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146.幕間 許嫁に贈り物を





「――シ・シルラの丸薬、評判いいですよ。こちらとしては長く取引したいですね」


 冒険者ギルドの奥にある応接室。


 そこには五人……

 大人三人と子供二人という、場にそぐわない面子が顔を合わせていた。


 と言っても、大人二人は護衛なので、後ろに立っているが。


 テーブルを挟んで向き合っているのは、ディラシック支部・経理部責任者アサンド・スミシーと。

 クノンと聖女レイエスである。


 子供二人の後ろに立っているのは、聖女の使用人兼護衛のフィレアとジルニだ。


「ご期待に添えたならよかったです。クノン、資料を……クノン?」


「……あっ? ああ、ごめん。資料だね」


 聖女に声を掛けられて、一拍遅れて反応するクノン。


 ――数ヵ月に及ぶ開発実験の最中にあるクノンは、ここのところ、よくぼーっとしている。


 うたた寝でもしているのかと思えば。

 いきなりものすごい勢いでメモを取ることもあるので、寝てはいないのだ。


 ただ……そう。

 常に、現実を忘れるほど、夢中になっているのだろう。


「失礼しました。こちら資料になります」


「あ、はい。……大丈夫ですか? お疲れのように見えますが……」


 アサンドの気遣いに、「寝不足なだけです」とクノンは答える。


「本当に、商談中に失礼しました」


 ――もう数ヵ月にもなる魔帯箱の開発だが、クノンが抱えている仕事は、それだけではない。


 その一つが、今、結果に結びつこうとしていた。


「シ・シルラの丸薬は、きちんと密閉されていれば、三ヵ月から半年は持ちます。……というのは、そちらでも確認済みですよね?」


「ええ。私は瓶詰を推奨しています」


 最初の取引から数ヵ月。

 毎月、霊草シ・シルラ数本分の丸薬の購入をしている冒険者ギルドでは、すでにトップ冒険者必携アイテムというほどに使用されている。


 最初は試供品として提供していたが、思いのほか需要があったため、普通に売れているそうだ。


 ――そして、実際使用した冒険者たちからのデータを頼りに、度重なる改良を行ってきた。


「その資料にある通り、これ以上の改良は却ってコストが高くなりそうです」


「そうですね……」


 シ・シルラの成分を魔法薬で伸ばすだの継ぎ足しするだの。

 そういう発想で、薬の量を増やすのだ。


 しかし、使用される魔法薬を考えると効率的かつ経済的じゃない、とクノンと聖女は考えた。


「私たちとしては、ここで丸薬は完成品とするのがいいと思います。現段階でこれ以上の改良は、様々な面から難しいのではないかと」


「なるほど、わかりました。ギルドマスターと相談してからの返答になりますが、お二人の意向は伝えておきます」


 ちなみに今日は、ギルドマスター不在のため、アサンドが対応している。


「――さて。次のお話をしましょうか」


 そしてアサンドとしては、次の話が重要なのだ。


 丸薬については、すでに冒険者たちが効能を証明している。

 はっきり言えば、もう話すことはないのである。


 今回はこうして資料も貰い、より詳しく知ることができた。


 だが、どちらにしても、購入を続けるだけなのだ。


 交渉をした当初から、シ・シルラの丸薬の有用性はわかっていた。

 今その裏付けが取れた。


 言ってしまえば、それだけの話なのだから。


 そして次の話は、これより更に前に進んだ話になる。

 




