192.スタートライン
「――あ、サグ様」
商業ギルドで契約を交わした翌日。
セララフィラは、副支部長サグ・リクスンに呼び出されて、再び商業ギルドにやってきた。
呼び出しの手紙が届いたのだ。
クノンとランチに行って、パフェへ行って。
魔道具の素材を扱う店を冷かしたりして、素材って軒並み高いなとがっかりして。
そして夕方。
使用人と一緒に家に戻れば、すでに手紙が届いていた。
明日、できれば早めに商業ギルドに来てほしい、と。
「書類に不備でも――」
「待ってましたよ! さあセララフィラさん、奥へどうぞ!」
ギルドに顔を出すなり、職員がサグを呼びに行き。
呼ばれて飛んできた中年男は、挨拶もなく、流れるように少女の手を取り奥へと誘う。
見た目に少々犯罪っぽいが。
それっぽく見えるだけだ。
有無を言わさず、セララフィラは昨日商談をまとめた応接室に通され。
「さあさあ」と昨日と同じ椅子を勧められ。
そのタイミングで、用意周到に「失礼します」とお茶とお菓子が運ばれてくる。
多少の違いはあれど、昨日の繰り返しのようだ。
大きく違う点は、今日はセララフィラは一人で来たこと。
それから。
「――失礼」
お茶とお菓子を運んできた女性がセララフィラの正面にいるサグの隣に座ったことだ。
銀縁メガネを掛けた、知的で大人の女性である。
理知的に輝く、切れ長の青い瞳。
黒に近い茶色の髪は長く、綺麗に結い上げている。
黒いスーツを着ていて身だしなみもちゃんとしているし、無意味に肌を露出しているわけでもない。
それなのに色気がすごい。
スタイルが良いせいで、まとっているからこそ身体のラインが浮き彫りになっている。
セララフィラはドキドキした。
「本日はご足労いただきありがとうございます、セララフィラさん。
初めまして。私はアクリル・サージと言います。この支部の不動産関係の担当をしています」
不動産。
つまり――家、か。
「書類に不備があって呼ばれたかと思ったのですが、違うのですね」
契約したのは、つい昨日。
そして昨日の内に呼び出された。
あまりに早い呼び出しなので、セララフィラは契約関係に問題があったのかと勘ぐっていた。
サインしなければならない書類がまだあった、とか。
そういうのかと思ったのだが。
ここに不動産の専門家の美女が来たということは、少なくとも昨日の契約の話ではないだろう。
「ええ。昨日、セララフィラさんたちとの契約が終わってから、商業ギルドでは緊急会議が開かれました。
内容は、わかりますね?」
セララフィラは先を促すように頷く。
自分が呼ばれる理由なんて一つしかないので、確かめる必要もない。
「魔建具について、様々な意見が出ました。
率直に言うと――どこまで魔建具で作れるのか、という話題に焦点が集まりました。
サンプルとして置いて行ってくださったものは見させていただきました。
あれをどれくらい大きくできるか、部屋数を増やせるか、強度を強くできるか。
たとえば、既存の家をそっくりそのまま模倣できるのか。
それを確かめたくて、あなたに来てもらいました」
そう言って、アクリルは数枚の書類をテーブルに並べる。
全部家の見取り図だ。
ただし、一人暮らししかできなさそうな安普請から大勢住める貴族用の別邸まで、という幅の広さだが。
「これらの家を作ることは可能ですか? これのできる範囲が、現段階での魔健具の価値となります。
我々はまだ、魔建具の価値を決めかねているのです。
それを決めないと価格が付けられませんので」
セララフィラは答えた。
「可能です。特殊な仕掛けさえなければ、建てることだけは問題ありませんわ」
そう、土魔術師側から見た、魔健具の最大の利点。
それは、建物の規模が大きくなろうと、間取りが複雑になろうと。
それでも全ては雛形の延長でしかないというこだ。
壁を伸ばす。
壁を増やす。
形を変える。
強度を変える。
こんな基本だけで、どうにかなってしまう。
はっきり言えば。
まだ特級クラスの実力がないセララフィラでも、作れる物。
構造的にはそれくらい簡単なものなのだ。
見せられた見取り図通りの家も、再現できる。
術式が大きくなるので手間と時間は掛かるが、きっとセララフィラでもできる。
「ではこれらの見取り図通りの魔建具を用意していただけますか?
一枚につき二百万。こちらの大きな家は、一枚につき五百万をお支払いします」
――お金になった。
昨日、月に五百万ネッカの契約が成立した。
にも拘わらず、翌日には更なる仕事が舞い込んできた。
提示された金額で見取り図全部を合わせたら、二千万以上。
魔術師は儲かる。
このフレーズは何度か聞いたことがある、有名な言葉だ。
あの言葉の意味は、まさにこういうことなのだろう。
「わかりました。この仕事、お引き受けいたします」
土の家のオーダー。
いずれ頼まれるとは思っていたが、こんなにも早いとは思わなかった。
セララフィラにとっても、いきなり本格的な家の作製である。
だが、きっとできる。
自身も、この技術でやってみたいことがたくさんある。
たくさん思い浮かんでいる。
そして、これから家を作ることを考えると、家のことも知りたくなっている。
この仕事は、仕事抜きにしても、いい経験になるはずだ。
「それで、土台はどうしましょう?」
魔建具は、紙だの板だのと言った形の「敷物」である。
敷いた物の上に、術式に添った土の家が建つ。
「家の規模が大きくなればなるほど、『敷物』は大きくなります。『敷物』のサイズが建物ですから」
「小さい家は木の板、大きな家は鉄の板を用意します。あとでギルドが懇意にしている建築会社を紹介しますので、そちらで必要なものを受け取ってください」
鉄の板。
木の板でも結構嵩張るのに、鉄ごしらえ。
いったい何枚必要になるだろう。
きっと重い、運ぶのが大変そうだな、とセララフィラは思った。
いや。
今の自分なら、車輪を付けた荷車くらい土で作れるだろう。
それを自動で走らせることができれば……
「――セララフィラさん?」
「あ、はい。なんでもありません」
思わず考え込んでしまった。
やりたいことが思い浮かんでしまう。
やりたいことが多すぎる。
でも、どこか嬉しい。
気が付けば魔術のことを考えている、というのは。
「調和の派閥」の先輩方も、クノンも、そうだったから。
――ようやく魔術師としてのスタートラインに立てたような気がした。