186.ややこしい話は師に丸投げ
新しい家は新鮮だ。
まず、庭がない。
外壁がないので門もなく、当然開ける者もいない。
もう入り放題だ。
勝手に帰ってきて。
勝手にドアを開けて侵入して。
手すりもない狭しい階段を三階まで登った、とある一室。
ドアに備え付けられたプレートには、303号室と書かれている。
カギを差し込み、回す。
「ただいま帰りました」
そこが、セララフィラの今の住居である。
ここは魔術師が多く利用している安いアパートメントである。
まあ、安いだけに二級、三級クラスの者たちが多いのだが。
特級クラスは、家賃は学校持ちである。
どんなに高額でも特に文句は言われないので、わざわざ安い家を選ぶ理由はないのだが――
「あっはっはっ――おっと、お帰りセララフィラ嬢」
「あ、お嬢様。お出迎えもせず申し訳ありません」
ドアを開けたすぐそこは、申し訳程度に広く取ったリビング。
そのテーブルに着いているのは、クノンと。
「いいわ。そのまま」
クォーツ家から連れてきた使用人マイラだ。
立ち上がろうとしたマイラを制し。
セララフィラは、とりあえず部屋に鞄を置き、すぐ戻ってきた。
「クノン先輩、お待たせしました」
――聖女の家に行っている間、クノンにはセララフィラの自宅で待っていてもらったのだ。
クノンが提案してくれたのは、大金の動く話である。
外で話すよりは、プライベートスペースで話した方がいいだろうと判断した。
セララフィラも高位貴族の娘。
重要な話を、道端や喫茶店でするのは、かなり不用心だ。
もちろん、聞かせてもらうのはセララフィラ側。
こんな狭い家に呼ぶのもどうかとは思った。
だが、しかし。
色々足りないまでも、客として持て成す気持ちくらいは伝えたかった。
「ううん。マイラさんとしゃべっていたらあっという間だったよ」
そう言うクノンと同じテーブルに着いている、使用人マイラ。
もう高齢で、足腰にもガタが来ている老婆である。
セララフィラが生まれた時から、ずっと世話をしてくれた、祖母のような存在だ。
――先月のセララフィラの収入では、彼女一人を残すだけで精一杯だったのだ。
マイラは「今更給料などいらない、セララフィラの傍にいられればいい」と。
そう言ってくれた。
だが、そういうわけにもいかない。
かなり低賃金ではあるが給料を払い。
なんとか今月まで、彼女に残ってもらった。
狭い家を選んだのは、彼女でも手入れができるようにだ。
今は生活より魔術になっているセララフィラは、住めるならどこでも良かったのだ。この生活も新鮮で、あまり不満はないし。
「クノン先輩、同席を認めてくださってありがとうございます。マイラは足腰が少し悪くて」
使用人に同席を許している辺り、さすがクノンだ。
クノンのことだから、マイラを優しく扱ってくれるだろうとは思っていた。
期待通りだった。
セララフィラはほっとしていた。
クノンもマイラもニコニコしていたので、本当にほっとした。
「そうなの? まあ、これからはちょっと気を付けてほしいとは思ってるよ。こういうのはちょっと良くないからね」
「は、はい。すみません。気を付けます」
クノンの言葉にはかすかに非難の色があった。
何について言っているのかはわからないが。
きっと何か落ち度があったのだろうとセララフィラは思った。
「――こんな魅力的な女性と僕を二人きりにするなんて。間違いがあったら大変だよ。まあ僕は紳士だから楽しい時間が過ぎた以外何も起こらなかったけどね」
「あ、そうですねー。今度から気を付けまーす」
気にしなくてよさそうだ。
マイラを下がらせ、本題に入る。
「まず最初に言っておきたいのは、特許の権利だね」
「とっきょ? ですか?」
クノンは意外な言葉から入った。
「うん。この前本国に……あ、僕の故郷のヒューグリア王国ね。国に手紙を書いたんだ。特許についてね。
今から君と僕で開発するものは、きっと莫大な財産になる。その辺の調整を頼んだんだ」
――あまりややこしい金勘定になったら、クノンにもわからないのだ。
だから、その辺のことは師ゼオンリーに丸投げしてやった形だ。
「一応の保険でもあるから、あんまり堅苦しく考えないで」
クノンは金になると思っている。
大きなビジネスに繋がると思っている。
実際そうなるかどうかは、ひとまず置いておいて。
成功した場合、後手に回るのはいただけない。
下手を打てば、アイデアや開発だけ盗まれる可能性があるからだ。
だから、丸投げした。
特許料や使用料、あるいは技術の管理などなど。
もう全部、相場から何から専門家に決めてもらいたい、と。
だからわざわざ祖国に手紙を書き。
信頼できる師に、任せることにしたのだ。
――当然、結局お金にならないものだった、というオチも、なくはないが。
だがそれはそれでいいだろう。
魔術に失敗は付き物、次に行くだけだ。
師には一言「ごめん無理だったー」と伝えておけば万事解決だ。
「今のところ何も決まってないから、ほぼ白紙だよ。だからまず決めておきたいのは、特許の権利は僕とセララフィラ嬢で半分ずつにしたいってこと。
要するに利益は折半ってことだね」
「半分……いいのですか?」
クノンは土属性じゃない。
だから開発はできないのかもしれない。
だが、その相方がセララフィラじゃないといけない理由はない。
利権の半分じゃなくても受け入れる者は他にもいるだろう。
七・三でも、八・二でも。
莫大な財産なら、それでも充分欲しがる者はいるだろう。
クノンにとって一番いい取引の形は、半分ずつではないはずだ。
「いいんだよ。僕は君と話をしなければ、たぶん思いつかなかったから」
しかしクノンは、すでに納得していた。
「どうせいつかは誰かが考えると思うし、だったら僕が開発したいし。
重く考える必要はないよ。僕にとってはやりたい実験の一つでしかないから」
金稼ぎが主体じゃない、そういうことだ。
「……わかりました。クノン先輩がそれでいいなら」
まず一筆書いて、それからようやく本題に入った。
「地下温室、できた?」
「はい。今日は下見のつもりで行ったんですが、簡単に終わりましたわ」
報酬は後日ということになっているが。
とにかく仕事はやった。
これで少なくとも二、三ヵ月は、この生活が続けられるだろう。
――この生活レベルと使用人の少なさでは、実家が許さないかもしれないが。
「もしも」
「はい」
「もしも、魔力を流すだけで家が建つ。そんな魔道具があったらどう思う?」
「……それは、単純にすごいと思――え、まさか、それを!?」
「うん。作ろうと思ってる」
魔力を流すだけで家が建つ魔道具。
確かに財の匂いがした。
きっと自慢したがりの成金の貴族や商人が、大好きなやつだ。