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235.先生の方向性を変えたい





「――クノン様! クノン様クノン様! クノン様大変クノン様!」


 早朝。

 クノンが朝食を食べていると、侍女が血相を変えて駆け込んできた。


「どうしたのリンコ。隠していたおやつがなくなってたの?」


「それどころじゃっ……まあそれも大変ですけど!」


 おやつがなくなるのは大変なことである。

 侍女もそこは同意する。


 今焦っているのと同じくらい大変なことだからして。


「今クノン様を訪ねてものすごくカッコイイ人が! 手紙を渡してきました!」


 ものすごくカッコイイ。


 クノンの頭に何人かの候補は浮かぶが。


「その人は僕よりかっこよかった?」


「そんなの比べ物にならっ……………………うんまあ、ええまあ、クノン様の方がカッコイイですけど」


 優しい嘘が却って痛い。

 こんなわかりやすい忖度ってないだろう。


 負けてるのか……と、クノンは少し落ち込んだ。


 どうせ誤魔化すならもっとうまくやってほしいものだ。


 まあ、いい。


「僕はこれからの紳士だから、今は負けててもいいよ」


「その前向きなところは本当にいいと思います」


 ――と、そんなどうでもいいワンクッションを挟んで。


「あ、カイユ先輩からか」


 預かったという手紙の差出人名を見て、心当たりを思い出す。


 確かにあの人もカッコイイ。

 女性だが。


「リンコはああいう感じが好みなんだね」


「好みというか、観賞用って感じですけどね。添い遂げる相手として考えると、やっぱり性格が合わないと続かないと思いますし」


 それはそうかもな、とクノンは思った。


 まあ何にせよ。


 見えない自分は、相手の容姿なんて気にしないし。

 そもそも婚約者がいるので、ほかの女性に目移りする理由もない。


「それで、お手紙にはなんと? デートのお誘いですか?」


「買い物に付き合ってほしいって」


 手紙には「素材を売っている店を教えるから一緒に行こう」と書かれていた。


 最近のクノンは、午前中は学校。

 昼から夕方までは、ロジー・ロクソン邸でお世話になっている。


 ロジーの屋敷に行く前に落ち合って買い物をしよう、と。

 そういう内容だった。


 造魔実験に使う素材の買い出しである。


「え? それって本当にデートでは?」


「一緒に買い物するだけだよ」


 女性ならデート説を推すが。

 嬉々として推すが。


 カイユは男性扱いを望んでいるので、推さない。


「可愛い男の子とカッコイイ男とのデート。私はたぎりますね。とても」


「だからデートじゃないって」


 たぎられても困る。

 しかしまあ、侍女は嬉しそうなので、それでもいいかと思うことにした。





「――こんにちは、カイユ先輩」


 待ち合わせしていたカフェには、すでにカイユの姿があった。


 周囲のテーブルにいる女性たちが、カイユを見てはひそひそしている。

 相当見目がいいのだろう。


 そんな周囲の注目を浴びているテーブル。

 そこにクノンは歩み寄る。


 なんの躊躇もなく。


 紳士は臆さないのだ。


「なんだ、早かったな。もうちょっと遅くてもよかったのに」


「もしかして今来ました?」


「うん。ここで昼飯食おうと思って、ついさっき注文しちまったよ。ちょっと待っててくれ」


「わかりました」


 カイユの着くテーブルの向かいに座り、クノンも飲み物を注文した。


「おまえ飯は?」


「食べてきました。先輩は何を注文したんですか? 僕は厚切りベーコンのサンドイッチを食べましたよ」


 侍女の作ったサンドイッチを、ついさっき聖女の研究室で食べてきた。


 今日は仕事の打ち合わせもあったので、聖女とランチしてきた。


「俺もサンドイッチのセットだよ。楽しみはフルーツサンドだけどな。最近この店の果物がうまいんだ、季節も関係なく仕入れててな。まあちょっと高いけど」


 季節を問わない果物。

 なんだか知っている気がする。


「これが買い物リストな。今日は一緒に回って店の場所とか教えるけど、今度からはおまえが買いに行くことになるからな。

