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16.小細工の魔術師

2021/08/13 修正しました。










「クノン様、卒業おめでとうございます」


「ありがとうございます、ジェニエ先生」


 今日は魔術の授業の日である。

 二年以上の付き合いになる家庭教師ジェニエが、グリオン家にやってきた。


 離れの庭先で顔を合わせ、今日も魔術の授業が始まる。


 ――つい先日、クノンは無事貴族学校を卒業することができた。


 これで最低限の貴族の義務を果たしたことになる。


 クノンは将来的なことは何も考えていないが、少なくとも、社交界に出るなら学校の件が負い目になることはないだろう。


 今日も一通りの実技訓練が終わったところで、ジェニエは言った。


「いい機会なので、そろそろ真実を話したいと思います」


「真実?」


 クノンは振り返った。

 見えないのだから顔を向けたところであまり関係ないが、振り返らずにはいられなかった。


 真実。

 身構えるに相応しいフレーズだ。


「心の準備はできていますか? 私は今からちょっと衝撃の事実を話しますよ?」


「そんな、急にそんなことを言われても……もしかしてジェニエ先生は夜空の女神で、そろそろ神の世界に帰らないといけないとか、そういう真実ですか……?」


「個人的には大好きな真実ですけど、違います。――もう私がクノン様に教えられることはないという真実です」


「えっ」


 本当に衝撃の事実だった。


「これまで何度か、この仕事をやめる話はしたかと思います。

 もう下手に誤魔化しません。正直に言います。もう私からクノン様に教えることがないのです」


 これまでは、ちっぽけなプライドを守るためにここまで赤裸々に語ることはなかった。


 だが、もうジェニエは決めたのだ。


「以前お話ししましたが、クノン様のお父様より、攻撃性の高い魔術を教えることは禁じられています。

 それを踏まえて、教えられる範囲は全部教えました。

 今ではクノン様の方が私よりよっぽど上手く魔力を使っています。今の熟練度なら、恐らく新しい魔術を学んでも、すぐに私なんて追い抜くでしょう」


「そんなことないですよ! 先生が教えることなくて僕を騙そうと必死になってる魔術の小細工とか大好きだったのに!」


「あ、私が必死だったっていうことには気づいていたんですね。話が早くて助かります。

 正直に言うと、この二年の間で本当にごまかすのが苦しい場面が何度も何度もあったと、自分でも思っていますから」


「そんなことないですよ! 先生の苦し紛れの小細工で僕の魔術の幅は確実に広がった! 僕に生きる目標と魔術の深淵を教えてくれたのは先生の小細工なんです!」


「本当にそう思っているなら小細工小細工言わないでね。私はその小細工でも必死でした。ちょっと傷つきます」


「そんなことないですよ!」


「あるんですよ! 本人が言ってるんですからあるんですよ! クノン様に私の何がわかるんですか! ……いやわかってはいるのか! ややこしい……!」


「給料ですか!? 給料が足りないのが理由ですか!?」


「違います! むしろ逆! 高い給料もらってるのに仕事がないのが居た堪れないんです!」


「僕、父上に給料のアップを頼みますから! だから辞めるなんて言わないで!」


「だから給料が高すぎるのが問題なんですよ!」





 ――クノンは優秀だった。

 ――そしてジェニエは魔術師界隈では平凡だった。


 教えられることなどあっという間に教え終わっていたし、何なら教え子はもうジェニエの先を歩いているくらいだ。


 教師と教え子の立場を逆転させたら、きっと今ではクノンからジェニエが教わることの方が多いだろうと思う。


 ――二年くらい前は、収入の多さと労働時間の短さが魅力的で手放せない職場だと思っていたが、今ではさすがに恥ずかしい。


 ジェニエは平凡な魔術師だ。

 だが、魔術師としてのプライドがないわけではない。

 なけなしではあるが、ちゃんとある。


 そのプライドが、「これ以上クノンの教師をするのは無理だ」と言っている。


 ……というか、何度もやめるやめないの話はしていて、その都度クノンに説得されて、だらだら続けてきた。


 滅多にない好条件の職場だったし、必死で探してでもクノンに教えることを放棄したくなかったし、クノンの成長も見守りたかったし、給料が良かったし。楽な仕事でもあったし。休日多いし。グリオン家で出されるおやつもおいしいし。


