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232.幕間 帝国の意向





「――レイエス様、帝国の皇子様からお手紙が届いています」


 とある日の午後。


 学校から帰ったレイエスは、侍女フィレアにそんな報告を受けた。


「帝国の皇子から手紙?」


 常にない言葉に、レイエスは考え込む。


 今日は、これから庭の植物を観察し、記録を取り。

 野菜や果物の収穫をして。

 秘密の温室の様子を見て。

 薬剤の調合をして。

 品種改良用に種の選別をして。

 夜になったら眠る。


 そんないつも通り充実した午後を過ごすつもりだったのだが。


「それはジオエリオン様から?」


 帝国の皇子と言えば、第二皇子が近所に住んでいる。


 レイエスが入学してすぐ挨拶はした。

 だが、それ以降は特に接触はなかった。


 過去、国の祭事で顔を合わせることはあったが。

 それで特別何かあったわけではない。


 いわば顔見知り程度の関係である。


 ……と、思っていたのだが。


「ええ、そうです」


 手紙が来たということは、レイエスに用事ができたということだ。


「後で読んでおきます」


 まあどうでもいいことだ。


 それより今は植物である。

 庭の我が子(・・・)たちが、自分のお世話を待っているのである。


 早く行かねば。


「あ、いえ。差出人が差出人なので、今すぐご確認をお願いします」


「……」


 ――あ、嫌そう、とフィレアは思った。


 レイエスの無表情は変わらない。

 感情の起伏もまるで感じない。


 それは一年前と同じだ。


 だが、一年以上も一緒に暮らしているのである。

 ちゃんと見れば、なんとなくわかるようになってきた。


 今はきっと「面倒臭い。植物の世話をしたい。ほんと面倒臭い」と思っているに違いない。


「わかりました」


 ――しかし後回しにするのはまずい。


 己の立場と相手の立場上、一秒でも早い返事が求められている。


 レイエスにもそれはわかるので、さっさと手紙の内容を確認することにした。





「久しぶりだな、レイエス殿」


「ようこそ、ジオエリオン様」


 手紙の返事をした翌日。


 レイエスの借家に、ジオエリオンがやってきた。


 黒髪に藍色の瞳。

 端整な顔立ちには厳しさと冷徹さを感じさせる。


 ひどく冷たく感じられるのは。


 女と見れば微笑みながら話しかける同期に見慣れたせいだろう。


「この一年、近くに住んでいるのに全く会わなかったな」


「そうですね。お互い暇ではないからでしょう」


 レイエスの返答は、少しだけ本心が漏れていた。


 ――よくも植物の世話という大事な役目の邪魔をしに来たな、と。 


 無意識のことなので自覚はない。

 しかしながら「早く帰れ」とは、割とはっきり思っていた。


 昨日届いた手紙の内容は、「話したいことがある」というものだった。


 だから今日会う約束をして、彼がやってきたのだ。


「見事な庭だな」


 一見荒れ放題に見える庭だが。

 それでいてちゃんと計算されて植えられている。


 まあ、人に見せるために整えてはいないので、見る者が見ないとわからないだろう。


「見ますか? 今は初雪花(フィーレア)が見頃ですよ。

 少し前は見事な秋鐘花(ベルラ)が咲いていましたが、むしって薬と香料と染料になりました。


 そのほかの見所はありません。果物はありますが。食べますか? 自慢の一品ですよ。街のレストランにも卸しています」


 ――「早く帰れ」と思っているが。

 ――自慢の植物の話は聞いてほしい。


 レイエスの中で感情がせめぎあっている。

 無表情の下で。


「そうだな……少し見せてもらってもいいか?」


 ――静かに積極的なレイエスに少し押される形で、ジオエリオンはそう答えた。


 聖女レイエスは感情が乏しい。

 それを裏付けるように、言われたことしかしないし、余計なことも言わない。


 そう認識していたのだが。


 一年前は、確かにそんな人物だったと思う。

 しかし今は、明らかに認識していた人物とは違う。


 この一年で色々あったんだろうな、とジオエリオンは思った。





「レイエス殿」


 ゆっくりと庭を見て回った。


 思いのほか楽しかった。

 希少な薬草や香草ばかりがあるとわかり、若干テンションが上がってしまった。


 季節柄育たないもの。

 気候や土の関係で育つわけがないもの。


 そんなものが平気で地面から背を伸ばしているのだ。

 正直、ここは宝の山だと思う。


