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187.小さな土の家





「こんにちは、マイラさん。今日も曇り空に差し込む光のように美しいね」


 小さな紳士は挨拶し、土産に買ってきた食材とお菓子を渡す。


「ようこそクノン様。いつもありがとうございます」


 老いた女使用人はニコニコして紳士を迎え入れた。


「お嬢様、クノン様が……あら」


 セララフィラの反応がない。

 見れば、彼女はリビングのテーブルに突っ伏して寝ていた。


「いいよ。僕が起こすから」


 マイラにはお茶を淹れるよう頼み、クノンはテーブルに歩み寄った。


 ――五日目。


 クノンがセララフィラのアパートに通い始めて、今日で五日目である。


「へえ……」


 寝落ちしているセララフィラ。

 彼女を避けるようにして、テーブルには書類や紙くず、本が広がっている。


 明らかに走り書きの書類。

 クノンはその一枚を手に取り、一目見て感心した。見えないが。


「数日でここまでできたのか」


 恐ろしい習得速度だ、と思った。


 魔術であれ何であれ、何事も覚えは早いと彼女は言っていた。

 それは事実だった。


 セララフィラは、この数日で、魔道具造りの基礎を理解していた。


「……ははあ、なるほどなるほど」


 クノンは次々に書類を読み漁る。


「ん……」


 近くで空気が動いた。

 その違和感を感じたのだろう、セララフィラが浅い眠りから戻ってきた。


「あ、クノン先輩……」


「ゆっくりしてていいよ。ここ君の家だし」


 クノンは夢中だった。

 今はセララフィラより、彼女の書いた物しか目に入らない。





 五日目の今日に至るまでの、四日間。

 クノンは毎日セララフィラの家にやってきた。


 彼女に魔道具造りの基礎を教えていたのだ。


 場所がセララフィラの家なのは、彼女たっての希望である。


 ――セララフィラはすぐに理解したのだ。


 この開発はとんでもない金になる、絶対に情報を漏らしてはならない、と。

 だからここを選んだ。

 

 クノンとしては場所はどこでもよかったので、特に不満はない。


 そして、セララフィラの魔道具学の勉強と並行して。

 魔力を流すと家が立つ魔道具の構想を、二人で練ってきた。


 同時進行だ。

 ここでの遅延は、セララフィラ自身が認められなかった。


 プライドの問題だ。

 ただでさえ利益の折半などという迷惑を掛けているのに、この上クノンの時間まで図々しく奪うわけにはいかない。


 セララフィラは睡眠時間も学校へ行く時間も削って、魔道具学の勉強に没頭した。


 その結果――


「図面は引けるようになったね」


「はい。……おかしな点はなかったですか?」


「おかしい部分はなかったよ。これなんか全部繋がってる。でもこことここは省略できる。……まあ今回は関係ないか。これで問題ないよ」


 ――決められた容量に、たくさんの術式を埋める。


 これが魔道具の造り方の基本だが。

 今回に限っては、容量は大きく使える。


 少なくとも、今は。

 追々たくさんの改善案も出てくるだろうが、今はこれでいい。


「そろそろ始めようか」


 これならセララフィラも充分戦力として期待できる。


「いよいよやりますか……」


 セララフィラはごくりと喉を鳴らした。


 この四日間。

 これ以上ないほど努力を重ねてきたセララフィラである。


 いよいよその力を問うと言われると、緊張してきた。


 正直、今は、魔術学校の入学試験の時より緊張している。


「というか、もう成功させたでしょ?」


「え?」


「試さないわけないじゃない。僕が君なら一人で何度でも試してる。術式がちゃんと描けてるかどうか、確かめるなら試すのが一番早いんだから」


 まあ、その通りだが。

 実際クノンの読み通り、たくさん試してみたが。


「でも想定している大きさはまだ……」


「問題ないよ。雛形さえできれば応用はいくらでも利くから」


 さあ、とクノンは手を出した。


「今一番自信がある術式を出すんだ。今すぐやろう。早く僕にも見せてくれ」





 開発する魔道具は、今のところ紙に描く術式という形である。

 

 今後を考えると、紙以外に描くことになるだろう。

 耐久度や使用感といったものを考えて、だ。

 

