223.事前に実験しておきたい
「――クノンか」
ふらふら目的もなく歩いたクノンは。
ふと思い立って、背の低い塔へとやってきた。
「調和の派閥」の拠点である。
約束してない訪問だったが、目的の人物は食堂にいた。
友人たちと朝食を食べており、首尾よく捕まえることができた。
「調和」代表シロトである。
「――代表! あのこと聞いて!」
「ん? 自分で聞けばいいだろう」
「――いいから聞きなさいよあんたも気になるでしょ!」
「いや全然……まあいい」
同席していた女子が小声で囁き、シロトは面倒臭そうに了承した。
「聞いたぞクノン。おまえは婚約者がいるそうだな」
「え? あ、はい。……言ってませんでしたっけ?」
クノンは一瞬なんの話かと思った。
会うなり脈絡もなく、婚約者の話題が出るとは予想もしていなかったから。
まあ、別に隠すようなことでもない。
というか、そういえばと。
今まで誰にも話していないことに今気づいたくらいだ。
「――絶対私に気があると思ってた……」
「――私も……いつも会うたびにデートとか誘ってくるし……」
「――おごってくれるし……」
なんだか失意の声が聞こえるが、クノンは今はそれどころではない。
「麗しのシロト嬢に相談があって来たんですが、食事の後でもいいので少し時間をいただけませんか?」
聖女への対抗意識が燃えている。
やる気に満ちている今は、とにかく何か実験がしたい。
そう思いながら歩いていて、頭に浮かんだのが造魔学のことだった。
「魔術方面の話か?」
「はい。二人きりで親密に話せればと」
「わかった。少し待っていろ。……ちなみに婚約者とは上手くいっているのか?」
「…? 良好ですけど?」
「そうか。相手は苦労していそうだな」
確かに苦労しているな、とクノンは思った。
つい昨日までミリカはこの街にいた。
正確には今朝まで、だろうか。
彼女の現状は衝撃だった。
すでに城を出ていて。
そしてすでに開拓作業を始めていることを知った。
開拓は大変な作業である。
苦労していないわけがない。
――無論、シロトの言葉は開拓云々の苦労のことではないのだが。
クノンはそのことに気づかない。
食堂で待たせてもらっていたクノンは。
「――待たせたな」
なぜだか派閥の女性たちに「婚約者いるってほんと?」と何度も聞かれ、それに対処していた。
その間に、シロトが食事を済ませてやってきた。
「あまり時間は取れない。長引く用事なら会う約束をして次の機会にしよう」
どうやらシロトの予定は決まっているようだ。
ならばと、クノンは単刀直入にいくことにした。
「例の造魔学のことなんですが」
「時期尚早だろう。単位は取ったか? 私はまだだ」
「その単位についてなんです」
シロトと造魔に関する実験をする。
その約束をしたのは、つい先日のことだ。
お互いまだ準備ができていない。
だから今すぐ始めるのは不可能である。
だが、しかし。
「造魔学の勉強も兼ねて、簡単な実験くらいはやってみたいなと思って」
本番に向けての練習、というわけでもないが。
クノンは思ったのだ。
一度くらいは造魔に関する何かをしておいてもいいだろう、と。
来るシロトとの実験の前に。
「なるほど。それはいい」
――シロトがやりたい造魔の実験は、ちょっとレベルが高い。
まだ基礎知識もないクノンである。
水魔術の操作は目を見張るものがあるが、それ以外がない状態だ。
事前に経験を積む。
たとえ簡単な実験であっても、その経験は無駄にはならないだろう。
「だが私は参加できないぞ」
「わかっています。だから課題のようなものをいただけたら、と思って」
初心者向けの造魔の実験を知りたいのだ。
それさえわかれば、あとは自分で調べて進めていくのみ。
「課題か。私は人に教えられるほど納めてはいないんだよな。
だから造魔学に詳しい教師を紹介しよう。ロジー・ロクソンという人だ」
「ロジー・ロクソン先生、ですか」
教師らしいが、聞いたことがない名だ。
だがそれ以上に。
「ロクソン、といえば……」
目の前にいる女性の名が、確か。
シロト・ロクソンだ。
「ああ、私の親になる。血の繋がりはないがな」
シロトに書いてもらった紹介状を手に、クノンは学校を出た。
ロジー・ロクソンは教師である。
だが、学校にはほとんど来ないらしい。
基本的に自宅にこもって実験をし続けているそうだ。
シロト曰く「彼が教師であることを知っている者も少ないと思う。同じ教師間でも認知されているかどうか怪しい」だそうだ。
なんとなく教師の定義を問いたくなるような人物だが。
まあ、誰かの紹介さえあれば、生徒に教えることもあるのだろう。
――教えるものが造魔学なので、ある意味隔離されている、というのもあるのかもしれない。
あまり大っぴらにはできないのだおる。
クノンだって、造魔学は禁忌の魔術だと思っていたから。
シロトから聞くまでは、学びたいものの候補にさえなかったのだ。
よく知らない人からすれば。
造魔学に詳しい人と聞けば、問答無用で危険人物扱いしそうなものである。
「……ここかな」
住所を頼りに到着したのは、大きな屋敷である。
この辺は高級住宅街だ。
ジオエリオンの家が近いから間違いない。
木製の大きな門扉の前に立つ。
壁も高く、中の様子は伺えない。
「――どちら様ですか?」
どうしようか、裏に回ろうか。
それともまずは立派な門をノックしようか。
そう迷っていると、門の向こうから声を掛けられた。
クノンは少し驚いた。
目が見えない分、五感は鋭くなった。
人が近づけばわかるのに、今は何も感じなかったから。
「おはようございます。魔術学校の生徒でクノンと言います。シロト・ロクソン嬢の紹介でやってきました」
驚きながらも要件を伝える。
「紹介状はお持ちですか?」
「はい。書いてもらいました」
そう応えると、門が開いた。
「……え? えっ?」
再びクノンは驚いた。
今度は、少しどころではなかった。
「中へどうぞ、クノン様」
そこに立っていたのは、一人の使用人。
――木目調の肌を持つ、人ならざる人形だった。