 興味津々で見ていたジオエリオンは、ふと、ここに来た目的を思い出した。


「もう俺のことは、あなたの耳に入っているのだろうか?」


「何のことでしょう? それよりこの草を見てください」


「待ってくれ。草花の話は、俺の話の後に聞きたい。まず俺の話を聞いてくれ」


「……いいですけど」


 ――ちょっと不満そうだな、とジオエリオンは思った。


 まあ、ジオエリオンからしても楽しい話ではない。

 さっさと用事を済ませて、庭の散策を続けたい。


「まだ本決定ではない。あくまでも提案程度の話だ。

 俺とあなたの縁談の話がある」


「縁談?」


「ああ。俺の国側の意向だ」


 ――聖女レイエス。


 この時代の聖女は、お飾り程度の存在である。

 祭事の時に表に立つ、聖教国セントランスの信仰のシンボルくらいのものだ。


 聖教国にとっては大事な存在だろうが。

 輝女神教の信者ではない者からすれば、特に何か思うような相手ではない。


 レイエスもそんな聖女だった。

 少なくとも、アーシオン帝国が望んで欲しいと思う人材ではなかった。


 だが、しかし。


 この一年間に積み重ねたレイエスの活躍や功績。

 それは、聖女というシンボルの枠を、大いに越えていた。


 もはや信仰の対象ではない。

 利益・実益方面で、実に有能な人物となった。


 ――特に、先日開発したという「光る種」の存在だ。


 まだ詳細はわからないが。

 わかっている部分だけであっても、恐ろしいまでの利を生むだろう。


 きっと今頃。

 聖教国の教皇の元へ、縁談の話が引っ切り無しに届いていることだろう。


 しかしこのレイエスの反応を見るに。


 本人は、縁談が来ていることさえ知らないのかもしれない。


「私は自由恋愛を許可されています。

 将来は婿を取ることは決まっていますが、結婚相手は選んでいいそうです」


「へえ。あなたの立場を考えると意外だな」


 この時代の聖女は、政略結婚の道具にしか使えない。


 あまり聞こえはよくないが。


 帝国の為政者はだいたいこう思っている。

 自分たちもそうだからだ。


 だが、どうやら教皇は、聖女を政治の道具にするつもりはないらしい。


「ジオエリオン様は、聖教国に婿入りする覚悟はできていますか?」


「皇帝陛下の命令次第だな。俺は第二皇子だから」


 国は第一皇子が継ぐ。

 それ以下の皇族は、政略結婚の道具である。


 ジオエリオンの場合、魔術師として覚醒した。

 だからまだ結婚相手が決まっていない。


 魔術師としてどこまで成長できるか。

 どこまで己の価値を高められるか。


 それで結婚相手が決まるのだ。


 ――逆に言うと、帝国の第二皇子を使ってでも聖女レイエスが欲しい、友誼を結びたい、と。


 帝国はそう考えている。

 それが今のレイエスの価値なのである。


「婿入りとなると、どうなるかな」


 魔術師を国外に送り出す。

 そんな愚かな決断を、皇帝陛下(ちち)はするだろうか。


 ジオエリオンには読み切れない。


「個人的な意見ですが、ジオエリオン様との結婚は難しい気がします」


「そうか?」


「ええ。私は土地が欲しいので」


「土地?」


「はい。ゆえに聖教国で土地を持っている人を選びたいですね。広大であればあるほどいい。開拓地というのもいいですね。一から全てを作り上げるのもいいでしょう。私だけの緑の楽園です。素敵ですね」


 素敵かどうかはわからないが。


 レイエスの野望は止まらない。


「好き放題に植えていい土地が欲しいのです。

 誰にも邪魔されず、自由に、豊かに、心の赴くままに、様々な種を育てたいのです。そのためには土地がいるのです。


 ……帝国の北の方なら空いていると聞きましたが、実際はどうなっているのでしょう? 勝手に植えても?」


「いや、勝手に植えるのはまずいな。確かに北の方は人の手が入っていないが」


「貰っても?」


「駄目だ」


「そうですか。ではしばらくは友人の土地を借りることにしましょう」





 一年前の聖女レイエスとは違いすぎる。


 特級クラスとは、こうも人を変えてしまうほど楽しいところなのか。


 ジオエリオンは羨ましいと思った。


「植物の話に戻ってもいいですか?」


 ――いや、冷静に考えると、あまり羨ましくはないかもしれない。


 だが、心なしかレイエスは楽しそうだ。


 だから、これはこれでいいと思うことにした。








お付き合いありがとうございました。


これから少し更新が止まります。ご了承ください。



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