220.手を離さないし土地を狙われているし
まだ空が暗い早朝。
まだクノンが眠りに着いている頃である。
ディラシックを出たすぐそこに、とある一団がいた。
馬のいない奇怪な馬車を横に、それぞれ旅立ちの準備をしている。
ゼオンリーたちである。
予定通り、これからヒューグリア王国へ出立するところだ。
「ゼオン、帰りも同じルートか?」
ランプを手に地図を見ているダリオが問うと、
「俺はのんびり帰りてぇよ。でもおまえが許さねぇだろ」
「当然だ」
「じゃあ聞くなよ」
座って待機中のゼオンリーは面倒臭そうに言った。
最短ルートを、最速で行く。
来た時と同じだ。
まあ、買い物をした大荷物があるので、多少遅くはなるだろうが。
「天気は大丈夫そうだな」
「俺は休みてぇけどな」
これまた面倒臭そうに答えるゼオンリー。
少しでも雨が降れば、滞在日数が伸びたところなのだが。
しかし叶わないことはもう知っている。
それほどまでに澄んだ夜空だ。
彼方は綺麗な藍色に染まっている。
じきに明るくなるだろう。
「報告書は?」
「道中書く。――にしても何しに来たんだって感じだな」
ゼオンリーらがディラシックにやってきた理由。
それは、魔建具の特許関係からだ。
クノンが開発したオモチャの可能性に気づいた王族が騒ぎ。
彼の師であるゼオンリーが命じられた。
弟子のオモチャを取り上げてこい、と。
王宮魔術師に命令できるのは、国王陛下と上役のみ。
王子たちに命令権はない。
だが、次期国王になりそうな第一王子や第二王子。
加えてほかの権力者たちも、圧力を掛けてきた。
さすがに無視できなかった。
その圧力に負けて、王宮魔術師総監ロンディモンドが快諾したのが、この旅の原因である。
彼は笑いながら言った。
――「弟子の様子が気になるだろう? ミリカ殿下も会いたがっているだろうし、連れて行ってあげるといい。あ、ついでに買い物よろしく」と。
圧力を逆手にとって。
普通なら動かせない王宮魔術師と王族を国外へ送った。
まあ、抜け目のないロンディモンドのやりそうなことだ。
何かあったら、責任は圧力を掛けた連中に取らせる手続きも、確実にしているだろう。
たかが圧力程度に、あのたぬきが素直に従うわけがない。
快諾したって辺りが間違いない。
「どうにもならないくらい契約で縛られていたな」
「当たり前だろ。ディラシックの商業ギルドだぜ?
長いこと魔術関係を商売道具にしてきた奴らが、でけぇ儲け話を見逃すはずがねぇ」
――ゼオンリーとダリオは、商業ギルドで魔建具関係の契約をどうにかできないかと交渉はしたのだ。
無論、どうにもならなかったが。
最初から無理だと思っていた通りの結果だったが。
一番のネックは、クォーツ家だ。
アーシオン帝国の高位貴族が絡んでいるところである。
契約したのが商業ギルドとクノンだけなら、まだやりようはあった。
だが、他国の権力者はどうにもならない。
絶対に権利を手放さないだろう。
特に、ヒューグリアは帝国よりも小さい田舎の国なので、圧力なんて掛けようものなら大変なことになる。
「――お待たせしました」
待ち人が来た。
駆けてきたのは、ミリカの侍女ローラだ。
クノンの家に挨拶してきたのである。
「おう、じゃあ行くか――おい姫さん、そろそろ出るぞ」
「――はい、今行きます」
ゼオンリーに声を掛けられ、ミリカが振り返る。
「え? もう行ってしまうのですか?」
「ええ。あまり国を離れられないので」
だから手を離してほしいのだが、とミリカは思った。
本当にいつの間にか手を握られていた。
なんか距離感も近いし。
いったいなんのつもりなのか。
まあ、特に不快でもないので、放っておいてはいるが。
「寂しくなりますわ……」
そんなことないだろ、とミリカは思った。
出会って二日だ。
まともに話した時間も少ないのに。
でも言われてみるとそんな気もしてくるのは。
彼女の言動と、己の婚約者が、なんとなく重なって見えるせいだろう。
見た目はともかく、軽薄なところはそっくりだ。
だからなんだか憎めない。
「ぜひ感想をお願いします。早めにお願いしますね。細かい方が助かりますよ」
「あ、ええ。わかりました」
そっちはそっちで土地にしか興味ないのか、とミリカは思った。
一番気に入らない相手だったのに。
なぜだか向こうはミリカを気に入ったようだ。
特に、土地に。
ある程度自由が利く開拓地に。
なんというか。
まあ……魔術師というのは変わり者が多いんだな、と思うばかりだ。
――ミリカの手を取っているのは、一番不穏に感じていたクノンの後輩。
セララフィラ・クォーツ。
なんだか軽薄な言動の多い娘だ。
正直、可愛い。
どうにも悪感情を抱けないのは、クノンに似ているからだろう。
しかしわからないのは、彼女の気持ちだ。
ミリカは「クノンに似ている」という理由があるが。
果たして、彼女から向けられているミリカへの気持ちは、なんなのか。
双方悪い感情がないせいか。
なぜだか、いい感じになっている気がする。
――横からじっと見ているのは、聖女。
レイエス・セントランス。
感情のぶれをほとんど感じさせない、とんでもない堅物、という感じだ。
彼女は植物関係に傾倒しており、土地に強い興味を示した。
ミリカが彼女を訪ねた折。
「開拓を進めている」みたいな話をしたら、土地に激しく食いついたのだ。
土地?
土地持ち?
自由にできる土地をお持ちで?
どこからどこまで? どの程度の規模を? どれくらいの人手が使えます? 気候は? 穏やか? 年間の雨量などは? ああ、ヒューグリアならわかります。いいですよね、あの国の土地。どの辺の土地ですか? 等々。
いろんな質問をされた。
正直土地を狙ってるんじゃないかと思ったくらいだ。
ミリカの方こそ聞きたかったのに、質問する間がなかった。
そして今朝、たくさんの植物の種を渡された。
ぜひ植えてくれ、そして経過を教えてくれ、と。
食料になる種だそうなので、ミリカが断る理由はなかった。
これは本当に植えてみるつもりだ。
「あの、そろそろ行かないと……」
セララフィラが離してくれない。
レイエスはじっと見ているだけ。
――とりあえずこの二人は心配ないな、と信じることはできた。
この二人は大丈夫。
どんなに仲良くなっても、クノンとどうこうはないだろう。
むしろ、違う意味で、彼女たち自身のことが少し心配になってきた。
それくらい変わっていると思った。
こうして一同はディラシックを旅立った。
「――彼女たち、クノン様と一緒に来そうですね」
「――うん、たぶん来るわ」
侍女ローラの読みは、ミリカの読みと同じだった。
きっと彼女らは来るだろう。
クノンと一緒に、ヒューグリアにやってくるだろう。
まあ。
今となっては、彼女らとクノンの関係など、何一つ心配していないが。