 いろんな意味で離れがたい職場だった。


 だが、さすがにもう限界だ。


「クノン様!」


 ジェニエはクノンの両肩を掴む。


「あなたは私なんかより、もっともっと優秀な魔術師を師に迎えるべきです! 私ではあなたをこれ以上伸ばせません! 導けません! ……というかこれでも限界以上に伸びた方です! よくやった方です!」


 ジェニエが葛藤を繰り返して来た心苦しさの一番の理由は、これだ。


 自分ではもうクノンの才を伸ばせないのだ。


 クノンが優秀だったせいで、ジェニエの教え以上に伸びてはくれたが、それもそろそろ天井が見えてきた。

 ここから先の世界は、ジェニエよりできる魔術師に託したい。クノンのためにも。


 すでにジェニエの存在が、クノンの成長の妨げになっているのだ。

 なけなしの魔術師のプライドに掛けて、この状況は受け入れられない。


 クノンを手放す時が来たのだ。

 より高く、より広い世界に羽ばたかせるために。


 本当は、結構前にその時が来ていた。


 だってクノンが止めるから。

 ここ半年くらいは、本当にずるずるだらだら過ごしてしまった。


「正確に言うと、もう一年以上前から何も教えられることはありませんでした。だましだまし授業はやっていましたが、さすがにもう限界だと思っています。

 クノン様もそう思うでしょう?」


「騙してよ!」


「え?」


「もっと僕を騙してよ! もっと華麗に騙してよ! 僕はジェニエ先生がいいって言ってるんだ! これまでのようにだましだましで騙してよ!」


「……」


 ジェニエはクノンから離れた――なんだか年下の男の子に迫られているような、妙な気分になってきたのもあるが。


「……だから、もう限界なんですよ」


 自分の周りを見れば、水で作ったいろんな動物が佇んでいる。


 数は五十以上。

 見上げるほど大きいものもいれば、爪先くらいの小さな生物もいる。


 生物たちを形作った水の塊。

 どれもこれも陽光に反射して透き通る姿は、芸術品のように美しい。


 ――ひたすら磨いてきたクノンの「水球(ア・オリ)」である。


 こんなのもはや初歩の水の魔術などではない。

 ジェニエでは、一体だって作れないほどの出来なのだ。


 天才魔術師が年月を掛けて独自の魔術を編み出しました、と触れ回って国王陛下に披露するような……そんな魔術に仕上がっている。


 ジェニエが、やれ「形を変えろ」だの「触感を変えろ」だのと小細工でごまかしてきた結果が、これである。


「……本当に、もう限界なんですよ」


 こんなの教えた覚えなんて、本当にないのだ。

 もし誰かがこれを教えてくれと言い出したとしても、ジェニエには教えられない。だってこんなの教えたつもりがないのだから。


 もうクノンはとっくに、ジェニエの手を大きく離れているのだ。


「嫌だ! 先生の小細工が好きだ!」


「ほんとに好きっていうなら小細工って言うな! 二度と言うな!」


 ――そんな捨て台詞を最後に、恩師ジェニエはグリオン家を去ったのだった。










「……教え子に負けてられないしね」


 グリオン家の門を潜り外へ出たジェニエは、颯爽と歩き出した。


 ――魔術学校で本物の天才たちを見てきたジェニエは、そこで魔術に懸ける想いがくじけた。


 己にはそこまでの才はない。

 魔術師として覚醒しただけでも立派なのだし、だったら魔術師として昇り詰めるのは天才たちに任せればいいと諦めた。


 だが、初めての教え子であるクノンの成長を見ていて、くじけた想いが奮い立った。


 自分でも苦しいと思う子供だましの小細工でも、それを組み込んで、どんどん多様性を取り込んで成長してきたクノンは、紛れもなく天才だと思う。


 だがそれと同時に、必死で努力している姿も見ていた。


 魔術学校でジェニエが見た天才たちも、きっと、こうして努力を重ねていたのだろう。

 教えられてパッとできたのではなく、何度も何度も試行錯誤してきたのだろう。


 それに気づいた時、ジェニエは自分に問う。


 自分は必至で努力してきただろうか、と。


 ――まだ諦めるには早い。


 小細工が得意?

 結構じゃないか。


 小細工だって突き詰めればとんでもない形になることは、クノンが教えてくれた。





 ――後に歴史に名を遺す魔術師ジェニエは、この時より、生涯を掛けて魔術の深淵に挑むことを決意したという。





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