246.祈りと土産
「――待っていておくれ。ここからは私一人で行く」
約束通り、学校の前で道案内と合流した。
この先はアーチルド一人で進むことになる。
魔術学校は関係者以外立ち入り禁止だ。
同行してきた聖女付きの侍女フィレアと神官騎士ネオンは、この学校を卒業している魔術師でもあるのだが。
もう卒業しているので、伝手がないとは入れない。
そして、在学中この道案内の教師と接点がなかったので、彼から許可を得るのは難しい。
「フォン、後を頼むよ」
「はい。お待ちしております」
そうして、アーチルドは一人学校の敷地へと通された。
「お元気そうで何よりです、クラヴィス様」
人気のない校庭を歩く。
静かな夜である。
風も穏やかで、音は先を歩く道案内クラヴィスと、後に続くアーチルドの足跡だけ。
「はは、知っているだろう? 私の時間は止まっているから、不調も病気もないよ」
クラヴィスの口調は軽い。
言葉だけ取れば嘘のようだが、本当のことである。
――クラヴィス・セントランス。
聖教国の祖である初代聖女が実子で、かつては二代目の教皇だった人だ。
今では歴史に名を刻むだけの存在である。
まだ生きている、なんて知っている者は、極一部だけ。
もっと言うと、彼が存在することを知るのは、魔術学校の関係者以外では、ほぼ皆無だ。
知っているのと信じているのでは別問題だ。
実際に会わなければ信じられないところもあるだろう。
アーチルドだって、教皇の椅子を仰せつかったから、彼と会うことができたのだ。
――もしクラヴィスから要望があればできる限り聞き入れろ、と。
前教皇からその使命を引き継いだのだ。
聞けば、クラヴィスは何代も前から、歴代の教皇にだけは顔合わせをしてきたらしい。
そして。
「君はここに来るために、今代聖女に
「ご慧眼ですね」
アーチルドは素直に認めた。
下手な嘘は通じない。
熟練の光属性持ちは、人の悪意や邪念、偽証に敏感だ。
どういう理屈かはわからないが、そういうものらしい。
アーチルドは魔術師ではない。
だから、魔術師だけが感じる感覚的な根拠でもあるのだろう、と思っている。
「グレイ・ルーヴァもお気づきに?」
「うーん、どうかな。
わざとだろうが事故だろうが、彼女にとっては些細なことだからね。霊樹に関しては気にしてないし特別思うこともないんじゃないかな」
だろうな、という感じである。
「ああ、でも、お土産は必要だよ?」
「もちろん持参しております。後ほどお渡ししますのでお納めください」
「なら大丈夫だよ」
――形式上の、挨拶と詫びと土産。
これで片付けていいよ、というグレイ・ルーヴァの温情である。
しかしまあ、温情云々の前に。
クラヴィスの言い分だと、それさえも、割とどうでもいいことなのかもしれない。
「それはそうとアーチルド」
「はい」
「今代聖女は面白いね。君が来た理由の一つに、彼女のこともあるんじゃないか? 霊草の栽培とか、例の『光る種』とかさ」
「その通りです」
そう答えたアーチルドに、足を止めてクラヴィスが振り返った。
「その嘘はどんな意味かな?」
バレた。
アーチルドとしては、嘘を吐いた意識はないのだが。
だが、そう。
本音を誤魔化したことは、自覚している。
「とても個人的な理由ですので、できれば聞かないでください」
「ふうん? ……まあ悪意は感じないから、これ以上は聞かないでおこうか」
「感謝いたします」
二人はまた歩き出す。
――彼女のこともある。
さっきそう聞かれて肯定したが、それは嘘だ。
アーチルドがディラシックに来た理由。
それは、聖女レイエスに会いに来たのが、九割だ。
もっと言うと九割五分くらいだ。
もう娘同然のレイエスのことが、心配で心配でたまらなかった。
だから来たのだ。
「足元に気を付けてね」
魔術による光源で足元を照らしながら、クラヴィスは森へと入っていく。
と――草を踏むたびに、周囲に大小様々な光球が輝く。
「精霊ですか?」
「そうだよ。ここは彼らにとっては随分住み心地がいいようだね」
――光の精霊は、初代聖女の血に反応したという。
