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144.機嫌が直った





「……!」


 朝食の席。

 クノンは驚きとともに安堵した。


 今朝のベーコンは厚い!

 しかも二枚も挟んである!


 侍女の機嫌が直ったのだ。

 給料を払ったことで、なんとか彼女の静かな怒りの矛先が引っ込んだらしい。


 昨日、滞っていた侍女の給料を払った。

 そして打ち上げがあり、夕食は外で食べた。


 よって、給料を払ってからの侍女の食事は、今朝が初めてだ。


 ――変にこじれないでよかった、とクノンは心底思った。


 自分が悪いだけに、ただただ謝ることしかできない。


「はーいクノン様、今朝の健康茶ですよぉー」


 安堵しているクノンの目の前に。


 どん、と。

 まぶしいほどにぎらつく緑色の飲み物が置かれた。


「……」


 最近、朝食の時は毎日出る、緑の汁だ。

 苦いやら青臭いやら喉に絡むやら苦味がずっと残るやらで、クノンはこれが非常に苦手である。


 ……どうやら、安心するにはまだ早かったようだ。


 開発で忙しかった頃は、ほぼ無意識で飲んでいたが。

 そんな状態でも記憶に残るくらい、まっずいまっずい飲み物だ。


「大丈夫ですよ。今朝のは苦くないですから」


「えっ」


 割と顔に出るクノンである。

 侍女には何を考えているかお見通しのようだ。


「嫌がらせの面もありましたけど、クノン様の健康を考えた上での飲み物ですから。栄養価は高いですよ」


 まあ、身体に良さそうだとは思うが。


「嫌がらせではあったんだね……」


「給料未払いの件もありますけど、それ以外でも言いたいことはありましたからね。

 毎日ふらふらになるまで疲れてる子供を、見守ることしかできない私の身にもなってくださいよ。心臓によくないですよ。本当に倒れそうで見てられなかったです」


 魔帯箱開発中のことだ。

 クノンは毎日毎日、ふらふらになるまで研究に没頭していた。


 その間、侍女はほとんど口出しをしなかった。


「……ごめんね。これからはもう少し休みながらやることにするよ」


 イコなら無理にでも止めただろう。

 でも、リンコはクノンの気持ちを汲む方に考えたのだ。


 どちらがいい、というわけではない。

 どちらにも気を遣わせた、という点が問題なのだ。


「約束ですよ?」


「うん」


「女性との約束は?」


「紳士なら必ず守る」


「男性との約束は?」


「時と場合と相手による」


 ――よし、と侍女は頷いた。


 先の開発実験中は。

 それと書類の片付け中は、常にクノンが疲れていたせいで、こんなやりとりもできなかったのだ。


 見た目にも性格的にもクノンが元気になったようなので、ひとまず侍女は安心した。


「そろそろ一年になりますね」


「うん? ……ああ、うん」


 魔術都市ディラシックにやってきたのは、去年の少し前だ。


 気が付けば、もう一年が経っていた。


 今年度もあと二週間足らず。

 あと十日ほどを経て、少しの休みを挟んで、クノンは二年生になる。


「あっと言う間だったなぁ」


 入学してから、クノンはずっと魔術に触れてきた。


 楽しいこと。

 興味深いこと。

 知らなかったこと。


 そんなものばかりを学んできた。


 憧れの人にも会えた。

 かつての恩師にも会えた。

 世界一の魔女にも会えた。


 控えめに言っても、夢のような一年間だった。


「そうですね。私も思いのほか充実した一年間でしたよ」


 侍女は侍女で、空いた時間はずっと料理の研究を行ってきたそうだ。


 将来は料理のお店を持ちたい。

 その目標に向けて努力を重ねている最中だ。


「――うわっ本当に苦くない! むしろ甘い!」


 嫌がらせじゃない健康茶なる緑汁は、野菜の癖こそあるが、臭みも苦味もなかった。





 機嫌の直った侍女に見送られて。

 久しぶりに、クノンは気分良く学校へ行く。


 地獄の仕分け作業は無事終わった。

 今日からは、仕分けた書類を整理し、レポートにまとめていく作業が始まる。

 

