204.やってしまった姿の師
「姑と折り合いが悪くてね。旦那は私の味方をしてくれないし」
「それはひどい男だ。紳士じゃない」
「これまでずっと耐えていたけれど、もう限界。そう思って家を飛び出したのよ」
「勇気ある決断力ですね。素敵な女性は決断力があるものだ」
「でも飛び出したはいいけれど、行きたいところがあるわけでもなし。目についた酒場に入って呑めない酒で悪酔いして」
「呑みたい夜もありますからね」
「……なんで子供に愚痴ってるんだろうね、私は」
「僕とあなた、運命の出会いがあったからでしょう? 麗しき人妻の君よ」
「あんた知ってるよ。リンコちゃんところのクノン君だろ」
「あー……まあ、そうですけど」
実際は逆だが。
リンコはクノンの家で雇っている使用人で。
今は自分で給料を払っているので、クノンが実質的な雇い主である。
まあ、他人にはどちらでもいいことか。
――噴水の近くにあるベンチに座り、目を覚ました麗しき人妻は語る。
顔を洗った彼女は、幾分酔いは醒めたようだが。
その代わりに、疲れた横顔をしてぽつぽつこぼす。
どうやら彼女、侍女リンコと付き合いがあるらしい。
というのも、クノンの借家の近くにある雑貨屋の奥さんなんだそうだ。
星空の下。
噴水のある広間で男女二人。
シチュエーションだけ聞くとロマンティックかもしれない。
「――ゼオンリー! おまえはいつになったら落ち着くんだ!」
「――あーうっせーうっせー。様をつけろよ万年下っ端野郎。俺は今や一国の王宮魔術師だぜ? 敬って媚びへつらえよ」
「――この街で身分など関係あるか!」
自警団が、喧嘩紛いの事情聴取をしていなければ。
傍から聞く限りでは、自警団員の多くがゼオンリーと顔見知りのようだ。
本人曰く「顔パス」は伊達ではないということか。
所在がなくなったクノンと当事者たる麗しき人妻は、一緒にいることにした。
率直に言えば、事情聴取の順番待ちである。
少しの間、待っていた。
行くところがないなら今夜はうちに泊まれば……とクノンが人妻を誘っていたところで、
「おい、クノン」
ゼオンリーがクノンを呼んだ。
ようやく聴取が終わったようだ。
「あ、終わりまし……えぇ……」
振り返れば。
ゼオンリーは両手に縄を打たれて、両脇を自警団員に固められていた。
やってしまった人である。
顔だけはいつも通り偉そうだが、その姿は完全にやってしまった人である。
「ちょっと行ってくるから、おまえはもう帰れ。あ、ダリオには伝えてくれ。長引きそうだ」
「行ってくる、って……」
今の師は、完全に留置所にブチ込まれる人の姿じゃないか。
いいのか。
これを放置して帰っていいのか。
情状酌量だのなんだのを訴えるべきではないか。
幸い器物損壊はあっても怪我人はいない。
麗しき人妻にも怪我はないようだし。
さすがに重い罪には問われないだろう。
だが、ここで縄まで掛けられて連れていかれたら。
禁固刑まで一直線ではなかろうか。
「心配すんな。言っただろ、俺は顔パスなんだ。明日にはもう一度おまえの家に顔を出すからよ」
そう言われても。
返す言葉を探すクノンだが。
ゼオンリーは構わず「おら行くぞ下っ端ども。ぐずぐずすんな愚図どもが」と煽り立てながら、自警団員たちを連れて行ってしまった。
どう見ても、覚悟を決めてやらかして捕まった悪党の姿だった。
潔いというかなんというか。
まあ、何にせよ、自警団員全員が行ってしまったので。
クノンと麗しき人妻は二人きりになってしまった。
「……行きましょうか」
ゼオンリーがいいと言うなら、仕方ない。
幸い、ダリオを呼べとは言っていたので。
ゼオンリーなりに考えがあってのことだろう。
そもそも、引き留める言葉も、この状況を覆す言葉も持ち合わせていない。
ここで起こったことは、説明できないことばかりだ。
事情聴取されても、答えに窮するのは確かである。
だからクノンは、ここはゼオンリーに任せることにした。
「本当にいいの?」