こういうのを見ると、本当にクラヴィスは初代聖女の子なのだと痛感させられる。
聖女の子が、聖女になるわけではない。
なんの関係も脈絡もない家系から、聖女は突然産まれるのだ。
わかりやすい銀髪で。
親の髪や瞳は一切継がないで。
どういう理由や関係で産まれるかはわからない。
聖教国の教義に則るなら、神に愛された子だから、となる。
――身も蓋もない言い方をすると、魔術師として生を受けたから、だという説もある。
たまたま魔術師が生まれて。
たまたまそれが聖女だった、と。
法則性が一切わからないから、因果関係も不明なのだ。
もちろん、何かあるのかもしれない。
未だ解明されていない何かが、これまでの聖女全員に共通した何かがあるのかもしれない。
そして聖女の血も、ある程度は持って生まれるらしいが……
しかし、これまでの聖女の記録を紐解いても。
精霊がここまで反応する血は、誰も持っていなかった。
――アーチルドが初代聖女の実子と知らなければ、よくわからない現象にしか見えなかっただろう。
「これが……」
森を進み、やがて辿り着く。
そこには巨木がそびえていた。
しっかりと根を張る大樹の回りに、光球が躍っている。
まるで樹と戯れているかのようだ。
非常に幻想的である。
魔術師ではないアーチルドでも、言いようのない不思議な力を感じる。
まだ芽吹いてそんなに時間は経っていないはずなのに、ここまで大きくなっているとは。
霊樹、神話の樹と言われるのも無理はない。
これはなかなか規格外だ。
「ただの樹だよ?」
そう言われても、なお。
アーチルドは跪き、大樹に祈りを捧げる。
それが神職にある者の勤めだと言わんばかりに。
「――なんだ、まだおったのか」
アーチルドが祈りを捧げ始めて、しばしの時が流れた。
祈りの時間は長く。
他所事など耳に入らないほど集中していた、が――
さすがにその声には、無反応ではいられなかった。
「……グレイ・ルーヴァ」
立ち上がって振り返ると、クラヴィスの隣に影型の女性がいた。
「この度は私の要望を聞き入れてくださり感謝します」
「満足したら帰れよ。今夜いっぱいは大目に見てやるが、空が明るくなる前に出ていけ」
「はい」
教皇といえど、彼女にとってはただの一般人だ。
普通なら魔術学校には入れない身だが、今日だけ特別に許可を貰ってここにいる。
「グレイ、何か用ですか?」
クラヴィスの問いに、グレイ・ルーヴァは「土産はどこだ」と答えた。
「早よ持ってこんか、愚図な弟子め。ずっと待っておるのに」
「まだ受け取っていないんですよ。彼の用事が済んでいませんから」
「――土産はこちらに」
アーチルドは小さな包みを差し出す。
用事が済んでから、と思っていたが。
本人から催促が来た以上、渡さないわけにはいかない。
抜かりなくポケットに入れて持ってきている。
いつでも渡せるように。
「よしよし。いいぞ教皇。これで全部許してやる」
「感謝いたします」
「ちなみに中身は?」
「『風車亭』の六代目当主ユーサンによる失敗作になります。レシピも入っていますので」
「老舗の風車亭か。おいおい期待を煽るじゃないか。なあクラヴィス」
「そうですね」
――風車亭は、聖教国にある有名な菓子屋である。
グレイ・ルーヴァへの土産は、特別な要望がなければ、もっぱら菓子か料理だ。
それも、店頭に並ぶ銘菓や売れ筋ではなく。
売り物として出回らない失敗作を好む。
銘菓や売れ筋は、自分で買える。
だからそちらは望まない。
しかし逆に、失敗作は決して手に入らない。
こればっかりは、グレイ・ルーヴァでさえも入手が困難なのだ。
料理人の腕が確かであればあるほど。
彼らは誇りにかけて、失敗作など表に出したがらない。
それを入手するのは、教皇の身分であっても、少々難しい。
職人のプライドとこだわりは、時に己の命よりも重くなることもあるからだ。
こればっかりはお金の問題じゃないから、慎重に交渉し、入手してきた。
――まあ、とにかく。
これで気難しい魔女の気持ちが晴れるなら、有難い話だ。