208.デート 1
「……いるなぁ」
学校での雑事と情報収集をこなしたクノンは、広場へやってきた。
ミリカと待ち合わせした場所である。
そして、昨夜ゼオンリーがしょっ引かれた場所でもある。
昨夜から、翌日早朝。
夜は人気のなかった広場だが、今は多くの人が行き交っている。
そんな中に、赤い肌を持つ魔物オーガが佇んでいる。
半透明な彼はじっとそこにいて。
歩く人が彼を通り過ぎても、何も起こらない。
――移動している。間違いなく。
狭い路地裏を塞ぐように立っていた、あのオーガは。
今は広場に佇んでる。
あの姿こそ、昨夜の出来事が嘘ではなかったという証拠である。
なお、麗しき人妻に乗り移って起こした破壊行為の痕跡は、もうない。
ぶっとばした街灯と踏み抜いた石畳は、すでに修繕されている。
相変わらず誰にも見えていないようだ。
魔術師と、魔術に関わる者が多いこの魔術都市ディラシックの中でも。
あれは特異な存在なのだろう。
昨日はゼオンリーに反応していた。
恐る恐るクノンが近くによっても、オーガに反応はない。
またゼオンリーが近づいたら、誰かの身体を借りて暴れるのだろうか。
それとも、もう反応しないのだろうか。
いったいこのオーガはなんなのか。
昨夜は明らかに意思と感情を感じられたが……
――興味は尽きないが、今は触れるべきではないだろう。
人が多い時間帯である。
今暴れられたら、どんな被害が出るか知れない。
「――クノンくーん」
来た。
ついに待ち人が来た。
その声を聞いた瞬間、オーガへの興味と好奇心は搔き消えた。
今日はそれどころではないのだ。
「お待たせしました」
たとえ小走りで駆けてきたミリカが、オーガを突き抜けてやってきたとしても。
見えないとは恐ろしいものだな、とクノンは思った。
自分はそれを人一倍よく知っているつもりだが、改めてそう思った。
「大丈夫、僕は待たせるくらいなら待ちますよ。女性を待たせる紳士など許されませんからね」
――実際、少し遅いな、とは思っていたのだが。
だからオーガの様子を見に、近くにやってきたのだ。
「もしかして、何かありました?」
だが、ミリカは時間は守る。
というか、だいたいの貴族は時間を守るものだ。
それなのに少々遅れた。
となると、それ相応の理由があるのではないか。
「あった、というか……突発的な女子会が……」
「女子会?」
「いえ、あの、気にしないで。大したことではないですから」
――ミリカは言葉を濁した。
人妻の苦労話から始まり。
侍女リンコの知っている男女の修羅場の話に繋がり。
それが思いのほか面白くて、ミリカは席を立てなくなってしまった。
あれは、そう。
内容的に、男には絶対に聞かせられないものだった。
際どいものもあったし、飾り気のない女の本音も多々含まれていた。
もはや女子だけの場でしか許されない話だった。
ゆえに、あれは女子会だったとミリカは思っている。
実際ミリカは参加したことはないが。
だが、あれはまさに、噂に聞いていた女子会だったと思う。
「そうですか。
では殿下――いえ、ミリカ様」
クノンが名前を呼ぶ。
ミリカの胸は高鳴った。
ちゃんと名前を呼ばれるなど、本当に久しぶりだったから。
「行きましょうか」
「……はい」
こうして、二人のデートが始まった。
「本屋、雑貨屋、劇場、昼食、服屋と尻尾専門店、と……」
クノンとミリカのデートは、なんの問題もなく順調である。
ミリカはともかく、クノンはまだ十三歳だ。
子供だ。
それだけに、清く明るく楽しいばかりのデートで、非常に微笑ましい。
――そんな二人を、ミリカの侍女ローラは、影ながら見守っていた。
ローラは護衛も兼ねた侍女である。
デートなので視界にこそ入らないようにしているが。
職務上ミリカから離れることはできないのだ。
そして、ミリカの行動の監視と、国への報告も兼ねている。
何せミリカは王族だ。
たとえ第九王女であっても、その身は彼女だけのものではない。
何かあれば国に関わる。
だから行動は制限されているのだ。
まあ、心配など必要ないほど清いデートだが。
というか、なんだ。
ミリカが挙動不審だ。
クノンは紳士である。
普段の言動からは信じられないくらいに。
むしろミリカの方があやしい。
こう、勢いでガッと行きそうな雰囲気を感じる。
勢いでキスくらいするんじゃないか。
何かにつけてクノンの横顔をチラチラ見ている自身の姫君に、ローラは若干の危機感を抱いている。
何しろ一年以上会っていなかった。
ミリカの想いは、会えない時間の分だけ積もっているのだ。
表面上は落ち着いて見せているが、そう見せているだけである。
ローラは間違いなく二人の仲を応援している。
だが、二人とも身分ある立場である。
立場上、
……まあ、いざという時は、きっと目に埃でも入ってよく見えなくなってしまうはずなので。
だから少々のアレは見逃さないでも――
「ん?」
ミリカが我を失わないかとハラハラしていると、二人は屋台で飲み物を買い、どこぞへと向かっている。
向こうには、店などはなかったはずだが。
ローラは路地裏を通って先回りする。
と――開けた場所に出た。
木々が連なる小道である。
紅葉が色鮮やかで、とても雰囲気が良い。
その証拠に、等間隔で設置されたベンチには、一つに一組カップルが座っている。
なるほど、とローラは頷く。
ここでちょっといい感じの雰囲気になりたいんだな、と察しがついた。
となれば、だ。
「――失礼」
ローラは、ベンチに座るカップルに交渉に入った。
――ミリカらのために、金をチラつかせてベンチを空けるよう頼み込むのだった。