 清書は慣れているクノンにとっては、非常に楽である。


「あれ?」


 まだ第十一校舎は再建されていない。

 なので、仕分けた書類は、一時的に借りている教室に運ばれている。


 そこにやってきたクノンは、ベイル以外の人がいることに驚いた。


 しかも、地獄を経験したせいだろうか。

 実際以上に時間が経っている気がするおかげで、非常に久しぶりに会った気がする。


「やあ。あはは」


「久しぶりね、クノン」


「……」


 そこにいたのは、ジュネーブィズ、エルヴァ、ラディオ。

「魔術を入れる箱」開発チームの三人だった。


「お久しぶりです。皆さん元気そうですね」


 声に張りがあるというか。

 顔色がよくなったというか。

 生きている気力を感じるというか。


 すっかり死相がなくなったというか。


 少し前までは、半年間毎日のように会っていた彼らである。


 ジュネーブィズの笑い声も。

 エルヴァの細やかな気遣いも。

 口数は少ないが、ラディオの穏やかな視線も。


 本当に懐かしい。


「書類整理、手伝えなくてごめんなさい」


 ダサかったあの頃とは別人のように、黒髪はつややかで紫水晶の瞳は澄み。

 すっかり美女に戻ったエルヴァが言った。


 いつもダルそうでだらしなくて気が抜けたようなエルヴァの方が付き合いが長く濃い分、クノンは今の彼女に少し違和感を感じるが。


 でも、同一人物で間違いない。


「仕方ないですよ。関係者以外はベイル先輩とシロト嬢しか入れませんでしたから」


 当然、あの地獄のことは彼女らも知っていた。


 彼女らのレポート。

 ひいては単位にも関わっているからだ。


 だが、第十一校舎の関係者以外は参加できない作業だった。

 だから手伝えなかったのだ。


 しかし、その辺の作業が終わった以上は関係ない。

 ここからは心置きなく手伝いに入れる。


「あ、そういえばベイル先輩は?」


「二日酔いだから午前中は休むってさ」


 ――昨夜、クノン含む年少組は早めに帰されたが、大人はそれなりに夜遊びしたようだ。












親愛なる婚約者様へ


 陽射しが強くなってきました。

 新緑が鮮やかに映える初夏、いかがお過ごしですか?


 あなたと離れて一年。

 こんなにも会えないのに、僕のあなたへの気持ちはいささかも変わりません。


 願わくば、殿下にも同じ気持ちでいてほしいです。



 お手紙を出す間が空いてしまい、すみません。


 約半年ほど、先輩方と一緒に、魔道具の開発を行っていました。

 寝食を忘れる毎日の中、筆を取る余裕もない有様でした。


 前に書きましたが、あなたへ贈るための物でした。


 申し訳ありません。

 思った以上に難航し、未だ完成とは程遠いのです。

 

 あなたに贈る時は、一年も二年も先になりそうです。


 だから、別の物を贈らせていただきます。

 気に入ってもえらえると嬉しいのですが。



 そうそう。

 詳細は書けないのですが、ある事故で校舎が一つ崩壊しました。


 僕の借りていた研究室もめちゃくちゃになって、書類もごちゃごちゃになって、仕分けるのに二週間以上掛かってしまいました。


 あれは本当にひどかった。

 殿下も事故にはお気を付けください。


 まあ、どう気を付けても避けられない事故もありますけどね。


 それでも、どうかお気を付けください。



 そういえば、先日、初めて打ち上げというものに参加しました。

 十数名の男女で、夜の街に繰り出したのです。


 殿下は覚えていますか?

 あなたと二人でディナーに行った夜のことを。


 あの時、僕は少しだけ大人になったような気がしました。

 今度の打ち上げでも、ほんの少しだけ、大人になったような気がしました。


 それにしても、男性も女性も、お酒が入るとあんなに大胆になるものなんですね。


 ヒューグリア王国では、十五歳から飲酒を認められていましたね。


 興味がないわけではないですが。

 でも、僕もあんなに乱れるのかと思うと、ちょっと怖いです。



 そちらの様子はいかがでしょうか?

 殿下はもう、騎士科の二年生なんですよね?


 きっと訓練も課題も、一年生の頃と比べて厳しくなるのでしょう。

 しっかり休息をとって、ご無理をなさらないでくださいね。


 遠い空の下、あなたの身を案じております。


  あなたのクノン・グリオンより 色褪せない親愛を込めて





追伸


 少し侍女を怒らせたせいで、大変苦労しました。


 悪いことは言いません。

 殿下もお付きの使用人を大切にしてください。




第五章完です。








お付き合いありがとうございました。












よかったらお気に入りに入れたり入れなかったりしてみてくださいね!!

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