「だって行くところがないんでしょう? リンコと付き合いがあるなら、僕と付き合いがあるも同然だし。問題ないですよ」
――問題はあるのだが。
人妻をお持ち帰りする行為に、問題がないわけがないのだが。
しかも今は、婚約者が来ているのに。
よりによって婚約者が来ている時なのに。
「――おう悪ガキ。久しぶりだな」
ゼオンリーと自警団員がガンガン言い合っていた取調室に、壮年の男が入ってきた。
「もういいぞ。後は俺がやる」
と、男は団員に告げて追い出した。
小さな明かりが照らす、薄暗く狭い取調室。
向かい合って座る。
全てが懐かしく思える。
「おっさん。あんたもう副団長なんだって? 偉くなったな」
不敵に笑うゼオンリーに、男も笑って答える。
「なりたくなかったがな。この街で地位を得るってことは、ただ忙しくなるってだけだ。
たとえ寝てても、おまえみたいな問題児に叩き起こされるしな」
――男の名はゾクバ。ディラシック自警団の副団長である。
五十近い年齢に、それに似合わない屈強な体躯。
戦士としての腕を買われて自警団員となり、長くこの街に根を張ってきた。
これで一ツ星の魔術師でもある。
あまり魔術は得意ではないが、これがあるから戦士として優秀なのだ。
魔術が使えるというだけで、戦術の幅は広がる。
たとえ小手先の魔術であってもだ。
「いいじゃねぇか。また俺に会えただろ」
「二度と見たくない顔だったけどな。何年経っても変わんねぇな、ゼオン」
憎まれ口を叩くが、お互い表情はそれなりに嬉しそうだ。
「悪いな、おっさん。今回もだ」
「わかってるよ」
――もう十年以上前になるか。
まだ魔術学校の生徒だったゼオンリーと。
まだ班長だったゾクバ。
街中で問題を起こすゼオンリーを、よく取り調べしていたのがゾクバである。
その関係が長じて、奇妙な友情のような物が芽生えた。
元々友人も理解者も少なかったゼオンリーだけに。
ゾクバのような数少ない友人や理解者とは、付き合いが深い。
「相変わらず話せないことばっかやってんだな」
「まあな」
――あの頃のゼオンリーは、魔術の失敗でやらかすことが多かった。
そしてそれは、誰にも話せない内容が多かった。
それはこの世にない発明であったり。
新たな魔道具の可能性の模索であったり。
守るべき知的財産だった。
だが、問題を起こした以上、当然事情聴取はされる。
自警団は仕事である。
聞かないわけにはいかない。
だがゼオンリーも詳しくは話せない。
話せば自分の成果が奪われかねないから。
と、互いの事情で膠着することが多く、よく揉めていた。
度々その仲裁に入っていたのが、ゾクバである。
――雇い主からの評判は悪くなく、仕事は真面目にやっているという話を信じて、多くは聞かないことにしたのだ。
どうせ何を聞いても話さない。
罰金や弁償の代金は毎回ちゃんと払っていたので、多くは聞かないことにした。
今回も、そういう類の案件のようだ。
だからゾクバは聞かない。
罰金と弁償で済ませるつもりだ。
――そして、その結果。
「おまえ今王宮魔術師なんだって? 俺よりよっぽど偉くなりやがって」
尖った才能を遺憾なく伸ばして。
ゼオンリーは魔術師としては最高峰の地位にまで上り詰めた。
「おう、偉くなったよ。
だから約束を果たそうと思ってよ。いずれおっさんのところに顔を出すつもりだった」
「約束?」
「酒が呑める年齢になったら俺のおごりで呑みに行く。約束しただろ?」
「あ? ……ああ、あれ本気だったんだな」
ゼオンリーが魔術学校を卒業し、ディラシックから去る時。
別れ際に言われたことだ。
ゾクバとしては、約束だなんて思ってなかった。
なんなら二度と会わないだろう、と思っていたくらいなのだが。
「これでも感謝してるからな。黙っておごられろよ」
「相変わらず生意気なガキだな。
――んじゃ、遠慮なく王宮魔術師サマに高い酒でもおごってもらおうかな」
思いがけない再会だが、嬉しくないわけもない。
お互い十年以上会わなかったのだ。
話のネタは、一晩くらいでは尽きないだろう。