148.先輩の従妹
「――休みの間ですか? 特に何も……あ、そうだ。第十一校舎が再建されました」
長い夏季休暇の最中。
漠然と「何かあったか」と問われたクノンは、そう答えた。
二年目の二日目。
クノンは夕食に誘われ、ジオエリオンの家に来ていた。
狂炎王子ことジオエリオン・フ・ルヴァン・アーシオン。
アーシオン帝国の第二皇子である。
一年目の二学期末に知り合った彼とは、今も親交が続いている。
お互い忙しいので、学校で会うことはほぼなくなったが。
その代わり、ジオエリオンの家で会っている。週二か三くらいで。
夕食のテーブルには、彼の友人であり護衛でもあるガース、イルヒも着いている。
ここは高級住宅街にある大きな屋敷。
借家ではあるが、皇族が住むに申し分ない住居である。
部屋数も多いし、とても広い。
使用人の数は、なんと八名!
クノンの家の八倍である。
イコやリンコが八人もいるんだな、とクノンは認識している。
きっと毎日楽しいんだろうな、と。
「再建というと、アレでありますね。校舎が森になったアレ」
イルヒの言葉にクノンは頷く。
「正確には、大木が校舎内から発生して破壊されたんですけどね」
ジオエリオンらは二級クラスである。
「第十一校舎大森林化事件」は、特級クラス以外には関係ない話なので、詳細は知らないそうだ。
当初こそ面白半分で噂が流れたらしいが。
ただ、教師たちから「この魔術学校は時々こういうこともある」と説明があると、すぐに落ち着いたそうだ。
実際、小さな事件なら日常茶飯事で起こっている。
ならば、大きな事件が起こることも普通にあるだろう、と。
――あの件の真相は、霊樹
とある事情で、クノンは皆より先に教えてもらったが。
いずれ知られることになるだろう。
ちなみに再建された第十一校舎は、場所こそ変わったものの。
内装や間取りはほぼ同じだったので、違和感なく馴染むことができた。
昨日会った聖女なんて、今度は何を鉢植えに植えようかとウキウキしていた。
無表情で。
一度は研究所にあった植物すべてを失った彼女。
その痛みは、もう乗り越えたらしい。
いや、失われてはいないか。
今もきっと、あの森で野生化して、すくすく育っているはずだ。
「そういえばそんなこともあったな」
ジオエリオンは思案気に視線を漂わせる。
「俺も一度近くまで見に行ったが、あれは普通の森ではなさそうだったな。それこそ魔術関連で発生したものだと判断した。
まあ、それ以上はまるでわからなかったが」
さすがに鋭いな、とクノンは思った。
ジオエリオンはまだ自覚がないようだが。
魔術が作用した結果ではなく、魔術そのものが絡んでいるのは確かだ。
彼はそのことを、おぼろげに気づいているのだろう。
それもそのはず、あの森の中心には霊樹がある。
魔術要素の塊、あるいはそのもののような存在なのである。
あの森はまだ立入禁止だ。
だから、近くで調べれば、彼ならきっと確信を得るだろう。
あれは普通の樹ではない、と。
「あの森林化は気になるな。一晩で広まったというなら、世界の食糧事情が変わる可能性を秘めている」
そして着眼点が為政者である。
「食糧事情かぁ……」
そしてクノンも思うことがあった。
魔術学校を卒業してヒューグリアに戻った後のことなので、まだ先の話だが。
クノンは領地を賜ることが決定している。
領民の食料事情。
開拓、外敵への対処。
天候や流行り病。
地質・水質調査なども行うことになるだろう。
魔術のことだけ考えていたい。
とは思うが、その魔術で何ができるかも、考えねばならない。
それこそ、領地経営に役立てる魔術を身に付けておきたい。
クノンが魔術師だからこそ。
学ぶことはまだまだ多そうだ。
「帝国式のマナーも完璧だな」
堅苦しく考えなくていい。
マナーも気にするな。
初めて夕食に呼ばれた当初は、そう言われたものの。
ジオエリオンの前では恥ずかしくない自分でいたい。
そう思ったクノンは、ちゃんと帝国式のテーブルマナーを覚えたのだ。
「お褒めに預かり光栄です」
何度もジオエリオンが食事に誘ってくれたからだ。
特に注意されることはなかったが、毎回帰り際にガースに聞いていた。
――自分のテーブルマナーはどうか、と。
そしていくつか助言を得て帰る、というのを繰り返していたのだ。
ジオエリオンがそう言うなら、もう聞かなくてもよさそうだ。
ここは魔術都市ディラシック。
しかしこのテーブル上だけは、アーシオン帝国なのである。
デザートになると、会話が増える。
食後の美味しい紅茶と、甘さを控えた焼き菓子。
ジオエリオンの予定があるので、これが終わると解散となる。
それを惜しむように、クノンとジオエリオンは魔術の話に没頭する。
いつもこんな感じだが――
「――ジオ様、セララ様のことは話さなくていいのか?」
不意にガースが口を挟んだ。
「別に忘れてない」
ミミトビデカネズミについて盛り上がっていた時だけに、ジオエリオンの返答は少々煩わしげだ。
だが、話が弾んでいる間に、紅茶が冷める程度の時間が経っていることに気づいた。
そろそろ解散の時間だ。
「クノン。俺の親戚の子が、今年特級クラスに入学した」
「えっ」
クノンは驚いた。
「先輩の親戚というと、皇族ですか?」
「いや。皇族に嫁いだ母の親類の子になる。一言で言えば従妹だな」
従妹。
「だから先輩と同じ二級じゃないんですね」
「そういうことだ」
アーシオン帝国の皇族は、特級クラスには入れないそうだ。
帝国の勉強をする時間を捻出するためだ。
「羨ましい限りだよ。俺も可能なら特級クラスに行きたかった」
「僕も先輩が特級だったらよかったのに、と何度も思ってますよ――ご馳走様でした」
と、クノンは席を立った。
予定が詰まっているジオエリオンの時間を、これ以上貰うわけにはいかない。
忙しい彼と話ができるのは夕食だけだ。
「察するに、その従妹のレディの面倒を見ればいいんですね?」
「レディというよりは子供だがな。できる限りでいいから頼む。
特に――魔術に没頭させてくれ」
最後に付け加えられた一言が引っかかった。
「そのレディは没頭してないんですか?」
「俺が見る限りではな」
「それはそれは……ふうん」
クノンは笑う。
特級クラスに入れるほどの知識も魔術も得ている。
にも拘わらず、魔術に没頭していない、と。
それはつまり、没頭していない今でさえ、有り余る才能がある、ということだ。
もし魔術に没頭したら、どこまですごい子になるのか。
「先輩の従妹のレディってことを差し引いても、楽しみですね!」
ジオエリオンの従妹セララフィラ・クォール。
彼女と出会うのは、数日後のことである。