251.悪いニュースと良いニュース
「あっ……失礼しました」
クノンは見てしまった。
見てはいけないものを見てしまった。
見えないけど。
――今日も聖女の教室へやってきたら。
中には、聖女レイエスがいた。
後輩セララフィラもいた。
そこまではいい。
ただ。
二人は抱き合っていたのだ。
清き聖女と、うら若き後輩は、抱き合っていたのだ。
これはもう、なんだ。
なんだろう。
まあ、とにかく。
見てはいけないものだということは、紳士の直感で理解した。
「待ってください」
だが、去ろうとしたクノンを聖女が止める。
「ヒューグリア行きの相談に来たのでは? 用事が済んでいないのに行かないでください」
至極冷静に。
後輩を抱きながら言える、その胆力。度胸。
聖女はすごいな、とクノンは思った。
傍目には、絶対にそんなことを言っている場合じゃないのだが。
きっとこれが信仰の力なのだろう。
「えっと……セララフィラ嬢はどうしたの?」
さすがに無理だ。
抱き合ったままの二人と、そのままの状態で話す。
それはさすがにどうかと思う。
というか、明らかに彼女らは取り込み中だろう。
自分は邪魔じゃないか。
このシチュエーションで、これ以上の邪魔者はいないだろう。
そう思ったクノンは、一応、事情を聞いておくことにした。
事情によっては華麗に退散だ。
紳士として。
「――こんな状態で失礼します」
意外なことに、聖女ではなく、セララフィラから言葉が出た。
相変わらず抱き合ったままだが。
「実は、その、わたくし……レイエスお姉さまとヒューグリアへ行くことが、できないようでして……」
「えっ」
それでセララフィラは、聖女に泣きつき慰めてもらっていたらしい。
だが、それに関してはクノンも驚いた。
「無理なの? 本当に?」
聖女の胸に顔をうずめるセララフィラは、「はい」と答えた。
「入学一年目でまだ半年も経っていない、近々引っ越しの予定もある、今後安定して生活費が稼げるかどうかも不明……
まだディラシックでの生活が安定しているとは言えないのに長期の遠征に出るのか、と使用人に問われまして……」
なるほど、とクノンは思った。
要するに、まだ地に足がついていない。
なのにふらふらしていいのか、と。
そう言われたわけだ。
「わたくしも考えました。
一週間かそこらならまだしも、今のわたくしの状態で、一ヵ月も二ヵ月もどこかへ行くというのは……
時期尚早だと、判断しました。だからわたくしは行けません……うぅ、お姉さま……」
納得できる話だった。
セララフィラはまだ一年生。
しかも、まだ入学から半年も経っていないのである。
「そうか……仕方ないかもね」
彼女には、長期の遠征はまだ早い。
今は下地や地盤を固めるために、ディラシックで活動するのがいい。
クノンもそう思う。
「――ああ、レイエスお姉さまとミリカお姉さまに挟まれたかったのにっ……!」
小さく漏れ聞こえたセララフィラの声は。
とても悔しそうだった。
とても。とても。
「あ、それじゃ、レイエス嬢は? まさか君も?」
セララフィラの件は驚いたが。
彼女の事情はわかった。
抱き合っている事情も理解した。
後輩を慰める先輩。
何もおかしなことはない。何一つない。
「私は行きますよ」
聖女は毅然と答えた。
後輩を抱いたまま。
そんなことはどうでもいい、と言わんばかりの無表情で。
「とっくに単位は取得済みですし、一、二ヵ月は仕事をしなくても問題ないくらいは貯蓄もあります。
すでにヒューグリアに行ってからの予定も、たくさん立てています。
仮にクノンが行かないと言っても、私は一人でも行きたいです。行く理由も行く価値もあると思っていますので」
いつもと変わらない調子なのに、強い意志を感じる。
聖女はそこまで行く気だったのか、と。
クノンはこれにも驚いた。
彼女は、セララフィラくらいわかりやすく「行きたい!」と言っていたわけではない。
しかし。
気持ちは、彼女に負けないくらい強かったらしい。
…………
「君もミリカ様に挟まれたいの?」
