196.再会し、忘れられ
だいたい一年と半年だ。
クノンがヒューグリア王国を出て。
魔術都市ディラシックへやってきて。
ミリカと別れて、だいたい一年と半年が過ぎていた。
ミリカ・ヒューグリア。
ヒューグリア王国の第九王女。
そして、クノンの婚約者。
クノンにとって、誰よりも付き合いの長い他人である。
まあ他人と称するには抵抗があるが。
しかしまだ身内でもないし、家族でもない。
だから、もっとも付き合いの長い他人で、婚約者。
クノンにとってのミリカは、そんな存在である。
「――あの、なぜここに? 師匠と一緒に来たんですか?」
しばし言葉はなく。
ただただ無言の抱擁を経て、ようやく二人は離れた。
クノンは動揺していた。
再会した瞬間は、言葉が見つからないくらい動揺していた。
いや、今も正常とは言い難い。
それくらい胸の鼓動が早くなっている。
予想もしていなかった再会だけに。
まったくといっていいほど、心の準備ができていなかったのだ。
「はい。思い切って付いてきました」
ミリカは満面の笑みでそう答えた。
――ほんとに思い切ったな、とクノンは思った。
王族であるミリカが、ここに来られるわけがない。
にも関わらず、彼女はここにいるのだ。
何か事情があるのか、それとも……
――何にせよ、思い切った行動であることは確かである。
うら若き男女である。
いつまでも家の前で抱き合っているわけにもいかない。
クノンはひとまず、客人たちを家に通した。
ミリカは一人じゃなかった。
彼女を入れて、四人いた。
まず、師ゼオンリー・フィンロール。
彼とは今朝、魔術学校の前で会っただけに、来ることはわかっていた。
次に、騎士ダリオ・サンズ。
ヒューグリア王国に居た頃、護衛としてミリカらに同行していた彼である。
今は騎士ではなく、剣を吊った小奇麗な庶民という格好だ。
そして、もう一人は。
「確か、殿下の侍女の方だったかな?」
「はい。ローラと申します」
「そうだ。ローラさんだ」
会ったのは一度だけ。
だが、クノンは憶えていた。
ミリカと初めてディナーに行った日に、彼女が同行したからだ。
特別な日だっただけに、彼女の存在も印象深い。
そんなローラはともかく。
実に馴染み深いメンツが来たものだ。
懐かしくて泣きそうなほどだ。
「クノン、俺たちはあまり時間がない。すぐに戻る必要がある」
庭にセッティングしたテーブル。
真っ先に椅子に座ったゼオンリーは、まずそう言った。
「あ、はい。……そうでしょうね」
――クノンにさえ不自然な出会いだということは、わかっている。
ミリカが来たことには大層……
ともすれば、今もまだ動揺が静まらないくらい驚いているが。
ひとまずミリカのことは置いておくとして。
ゼオンリーがやってきたことはおかしい。
正確に言うと、
「国を離れて大丈夫なんですか?」
ゼオンリーは王宮魔術師だ。
通常なら王城から出ることもできない。
ましてや国を出るなんて、立場上絶対に許されないはずだ。
まあ、逆に言うと。
それだけの用事があるからやってきた、ということになるが。
「問題ねぇよ。上からの命令だ。今回ばかりは俺の責任問題は一切ない」
「上からの」
上と言うと、王宮魔術師総監ロンディモンドの命だろうか。
「――おまえ相手に今更言葉を取り繕う気はねぇからな。単刀直入に言うぞ。
手紙に書いてた魔建具、ヒューグリアが独占したいってよ」
魔建具。
魔力を込めるだけで土の家を建てる、という生まれたての魔道具だ。
「あ、もう共同開発者と一緒にこの街のギルドと契約してます」
取り繕わないのはお互い様。
クノンも飾ることなく、現状を報告した。
もう独占は無理だよ、と。
「ああ、まあ、そうだよなぁ」
どんな答えを期待していたかは知ららないが。
ゼオンリーはニヤニヤ笑い出した。
「この街で開発なんて、知的好奇心と金目当て以外ありえねぇもんな」
「はい。あと単位ですね」
魔術を知りたい。
試したい。
そんな好奇心が赴くまま前進して、日々新しい何かが生まれる。
魔術学校はそんな場所だ。
少なくともクノンはそう思っている。
「卒業した後、心底思ったぜ。国だの立場だののしがらみが面倒くせぇってな。国益とか考えろって言われても知らねぇっつーんだ」
ゼオンリーらしいセリフである。
国のお偉いさんに聞かれたら大変なことになりそうな、ギリギリのセリフだ。
「ちなみに共同開発者ってのは? どこのどいつだ?」
「アーシオン帝国の貴族の娘です」
「あ、じゃあもうヒューグリアで独占は無理だな。ははっ。ざまぁみやがれ」
実に楽しそうに笑うゼオンリー。
クノンは察する。
――きっと師は国や立場のしがらみでやってきたのだろうな、と。
ゼオンリーを動かすことができる立場の者など限られる。
きっと王族の命令だろう。
そこまで悟った。
だからクノンは、この話題に触れないことにした。
もし知ってしまうと。
クノンまでしがらみに絡め取られそうだから。
「魔建具、そんなに気になります?」
「ああ、ありゃ面白ぇ。俺が直々に褒めてやりたくなるくらい面白ぇ。きっとでけぇ産業になるぜ」
あのゼオンリーが素直に褒めるなんて。
そこまでの存在か、とクノンは少し驚いた。
「でも師匠なら考えたことくらいあるでしょう?」
「いや、盲点だったんだ」
クノンの言葉に、ゼオンリーは言った。
「俺は家くらいすぐに建てられる。だからそれを魔道具に落とし込むなんて考えもしなかった。
そうだよな。俺ほどじゃない連中ばかりなんだし、俺以下の連中には需要あるよな」
優秀な土魔術師ゆえ。
すぐに自力で建てられる土作りの家に、価値を見出したことがなかったらしい。
「術式が単純明快なのがいいな。今や
俺も何枚か作って持ってきたぜ」
「え、ほんとに!? 師匠デザインの家!? 見たい!」
ゼオンリーならあっという間に習得し、すぐに応用まで到達したに違いない。
どんなすごい家になっているのか。
興味を抱くなという方が無理である。
「――変わらないなぁ」
ミリカは感慨深く呟いた。
クノンとゼオンリーが盛り上がっている。
自分のことなどそっちのけで。
一年以上会っていなかった婚約者など忘れたかのように。
ヒューグリアにいた頃とまったく同じだ。
場所、時間、状況こそ違うが。
クノン自身は全く変わっていない。
背が伸びていた。
少し大人になったと思った。
しかし中身はあの頃のままだ。
――今この時、クノンの頭の中には、ミリカはいない。
あの頃と同じだ。
でもそれでいい。
傍で、魔術に夢中なクノンを見ている。
あの頃のミリカはそれでよかった。
やはりクノンは、魔術に関わっている時が一番魅力的だから。
そして今、再確認している。
自分の立ち位置はここでいいのだ、と。
魔術に夢中なクノンを見ている。
これからも、きっと。