雄の傷跡を持っているのかもしれない、と思った。 


 彼女は睡眠だ。

 休む、という行為に欠落があるのかもしれない。


 ――まあ、真実はいいのだ。確かめようもないから。


 そんな彼女は、クノンの商売に、見事にハマった。


 睡眠時間こそ短いが。

 これまでにないほど絶対に熟睡できるとして、ちょくちょく利用してくれる。


「呼んでないですよ。今日は僕の用事で来ました」


「おお、そうか。いよいよ身体どころか頭まで錆びてきたかと思ったわ」


 しかし、彼女も魔術学校の教師である。


 老いるまで第一線にいて。

 今もそこにいるのだ。


 非常に優秀な……もっと言えば、年齢と比例して学んできた魔術師である。


 ――単純な知識量と実力差で言えば、クノンなど彼女の足元にも及ばないだろう。


「今日はウィーカー先生にお願いがあってきました」


「ええよ。私の全財産でもなんでも好きにしんさい。もうお迎えも近いんだ、何も気にすることはないんよねぇ」


 何度聞いても、年寄りのブラックな冗談は笑えない。


「またまた。この世から美老女がいなくなるなんて世界の損失ですからね。そんなの神だって許しませんよ」


「カッカッカッ、何言っとるかわからん」


「――それより、一人お弟子さんを貸してほしいんです。セイフィ先生を。一ヵ月から二ヵ月くらい」


「ええよ。私の弟子でも利権でも好きにしんさい」


 よし、許可が下りた。


 さらりと一筆書いてもらい。

 ウィーカーを完全熟睡型「超軟体水球(みずベッド)」に沈める。


 お気に入りの白猫を抱かせて。


「今度こそ永眠したりしてのう。カッカッカッ」


 弟子がくれたというアイマスクまでして、ウィーカーは笑う。


 ――この調子でしれっとあと三十年くらい生きるんじゃないかな、とクノンは思った。


 初めて会った時は、今にも危なそうなご年配……と思ったが。


 今では、この人が亡くなるイメージなんて、一切湧かなくなった。





 寄り道をした後、クノンは図書室へ向かう。


 図書館ではなく、図書室。

 三級クラスが学ぶ校舎にある一室で、初心者魔術師向けの本が集められているらしい。


 部屋も広くないし、本の数もあまり多くない。

 だが、これまで魔術に触れてこなかった者には、宝の山である。


「ふうん……」


 利用者は少ない。

 目当ての人を探すついでに、本棚に並ぶ本を見ていく。


 興味深い本がたくさんある。

 ついつい手が伸びそうになる、が。


 今は、本に捕まる時間はない。


「――セイフィ先生」


 本棚の前で、本を選んでいた女性に声を掛ける。


「え? ……あ、クノン・グリオン」


 ――名前を呼ばれたセイフィは、驚いた。


 振り向くと、眼帯の少年が立っていた。

 入学試験で会ったあの少年である。


 最後に会ってから一年以上経っている。


 一年。

 準教師として三級クラスを受け持っているセイフィとクノンは、本当に接点がなかった。


 まあ、それでも。

 噂はたくさん聞いているが。


 やはりあのゼオンリー(・・・・・・・)の弟子だな、と何度も思った。


「大きくなったね」


 十二、三歳の少年の一年である。

 当然のように、身体が大きくなっている。


 一年前のクノン・グリオンしか知らないセイフィは、その成長に少し驚いた。


「そうですか? セイフィ先生も大きくなりましたね。先生としても女性としても魅力的になりました。まるで荒削りの原石の荒が少し削れた感じで。素敵ですよ」


 ――そういうところは相変わらずか。


 セイフィはそっちにも驚いた。

 本当に、何も変わらないぺらっぺら具合だ。





「いきなり不躾ですが、実はセイフィ先生にお願いがあってきました」


 挨拶もそこそこに、クノンは本題に入った。


「お願い? 私に?」


 ――一年以上、なんの接点もなく。また会う用事もなかった。


 セイフィからすれば、こうしてクノンが訪ねてきたことこそ、不思議で不自然である。


 いずれ会うなら、師ウィーカーの研究室だと思っていた。

 クノンが仕事で出入りしていることは聞いていたから。


 だが、ウィーカーは誰もいない――弟子がいない時にクノンを呼んでいたので、顔を合わせることはなかった。


 まあ、その辺はいいのだが。


「一ヵ月から二ヵ月くらい、遠征に行きましょう。そのお誘いに来ました」


「無理よ」


 セイフィは即答した。

 考える間さえ必要なかった。


「私、準教師として、三級クラスを受け持っているから。ディラシックから出られないわ」


 一ヵ月以上の遠征どころか。

 二、三日でさえも、学校から離れることはできない。


「それに春には教職資格試験もあるし。これから大事な追い込みの時期なのよ」


 試験に通れば、晴れて正式な教師である。

 元々筆記はできていたし、今年は実技を中心に磨いてきた。


 今年こそ合格する! はずだ!