 あと――造魔の話は禁止だからな。店でも漏らすなよ」


「わかりました」


 造魔学は禁忌の学問。

 やはり大っぴらにはしない方が無難だろう。


「それとクノン、このリストわかる?」


 先に渡されたメモを熟読していたクノンは、更にもう一枚メモを渡された。


「……魔道具の基礎薬剤でしょうか?」


「そう見える? 間違いないか?」


「僕の認識では間違いないと思います」


 いくつか基本的な素材が抜けているが。

 このリストにある素材名に共通するのは、魔道具の基礎で使うもの、だと思う。


「ほら、おまえこの前、先生に小鳥見せただろ」


 小鳥といえば、「音を記憶する小鳥」のことだろう。


「それで先生、魔道具関係に興味持っちゃったみたいでな」


「へえ。僕としては嬉しいですけど」


 魔道具は、魔術師がいないと動かない。

 それだけに普及しているとは言い難いのだ。


 魔道具造りを専門にしている魔技師、と言われても、ピンと来ない者も多い。


 クノンの師ゼオンリーの名声が広まることで、同時に魔技師という職業も広まった。


 それでも、広まったのは魔術師界隈だけの話だ。

 一般的には知っている者の方が少ないだろう。


 そういう意味では、魔道具に興味を持ってくれる人が増えるのは、クノンとしては嬉しい。


「……本当にそう思うか?」


「え? 先輩は嬉しくないですか?」


 これは魔術の発展にも繋がる話だと思うのだが。


 しかし。


 胡乱げなカイユの瞳。

 疲れたような表情。


 どう見ても嬉しそうではない。


「先生な、もう生き物なら大体なんでも造れるくらいすごい人なんだよ」


「はい」


「そんな先生が、魔道具の知識を欲し始めた」


「……はい」


「絶対に生き物と魔道具を混合して、恐ろしい化け物を造り出すだろ」


「……」


 それは――容易に想像ができる。


 まだ付き合いの浅いクノンでさえ、思う。


 ロジーは危険だ。

 人が躊躇い、やってはいけないと訴えてくる倫理観が、すでに崩壊している人だ。


「小鳥を見せた後、色々話しただろ? 金属の球体がどうとか、変形するとか。

 俺は造る気がないから楽しく想像して話せたんだ。まあ造ろうと思っても高度すぎて今の俺には無理だしな。


 でも、先生は本当に造れるんだ。本当にな」


「……」


「そんな先生が魔道具の基礎で使う素材を求めている。

 俺は怖い。この先どうなるか、知るのが怖い」


 クノンは何も言えなくなってしまった。


 ロジーは、やる。

 たぶん迷うことなく、やる。


 そんな気がしてならないし――カイユも同じ感想を抱いているのだろう。


「なあ、ちょっと相談があるんだ」


「はい」


「――ロジー先生の興味を逸らせないか? 少しだけでいい。


 恐ろしい化け物を生むのではなく。

 もう少し、こう、マイルドというか、なんというか。


 ……ちょっとうまく言えないが、そっち方面以外の方向に誘導できないか?」


 できないか、と言われれば。


「――それはやるしかないんじゃないでしょうか」


 できるできない、ではなく。


 やるしかない。

 やらねばならない。


 禁忌として知られる造魔学が、禁忌そのものみたいな生物を誕生させないように。


 もっと言うと。


 一部の情報通だけでもいいから、「造魔学ってそんなに禁忌じゃなくない?」と言ってくれるような。

 胸を張って世間に出せる造魔を、造れないものか。


 ――クノン自身、造魔学に何を求めるのか迷っていたが。


 これこそクノンが目指すべき造魔学の方向性なのではないだろうか。


 漠然とそんなことを思いつつ。


「――お待たせしました」


「どうも。――じゃあ俺食ってるから、おまえちょっと考えててよ」


 昼食を食べ始めるカイユを前に、クノンはずっと考えていた。


 世間に出せる造魔。

 それはどんなものなのか。


 考えれば考えるほど――やりたいことがたくさん思いつく。


 やはり造魔学は可能性の宝庫だ。





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