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203.的確な魔術





「――よし」


 クノンは一足先に広場へとやってきた。


 立ち並ぶ街灯が映し出す、噴水のある広場だ。


 陽が出ている時間はにぎやかだが。

 今は静かに水の囁きが聞こえるばかり。


 人は数名ほど。


 ベンチで横たわる者。

 噴水の脇で、酒瓶を抱えて座り込んでいる者。

 道端で倒れている者。


 もう少し早い時間なら、カップルなどが毎夜イチャイチャしているのだが。

 深夜だけに、影も形もない。


 そして酔っ払いたちも寝るような深夜だけに、人はいても起きている人はいないようだ。

 少なくとも近くには。


 広さは充分。

 身近な戦場としては申し分ない。


 ここならゼオンリーも、ある程度は遠慮なく魔術が使えるはず。


 多少壊れるかもしれないが、人的被害が出るよりはマシだろう。


 何より、万が一にもゼオンリーの手に負えない場合。


 ここなら街中にいる魔術師の助っ人が望める。

 遅かれ早かれ自警団も駆けつけるはずだ。


 オーガ憑きの麗しき人妻に、怪我をさせないよう対処するためにも。

 余剰の力はあっていい。


「ちょっと失礼しまーす!」


 大声で一声かけて、クノンは「水球」で布団を作り。

 寝ている人たちを包み込むようにして確保し、広場の脇まで移動させる。


 誰か一人くらい起きるかと思ったが。

 そして騒ぐかと思ったが。


 誰一人として起きなかった。


 もはや酔って寝ているのではなく、失神しているのだろう。

 深酒とは恐ろしいものである。

 