 だが、試すだけなら、紙で充分。


 魔道具用の術式とは。

 簡単に言えば、魔力の伝わる道順を示すものである。


 その道にいくつも仕掛を組み込むことで、魔的要素が連動して複雑な効果を発揮する。 


 たとえば、魔力がここを通ったらこの魔力が発生するという「通過弁」や、ここを通ったら二股になってかつ属性が変わるという「二叉変換弁」といった、複雑な仕掛けもあるのだが。


 今回の魔道具は、非常にシンプルなものとなっている。

 だからこそ、セララフィラも基礎を学んだだけで術式を描くことができた。


「やっぱり四角なんだね」


「わたくしはこれが一番やりやすいので。……いずれ複雑な術式も引けるようになりますわ」


 まず、テーブルを片付けて。


 向かい合って座るセララフィラとクノンの前には、一枚の紙が敷かれた。


 術式の描かれた紙である。

 実に四角の多いものとなっている。


 セララフィラらしい一枚だ。


「では、行きます」


 紙に向かって、セララフィラは魔力を流した。


 すると――術式に添って、土の壁が伸びていく。


 まあ、と驚いたのは部屋の隅で座り刺繍をしていたマイラである。

 彼女は始めて見たようだ。


「……ふう」


 あっという間だった。

 術式を描いた紙の上に、土造りの小さな家ができていた。


「うん。いいね」


 最初はこれでいいのだ。


 簡素すぎる平屋だ。

 傍目にはただの土でできた長方形の立方体である。

 

 窓はあるがガラスはなく、はめる枠はあるがドアもない。

 中の作り込みもそれなりだ。

 家具もあるものの、何がなんだかわからない四角い置物ばかりである。


 だが、これでいい。


 これを雛形にして、色々な工夫を組み込んでいくのだ。

 色を変えたり、家具に凝ったり飾りに凝ったり。


 土や石にも色々な種類がある。

 きっとできることの幅は、恐ろしく広いだろう。

 こだわりたいと思えば、果てしなくこだわれるはずだ。

 

 ――あとは、実際人が入れるほどの大きさの物を作るだけだ。


 これはあくまでも試しに作った物だ。

 いわば本番前の予行練習である。


「じゃあ僕も試してみようかな。解除してくれる?」


「はい」


 セララフィラは紙を操作し、魔道具を解除する。

 すると、土の家が跡形もなく消えた。


 そう、これは魔道具なのだ。


 魔力を流すと、特定の魔術が特定の形に発動する。

 そういうものなのだ。

 

 この術式に込められているのは、土魔術の基礎「砂上下(サ・コラ)」と「砂硬度(サ・グゥケ)」だ。


 この二つが発動し、決まった形の土が出る。

 家の形をした土が。


 それだけの単純な仕掛けである。

 まだまだ土魔術師として未熟なセララフィラでもできるくらい、簡単なものなのだ。


「お、できた。なんかいいね! これさ、小さいものでもオモチャとして売れそうだね!」


 今度はクノンが試すと、同じ土の家ができた。


「……」


 角度を変えて仔細に土の家を眺める、見えていないはずのクノン。


 ――そんなクノンを見ていて、セララフィラは思っていた。


 初歩の魔術だけでこんなことができるのか。

 色々と非凡ではあると思うが、一番恐ろしいのはクノンの発想力だ、と。





「どうかな、マイラさん。こんな家住んでみたい? 僕はあなたと一緒ならどんな家に住んでもきっと楽しいと思うけど」


「その一間に二人で暮らすのは、さすがに手狭ですわ。クノン様」


「だよね。僕もそう思う」


 はっはっは、ほっほっほっと笑う二人。


 色々とクノンに思うことがあるセララフィラは、今はちょっと笑えなかった。


「セララフィラ嬢はどう? こんな家住んでみたい? 僕は君と一緒ならどこでも楽しそうだと思うけど」


「こんな素敵な紳士と一緒に住むならわたくしも同感ですが、この一間ではきっと一人暮らしでも狭いですわね」


 ――それから三人は、少しばかり理想の家の話をして。


 今日のところは解散となった。


 明日は、大きな家を立てる予定である。




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