178.まるで夜の帳に閉じ込められた小鳥のような
2022/8/19 修正しました。
「――クノン先輩、お久しぶりです」
早朝。
今日も魔術学校の校門を潜ろうとしたクノンは、声を掛けられた。
その声を聞いた瞬間。
ここ最近クノンの頭を占めていた疑問の数々が、一気に吹き飛んだ。
「セララフィラ嬢だ!」
「は、はい」
そうだ。
そこにいたのは、セララフィラ・クォーツ。
あの狂炎王子の従妹である。
少し前まで、ずっと気になっていた女性である。
具体的に言うと、ダンジョン捜索の時まで。
忘れていたわけではない。
…………いや、忘れていたのだ。
ここ最近のクノンは、ずっと、ダンジョンでの出来事について思案していたから。
それ以外のことは何も考えていなかったと思う。
しかし、そう。
それまでは、間違いなく彼女のことを気にしていた。
思い出した今、その気持ちも蘇ってきた。
「僕は君の従兄にできるだけ面倒見てほしいって言われたんだけど大丈夫!? ……あれ!? もう派閥決まった!?」
少し前。
セララフィラは、強引に「調和の派閥」の遠征に連れて行かれた。
その時の経験から己が未熟さを恥じ。
何日か引きこもって、魔術の特訓をし始めた……というところまでは把握している。
それからの彼女の動向を、クノンは知らない。
今日は、新年度が始まって何日になるだろう?
日時や季節に頓着のないクノンにはわからない。
今年は、始まりからイベントが盛りだくさんだった。
それだけに曜日感覚がマヒしていた。
ここ最近は特に、だ。
「所属しましたわ。『調和の派閥』です」
だそうだ。
「ごめんね! ずっと放置してたよね!? まるで夜の帳に閉じ込められた小鳥のような寂しい想いをさせてしまったね! 僕は紳士として自分が恥ずかしい!」
セララフィラは特訓を始めた。
会えないにしても、家を訪ねて様子くらいは見ようと思っていたのだ。
それなのに。
まるっきり忘れていた。
その間、ジオエリオンとは食事がてら会っていたのに。
でも、彼はセララフィラについて、何も言わなかったから。
「お気になさらず。学校に来たのはあれ以来ですから。
クノン先輩は今日もちゃんと紳士ですわよ。よく磨かれた眼帯の色艶も美しく艶やかですし。そんなに黒光りしちゃって」
あれ以来。
「……特訓、終わったの?」
というと、引きこもって以来、という意味だろう。
「そうです、と言いたいのですが。クノン先輩も知っているはずです。
魔術はそんなに簡単ではない、でしょう?」
同感だ。
ダンジョン捜索以来、解けない疑問に憑りつかれている今のクノンには、この上なく同感だ。
「でも出て来たってことは……何か用事で?」
「はい。クノン先輩に会いに来ました。――金策の話です」
金策。
そう、それだ。
特級クラスは、生活費は自分で稼ぐ必要がある。
一番最初の課題と言えるのだ。
「本当にごめん。僕はそれも含めて面倒見ろって言われたんだけど。最近ちょっと忙しくて」
「あ、いいのです」
クノンは本当に悔いていた。
それを察したセララフィラは慌てて続ける。
「これは本来わたくし個人の問題で、わたくしが動かないと解決しない話です。
解決するため、クノン先輩やほかの方に相談する必要があった。
それを怠ったわたくしの責任です」
それで、とセララフィラは更に続けた。
「今日こそ金策の相談をしに来ました。聞いていただけますか?」
二人は喫茶店にやってきた。
クノンの教室でもよかったが……今は調べ物に夢中なので、少々散らかっている。
別の場所がいいだろうと判断した。
クノンは問題ないが。
しかし、普通の人は足の踏み場に困るそうだから。
聖教国産のリリ茶を注文し、早速本題に入る。
「えっと、今どうなってるの?」
派閥が決まったと言っていた。
ならば、もう入学から一ヵ月は経っているのだろう。
特級クラスの猶予期間は過ぎているはずだ。
「先日の遠征、ありましたわよね? あれの報酬があったので、先月は五十万ネッカの収入がありました」
「あれ、報酬出たの?」
「ええ。素材集めと一緒に、お金になりそうな物も集めていましたので。それらを売り払って分配したものがわたくしにも与えられました。
そのおかげで、なんとか少しだけ生活はできそうです」
すでに色々切り詰めているし、家も引っ越した。
今は使用人一人と、小さな家に住んでいる。
その生活も、持ってあと二週間くらいだろうか。
セララフィラはもう少し魔術の特訓をしたかった。
しかし、金銭的な理由で、それができない状態となってしまった。
「なんとか稼いで、もう少し余裕がある生活をしたいのです」
使用人は、無理言って格安で雇っている。
食事も最低限だし、量も少ない。
セララフィラ自身にはあまり不満はない。
それより何より魔術を磨きたい。今はそれしか考えていない。
だが、しかし。
一時クォーツ家に帰還した老執事ルージンは言っていた。
「ここまで生活レベルを下げては、セララフィラの身が危ない」と。
彼の言い分はわかる。
クォーツ家はアーシオン帝国の高位貴族である。
そこの娘が市井の民同然に暮らしていると知られれば、どんな危険が迫るかわからない。
もし金策ができないようなら、二級落ちになるだろう。
これはクォーツ家当主である父が命じると思う。
そうなればセララフィラは従うしかない。
特級クラスの魅力を思い知らされた。
そんなセララフィラが、今更二級クラスで満足できるわけがない。
――何より、エルヴァと離れ離れになるなんて、絶対嫌だ。
「土属性の金策かぁ……ちなみにエルヴァ嬢や『調和』の皆には相談した?」
「派閥に属する返答はしました。しかし相談はしていません」
それはなぜだ、と。
クノンは聞かなくても、わかってしまった。
「――足手まといになりたくないもんね」
セララフィラはまだ、自分の実力に納得していない。
今彼らに合流したところで、何も手伝えないし、役に立つことができない。
それどころか迷惑まで掛けてしまう。
だから、まだ派閥には顔を出せないのだ。
クノンも似たような経験した。
ゼオンリーの弟子になった当初、彼の専門である魔道具関係には無知で。
その方面ではまったくついて行けないし、何もできなかったから。
必死で学んで食らいついて、なんとか助手が務まるまでになったのだ。
それまでの間、自分の無力さを感じたものだ。
――まあ、学ぶことが多いというのは喜びでもあったが。
学べば学ぶほど、「目玉を造る」という己の野望に近づいている気がしたから。
「じゃあ考えてみようか。土魔術で何ができるのか」