「でも、ウィーカー先生から許可は貰ってきましたよ」


 はい、と。

 クノンは軽い気持ちで書面を渡す。


「……は? …………はあ!?」


 ――受け取ったセイフィにとっては、とんでもなく重い代物だったが。


「うそ、え、何!? 何これ!?」


 場所も弁えず、セイフィは取り乱す。


 書面の内容は、簡素である。

 ふざけているとしか思えないくらい、簡素である。


 しかし、間違いなくセイフィの師ウィーカーの字だ。

 しかも彼女の印章まで押してある。


 彼女の弟子として、彼女の仕事や実験を手伝ってきたセイフィである。


 直感でも理屈でもわかる。

 これは間違いなく、師の用意したものだということが、わかる。


 何かの手違いだ、なんて可能性が見つからないくらいに。

 わかってしまう。


「なんて書いてあるんですか?」


 クノンは内容を知らない。

 受け取りはしたが、内容は確認していないのだ。


 ここまでセイフィが取り乱す理由がわからない。


 ――きょとんとしているクノンに対して、セイフィは読み上げた。


「……『これを受け取ったセイフィ・ノーザは、クノンの言うことをなんでも聞きゃええんよ。』……だって」


 その声は、怒りに震えていた。


 ――なんて物を持ってきたんだこのガキ、とセイフィは思っていた。 


 やっぱりあのゼオンリー(・・・・・・・)の弟子だ。

 こいつは間違いなく、人の迷惑なんて一切考えない、あの男の弟子だ。


 受験が迫る大事な時期に、一ヵ月以上も何をさせる気だ。


「あ、じゃあお願いしますねー。よかったー。土魔術師を探してたんですよー。詳細は追って伝えますので、旅の準備だけしておいてくださいねー」


 あーよかったよかった、と。


 怒りに震えるセイフィなど見えないとばかりに、クノンは行ってしまった。


 まあ、実際見えてはいないのだろうが。





「――……はあ」


 クノンが図書室を出ていくと、セイフィは溜息を漏らした。


 肩に入っていた力とともに。


 ――今年の試験も無理かな。


 早く正式な教師にはなりたいが。

 だが、取り立てて今に不満があるわけではない。


 生活はできるし、収入もそれなりにあるし、学ぶことはまだまだあるし。

 だから、焦って教師になる理由はないのだ。


 むしろ教師になれば、今より確実に忙しくなる。

 いっそ来年も下積みに徹するのも、悪くない気がする。


「……」


 そもそもの話。


 あのウィーカーが、なんの理由もなく、これを書いたとは思えない。


 ――あの婆さんの素顔は、言動ほど生易しくはない。


 あれは怪物だ。

 生涯を魔術に捧げ、今なお捧げ続けている、化け物だ。


 他はともかく、魔術が絡むことに関しては、怖いほどに真剣だ。


 いや、それを言うならこの学校の教師全員がそうか。


 この書面にも意味がある気がする。

 セイフィには思いもよらない、意味が。


 ……まあ、何にせよ。


 師が命じるなら、行くのは確定だ。








 時間が許す限り、クノンは方々を回って同行者を探す。


 しかし、これ以上協力者を捕まえることはできなかった。


 やはり急すぎた。

 加えて拘束時間の長さがネックだった。


 ――だが、返事保留にしていたリーヤ・ホースとハンク・ビートが、遠征に行くことを承諾。


 聖女レイエス。

 リーヤ。

 ハンク。

 カイユ。

 そして、セイフィ。


 光、風、火、土属性の魔術師を集めることができた。


 カイユも風属性だが、魔術師は何人いても頼もしいので問題ない。


 ――これ以上集めるのは難しいと判断し、クノンは具体的な日程を立てることにした。


 出発まで、あと少しだ。





<< 前へ目次  次へ >>  更新