154.サトリ先生のお誘い
昼を過ぎた頃。
クノンの商売も落ち着いてきた。
「こんなもんかな」
一つ頷き、クノンはペンを置いた。
行きたかった「調和」の遠征を見送った理由は、今目の前にある。
魔術学校二年目にやりたいことリストである。
正確に言うと、漠然と実験・研究・開発したいと思っていること。
それらを書き出してみたのだ。
要は、今年一年の目標だ。
だが、まだ思いつく限り書いてみただけのものである。
実際できるかどうか。
どれくらいの時間が掛かりそうか。
人手は必要かどうか。必要なら何人いるのか。誰が欲しいのか。
着手する前に、じっくり考えるべきだろう。
「……」
さて、どうするか。
項目を一つずつ見ていく。
そして、その中からできそうなものを、いくつかをピックアップしてみる。
一、高速船の作製。
正確には、船ではなく。
船の速度を上げる魔道具を作るのだ。
直近で空飛ぶ船を見ただけに、若干興味が薄れたものの。
しかし、あれは同じ船と考えるには別物すぎる。
クノンが作りたいのは、海か川か湖か。
水上を走る従来の船の方だ。
開発に成功すれば、これは大きな商売の芽になると思っている。
高速船は存在する。
風魔術師がそれを可能にするのだ。
だが、この魔道具ができれば。
風属性以外でも船を高速で走らせることができるようになる。
完成したら、運送会社を立ち上げるもよし。
高速船にする魔道具だけを売りつけるのもよし、だ。
二、霊草栽培。
聖女が独占している状態にある、霊草の育成と栽培。
クノンは、水属性でも栽培ができるのではないか、と考えている。
きっかけは、先の水耕栽培だ。
自分でも予想以上の結果と成果に驚き。
それを踏まえて、できるのではないかと思ったのだ。
ただ、これに関しては別の問題がある。
植物の成長を待つ必要があるので、時間が掛かる。
そして何より、霊草の種や苗に掛かる資金が膨大になるだろう。
まだ時期尚早、という感はある。
だが、植物の栽培となれば、ほかの開発実験と並行して行うこともできるだろう。
まずは小規模で。
そして長期的に。
一つ二つだけ種を仕込んで様子を見るのも、悪くないかもしれない。
三、聖地の調査。
世界には聖地・聖域という特別な場所がある。
簡単に言うと「特別な魔力を帯びた土地」というものだ。
その地でしか育たない霊草や、植物類。
それらを直接クノンは見てみたいと思っている。まあ見えないが。
――クノンとしては、聖地・聖域の水に興味がある。
土地は特別。
だから聖地・聖域と言われている。
ならばそこにある水は?
もしそこの水も特別なものなら、ぜひとも調べてみたい。
その上で、水魔術で再現してみたい。
そう考えている。
「……うん」
今すぐ一人でできそうなのは、この三つくらいだろうか。
他は、一人でやるには手が足りなそうだ。
手伝ってくれそうな人に相談し、何ヵ月か後に時間を作ってもらう必要があるだろう。
去年の「魔術を入れる箱」の時のように。
「とりあえず霊草栽培をしてみようかな」
これは今すぐできそうだ。
構想はあるし、仕込んでしまえば時間を待つだけである。
よし、とクノンは立ち上がり――と同時に、ドアがノックされた。
「こんにちは、クノン君」
どうぞと答えた先には、クノンの第一の師であるジェニエがいた。
「あ、美しい人だ。今日も美の女神に嫉妬されて生きてる感があって大変ですね」
「うん、ちょっと言ってる意味がわかんないけど」
ジェニエはクノンの軽口を適当に流し、続けた。
「忙しい?」
「今は大丈夫ですよ。当然、あなたのためならどんなに忙しくても隙間時間を作りますけど」
「隙間……あの、大丈夫なんだよね?」
ジェニエは今一度確認したが。
クノンももう一度「今は本当に大丈夫ですよ」と答えた。
「ちょうどこれからすることを考えてましたよ。……あ、僕としたことが。女性を立たせたまま話をするなんて。
どうぞ中へ。この紳士の前に座ってください、レディ」
クノンの誘いを、ジェニエは丁重に断った。
この散らかった部屋のどこに座る場所があるのか、と思いながら。
「私はサトリ先生の伝言を持ってきただけだから」
個人的にちょっと近況も聞きたかったが。
なんだかんだクノンはいつも忙しそうなので、ジェニエは用件だけで帰ることにした。
「サトリ先生?」
サトリ。
その名を聞いて、クノンの目の色が変わった。眼帯の下で。
「美の女神に嫉妬されて地上に落とされた堕天使からの伝言ですか?」
「あーそうそう。その堕天使先生からの伝言ね」
ジェニエはちょっと面倒臭くなってきた。
「ほら、例の虫。覚えてる?」
「
「必要な実験が終わったから、今度は現地で試してみるんだって。
そこで、雑用としてクノン君も一緒に来ないか、って」
「――行く! 行きます! ……あ、いや、日程を聞かないと何とも言えません」
憧れのサトリからのお誘いである。
クノンとしては、二つ返事で承諾……したかったのだが。
「調和」の遠征と同じである。
日帰りか、一泊二泊くらいなら。
それならぜひ行きたい。
だがあまり長くなるようなら、いろんな準備が必要だ。
急な話はちょっと困る。
「あ、どうだろうね。
私は授業があるから行けないのよ。だから詳しくは聞いてなくて……興味があるなら本人と話してみれば?」
「わかりました」
クノンはジェニエとともに、サトリの研究室へ向かうことにした。