「――私たちも一緒に聞いていていいですか?」


 ここからの話は、聖女にはあまり関係ない。

 クノンが個人的に推し進めた話である。


 だから同席を求めた。

 単純に興味があったから。


「もちろんだよ。完全に無関係とも言えないしね」


 ちょっと前後左右にふらふらしているクノンは、テーブルにシガレットケースほどの金属の箱を出した。


「正式に『霊薬保管箱』と名付けました。わかりやすいでしょ?」


 わかりやすい。

 実にストレートな名前である。


「シ・シルラの丸薬並びに紙型薬品を保管するための箱です。どうぞお手に取ってください」


 アサンドは言われるまま手に取り、クリップをはずして蓋を開けた。


「こ、これが……この紙がっ!」


 ――九ヵ月ほど前だろうか。


 ここで発想だけ聞かされ、画期的なアイデアに震えた「貼る傷薬」。

 それが、ようやくアサンドの手中に納まった。


 向こうが透けて見えるほどの薄い紙が、何枚も重なって深い緑色となっている。 


 聞かされた通りの代物だった。

 これを傷口に貼れば、たちどころに治る。


 そんな夢のような薬なのである。


「早速試してみたいですね! 怪我人を呼んでも!? あっ私が刺されればいいか!」


「落ち着いてください」


 なんかとんでもないことを言い出したアサンドを、クノンが止める。


「というか、重要なのは薬じゃなくて箱なんですけど」


 紙型薬品自体は簡単に作れる。

 きっと作るだけなら、ちょっと薬品に詳しい魔術師なら誰でも作れるだろう。


 ただ問題は、作ったところで保管方法がないことだ。


 元々日持ちしないシ・シルラが原料である。

 あの形状では、二、三日くらいしか薬効成分が保てないのだ。

 持ち運びなんてして周辺環境が変われば、更に寿命は短くなるだろう。


 そこで、それを保管する箱だ。

 これさえあれば、持ち運ぶことが可能となるのだ。


 ここで話してから九ヵ月。

 色々とやってきたクノンだが、ちゃんとこちらの開発もしていたのだ。


 箱自体の品質・耐久実験。

 並びに中に入れた薬品の経年劣化実験。


 思いつく限りの試行を重ね、ようやく実用に足る成果が得られた。


「その箱に入れれば、紙型なら三ヵ月前後。丸薬なら半年は保管できます。

 温度や湿度、時間といったものの影響を九割以上はカットできるので、よほど劣悪な環境でもなければ、新鮮なまま維持できるのです」


「三ヵ月も!? 丸薬なら半年!?」


 アサンドは驚いた。

 瓶詰保管を推奨していたさっきまでの自分が恥ずかしいくらいだ。


「新鮮なまま……」


 聖女は箱の効能に興味津々だった。


 ――そう、雛形の名こそ霊薬を保管箱するものだが、これはほかの物にも使えるのである。


 たとえば、野菜とか。果物とか。

 使用用途は限りなく広い。


「常人でも使えるように作りましたが、一応魔道具です。丸薬を入れる際に魔力を注ぎこまないといけないんです。

 こちらが詳しい資料になります。まず――」


 クノンの説明は続く。


 アサンドも、聖女も。

 ついでに聖女の侍女たちも。


 真剣な顔で、クノンの話に聞き入っていた。



 


 少し長居した。

 四人はようやく冒険者ギルドから表に出てきた。


「ギルドマスターじゃないのに契約してよかったのかな」


「大丈夫でしょう。代行権限は持っていると言っていましたし」


 クノンとしてはそこが引っかかっているが、聖女は問題ないと告げる。


 話を聞く限り、冒険者ギルドが欲しがらないわけがない、と聖女は思ったから。

 仮に欲しがらなくても、違うギルドに売り込めばいいだけの話だ。


 奇しくも、初めてここに――アサンドと商談した時に、クノンが言ったセリフと同じである。


 あの箱は売れる。

 そして、あの箱とシ・シルラがセットになっている時点で、聖女も商売に便乗している形となる。


 今のところ、霊草シ・シルラを手軽に栽培できるのは、聖女だけだから。


 お金が儲かる。

 今以上に。

 もう貧乏なんてしない。


 聖女の心にかつてない余裕が生まれる。

 これが心の潤い、満たされるという感覚だろうか。

 まるで輝女神キラレイラの腕に抱かれているかのような安心感と幸福感だ。


 若干金銭欲に溺れている気もしないでもないが――まあ、さておき。


「これからどうします? お昼時は少し過ぎてますね。喫茶店でも行きます?」


「もちろん行くよ、と言いたいところだけど……ごめんね。後日余裕がある時にしたいな。絶対。約束だよ。絶対次の機会に行くから。ほんと絶対」


 余裕。

 上半身がふらふらしているクノンは、確かに今は、余裕がなさそうだ。


 そして、断るのではなく延期である辺り。

 実にクノンらしい。


「そうですか。それがいいですね。帰って休んでください」


「そうしたいんだけど、用事があってね……まだ休めないんだ」


「例の開発ですか?」


 何をしているかは知らないが。

 クノンは何ヵ月も、何かの開発実験に着手している。


 聖女は仕事繋がりでよく会っているが、同期のハンクとリーヤは「最近あまり会えていない」と寂しそうだ。


「それもあるんだけど、そろそろ細工師に箱の飾りを頼まないと……」


「箱の飾り?」


「うん」


 クノンは頷き、ポケットから金属の箱を出した。


 さっき冒険者ギルドで出した霊薬保管箱だ。


「これはね、僕の大切な人に上げるために作った物でもあるんだ。

 大切な贈り物だから見た目もちゃんとしないとね」





 霊薬を補充するのは難しいかもしれない。

 だが、ほかの魔法薬を入れてもいいだろう。


 騎士を目指すと言った許嫁に。

 きっと生傷が絶えない、厳しい訓練の日々を送っているだろう許嫁に。


 次に出す手紙に添えて贈ろうと。

 クノンはそう決めていた。


 本当なら魔帯箱を上げたかったが、あれは完成にはまだまだ遠いから。


 いずれは贈りたいが、しかし今は。


 これが今のクノンの精一杯である。




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