 ――程なく、ゼオンリーが走りこんできた。


 相変わらず白目をむいて爆走する、麗しき人妻を連れて。





「人の避難は完了してます!」


 そう伝えるクノンは、空という場所をキープしたままだ。


 ここなら如何様にも援護ができる。

 そしてゼオンリーの動きを阻害しない。ベストポジションだ。


「わかった!」


 ゼオンリーは噴水まで掛けると、淵に立って振り返った。


 そんなゼオンリーに向かって。

 麗しき人妻が走りこんでくる。


 途中にあった街灯を腕の一振りで破壊して、一直線に。


 あの細腕のどこにそんな力があるのか。


「――クノン! あの女を三秒止めろ!」


 師のオーダーである。

 返事より早く、クノンは「砲魚(ア・オルヴィ)」を放った。


 直線に飛ぶ放水は空に向かい――直角に落ちる。


 麗しき人妻の真上から、背後を取り。

 足元を狙って衝突し、ばしゃりと飛沫を飛ばした。


 死角から迫る水。

 麗しき人妻は気づきもしなかったようだ。


「――」


 麗しき人妻が、声にならない声を上げた。


 踏み出した足がずるりと滑り、転んだからだ。


 粘度高めの水である。

 ぬるぬるでよく滑るのだ。


 ついでに麗しき人妻付近にも放水して広げておく。


 これで立ち上がることはできないはず。

 足止めは成功――


「えっ!?」


 しなかった。


 ドン、ドン、と。

 麗しき人妻は、石畳に(・・・)足を突っ込んで(・・・・・・・)立ち上がった。


 力ずくの歩みだった。

 水の表面は滑るが、その下は滑らない。


 想定外の力強さである。

 いや、力が強いことは最初からわかっていた。


 その脱出方法を思いつかなかったクノンの落ち度だ。


 頼もしい力強さである。

 クノンは「これは守ってもらいたい力強さだな」と感心した。


 だが。


 三秒だ。


「――『土剛檻(ト・ガララ)!』」


 力を帯びたゼオンリーの声とともに、麗しき人妻の足元から、金属の棒がせり上がる。


 幾つもの棒が、麗しき人妻を囲むように何本も立ち。

 それはすぐに蓋がついて、石畳からそびえる檻となった。


土剛檻(ト・ガララ)」。


 本来は土でできた檻を作る中級魔術だが。

 ゼオンリーは金属性で発現した。


 ――さっき使って粉砕された「三十一の土檻」の金属版である。


「――」


 麗しき人妻が、忌々し気に声にならない雄たけびを上げた。


 目の前の棒を握る。


 ぐにゃりと。

 何の抵抗もなく曲がる。


 とんでもない怪力である。

 守ってもらいたい。


「気をつけろよ? そりゃ永続使用の吸魔性だぜ」


 不敵に笑うゼオンリーの声に従うように。


 麗しき人妻の動きが止まった。

 曲げた格子から足を一歩踏み出した、そこで。





「さすが師匠……」


 吸魔性。

 要するに、魔力を吸収する金属で生成した檻、ということだ。


 吸魔の特性は、その特性上魔術と相性が悪い。


 クノンも再現しようとしたことがあるが、まだ小さな物しか水に付加させられない。

 とてもじゃないが実戦に使えない程度の代物だ。


 それなのに、ゼオンリーの「土剛檻(ト・ガララ)」は違う。

 見ての通り、実戦で通用するほどの質と量で構成している。


 しかも、吸収した魔力で檻自体が強化される。

 いわゆる永続使用だ。


 魔術で対抗するより、物理で対抗した方が早そうである。


 ――しかし件のオーガは、魔術関係の存在である。


 むしろそれだけしかわかっていない。

 それだけに、ゼオンリーの対処方法は的確だった。


 魔術関係なら、魔力がなくなければ何もできなくなる。

 だからそれを奪ったのだ。


 たとえ怪力であっても、力の源は魔力だから。


「……」


 麗しき人妻は、糸が切れた人形のように檻の中に座り込んだ。


 そして。


「あ、出てきた」


 半透明のオーガが分離した。


 吸魔性の檻から突き出ているので……あれ自体は魔力を持ち合わせていないようだ。





「大丈夫ですか、ししょ――いたたたたっ!」


「よくも俺を置いて行ったな、馬鹿弟子が」


 ぎりぎりと。

「水球」を解除して降り立ったクノンは、ゼオンリーに頭を掴まれ絞められた。ぎりぎりと。


「仕方ないでしょ! 僕は走れないんですから!」


 何せ見えないのだ。


 歩く分にはまだいいが。

 走るのは難しい。小さな石でさえ致命的な障害になりうる。


 転べば麗しき人妻に捕まる。

 あんな怪力の人妻に。


 捕まったら大変だ。


「俺も連れていけばよかったんだよ。なんだよ一人用って。つまんねぇ嘘つきやがって」


 確かに嘘だが。


「師匠まで空に逃げたら被害が広がるでしょ!」


 あの麗しき人妻は、直線的に動いていた。

 きっと立ちふさがる障害物はすべてなぎ倒して追ってきただろう。


 ゼオンリーが走れる場所なら、向こうも走って追ってこれる。


 しかし空となると。


 建物などを破壊しながらでも、一直線に追ってきたかもしれない。


 仮にそうじゃなくても。

 何か物を投げられたらたまったものじゃない。


 直撃しても危険だし、避けた物がほかの何かに当たることも考えられる。


 クノンとしては、あの時最善の策を取ったと思っている。

 彼女がゼオンリーを追っていたからこそだ。


 そんな話をする余裕もなかった。

 だから仕方ないだろう。


「それに、そもそも師匠のせいじゃないですか……」


 そう言うと、ゼオンリーはクノンを離した。


 彼は少々気まずそうな顔をしていた。


「……やっぱりそう思うか?」


「それ以外がないと思います」


 どう考えてもちょっかいを出したゼオンリーのせいだ。

 それ以外ないだろう。


「オーガはどうなってる?」


「分離してます。あと」


「あと?」


「まだ睨んでますよ。師匠を」


 そう。

 オーガは動いたのだ。


 来る日も来る日も微動だにしなかったのに。

 動いたのだ。


「……まあ色々わかったこともあるし、問題ないな。うん。魔術の発展にリスクはつきものだしな」


 ゼオンリーはそんなことを言うが。


 クノンはそれどころじゃなくなった。


「あ、僕帰りますね」


「まあまあ。そう言うなよ」


 逃げようとしたが、また捕まった。


 光が近づいてくる。

 いくつかの光が、通りのあちこちから近づいてくる。


「つれないこと言わないで、最後まで師匠の散歩に付き合えよ」


「……」


 クノンは溜息をついた。


 ――ディラシックの治安を守る自警団がやってきたのだ。


 ゼオンリーも選ばないだけに、さすがに逃げるのはまずいと知っているのだろう。

 ここで逃げたら犯罪者として扱われることになるから。


 クノンとしては、ゼオンリーだけで対処してほしかったのだが。


 師匠は弟子だけ逃がす気はないようだ。


「まあそんなに心配するなよ。この俺がいるんだぜ?」


「え? 師匠の顔と名前でなんとかなります?」


「おう、学生時代は常連だったからな。顔パスだ」


 顔パス。


 クノンは諦めた。


 ――あ、この人学校の外でも問題児だったんだな、と。


 そう思ったら、もうどうにもならないと悟った。





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