一応、聞いておいた。
なんだか心配になったから。一応。
「何の話です」
しかし、聖女は意味がわからないようだ。
どうやら挟まれたいのはセララフィラだけらしい。
簡単な打ち合わせをして、クノンは聖女の教室を後にした。
「どうしようかな」
結局、終始抱き合ったままだったが。
――ともかく、セララフィラが行けなくなった。
少し計画が崩れた。
この帰郷、土魔術師は絶対に必要だ。
こうなった以上、他の知り合いの土魔術師に声を掛ける必要がある。
聖女は、何があろうとヒューグリアに行くと決意している。
絶対に揺らがないレベルで。
あの様子だと、本当に一人でも行きそうだ。
まあ、クノンのヒューグリア行きは確定なので、一緒に帰るのは変わらないが。
「……まずいなぁ」
土魔術師。
真っ先に思い浮かぶのは、魔帯箱開発の彼らだ。
「実力の派閥」代表ベイル、
「調和の派閥」エルヴァ。
「合理の派閥」ラディオ。
ジュネーブィズは魔属性だから例外だとして。
――厳しいな、と思う。
彼らは全員優秀だ。
だからいつでも忙しい。
魔帯箱開発だって、前もって予約を入れて集めたのだ。
それに、ベイルが入っていたのが大きい。
派閥代表の名は、想像以上に効果があった。
彼が参加していなければ、エルヴァもラディオもジュネーブィズも、集まったかどうかわからない。
無名の一年生の企画発案。
いくら面白そうでも、開発が長期に及ぶとなると躊躇するだろう。
何も開発できずに時間を無駄にするだけ。
そんな危険だってあったのだから。
ベイルがいたから。
だから、実績のない一年生の企画にも関わらず、参加した。
要は信用問題だ。
今はどうか知らないが、あの当時は、ベイルへの信頼で参加したのだと思う。
「……どうしよう」
きっと今日。
カイユの返事が貰えるだろう。
彼まで行けないとなったらどうしよう。
ぜひ来てほしい。
だが、カイユの場合は、彼の意思というより師ロジーの意向で左右されるだろう。
――なかなか思った通りにはいかないな。
そう思いながら、クノンはロクソン邸へ向かう。
「連れていくといいよ」
ロクソン邸の応接室でクノンを待っていたロジーは、開口一番そう言った。
「いいんですか? カイユ先輩連れていっていいんですか?」
「うん」
この件も厳しいかと思っていたが。
まさかの許可が出た。
「つーわけで俺も行くよ」
と、カイユが言う。
カイユ自身は、特に不満も喜びも見えない。
だが、行きたくないわけでもなさそうだ。
「クノン君が何をするつもりか知らないけど、私も協力するよ。実験もしたいしね」
「実験、ですか?」
補助筋帯ベルトの開発実験は、終わったばかりだが。
ロジーは、すでに次の実験を考えていたようだ。
「クラヴィス先生からお声が掛かってね。魔伝通信首を完成させてほしいそうだ」
魔伝通信首。
というと、離れた者と話をするという二個一対の生首だ。
名前は、確かワタン君だったか。
「離れた場所に行くなら丁度いい、カイユに一つ持たせる。
カイユだったら、多少いじるくらいはできるからね。こちらとカイユのワタン君を、なんとか通信できるようにしたい。
如何せん距離がありすぎるから、一ヵ月くらいでは難しいと思うがね」
なるほど。
あの生首の開発もしたいわけか。
確かにあれが完成すれば、非常に便利だろう。
「それに、カイユは魔術学校を卒業してから、住み込みでずっと私の面倒を見てきた。たまには羽を伸ばしてきてほしいんだ」
「俺は全然いいですけどね。先生に教えてもらっている身ですから」
「いいから行ってきたまえ」
と、ロジーは椅子から立ち上がった。
「この通り、普通に歩けるようになったしね。身の回りのことは一人でできるし、屋敷のことは使用人を雇うよ。
それに、たまには学ぶ環境を変えるのもいいものだよ」
何はともあれ。
ヒューグリア行きの件、聖女とカイユは確定したと言っていいだろう。
同期たちはどうするだろうか。
それと土魔術師だ。
もう少しだけ準備に時間が掛かりそうだ。