139.そちらの女性って、もしかして
「君に言いたいのは、ここからだ」
自分たちの開発が、思わぬ神話に繋がった。
そんな信じがたい事件の詳細を聞かされたものの。
クラヴィスと影の女性が自分を呼び出した本題は、ここからなのだそうだ。
「さっき言った通り、小さな創世が行われたわけだが。
それが日常的に行われない理由は、闇の精霊の所在にある」
「所在……」
クノンは先の話を振り返る。
闇の精霊は、暗くて狭い場所を好むそうだ。
それこそ隙間なんてないだろう、というくらい密閉された魔帯箱に入る、……挟まれる?ような状態がお好みらしい。
「闇の精霊は暗いところから出てこない。
要するに、日常では光の精霊と出会うことがまずないから、ですか?」
「ご名答」
当たったようだ。
「そもそもが創世だからね。
本来のそれが行われたなら、たかが小さな森が生まれるなんて規模では済まない。
それこそ世界が生まれていただろう。
この世界が滅んで、新しい世界ができるくらい、大規模なものになっていたはずだ」
話が大きいな、とクノンは思った。
だが、創世である。
言葉通りに受け止めるなら、それでこそ創世だろう。
「で、話を戻すが、この魔帯箱だ。
君たちの作った意図とは違うところで、思わぬ利用価値……あるいは危険性が生まれたことになる」
クノンは頷いた。
クラヴィスの言う通りだった。
自分を呼んだ理由は、森林化事件の説明の後、やってきた。
「魔帯箱が広まると、闇の精霊が住む可能性があるんですね」
そして、どこかで光の精霊と出会い。
似たようなことが起こる。
今回は校舎一つの損害で済んだ。
だが次はどこで起こるかわからない。
場所が場所なら、大変なことになるだろう。
というか、規模の問題もある。
今回は小規模の被害だったが。
そもそもこれが大きい被害なのか小さい被害なのかがわからない。
あるいは逆なのか。
わからないことだらけである。
わからない以上、二度と起こさない方が無難だろう。
――つまり、魔帯箱の販売が危ういということだ。
「もしかして開発中止ですか?」
クノンは覚悟を決めて、決定的な質問をした。
まだ完成とは言えない魔帯箱だが、一定ラインは越えた。
今後は改良に努める予定だった。
だから、今中止を言い渡されるのはまだ優しい方だ。
中止になるなら早い方がいい。
培った経験とノウハウは、今後どうにでも活かせるのだ。
何より時間がもったいない。
中止になる開発をいつまでも続けるわけにはいかない。
貴族の子である以上、クノンはいずれ国に帰らねばならない。
魔術学校にいられる時間は限られているのだから。
しかし。
「いや。私たちはよほどのことがない限り、生徒の権利を侵害しない。特級クラスの実験なら猶更だ」
クラヴィスは軽く否定してみせた。
「むしろ逆だな」と、影の女性が続けた。
「見方を変えれば、まだ自我のない小さな精霊を誘導できる箱だ。儂らはそこに価値を見出しておる。
精霊を誘導する、呼び出す方法はある。
だが、闇だけは難しくてな。
呼ぶこと自体はそう難しくないが、奴らはすぐに住処に還りおる。
そこでこの箱だ。
これがあれば、一時的な足止めができるというわけよ」
そう言われるとそうなのかもしれない。
クノンは精霊に対する知識がないので、それがどれほどのことなのかがわからないが。
――いや。
創成なんて大仰なことが起こったくらいだ。
大した話ではあるのだろう。
「でもこのままってわけにもいかないでしょう?」
たとえクラヴィスや影の女性が認めても。
クノンは危険性を知ってしまった。
だから、すでに魔帯箱を世に出すべきではないと思っている。
少なくとも、今のままでは。
まあ、そもそもちゃんと完成はしていないので、出す出さない以前の問題だが。
「何、要は闇の精霊が入りたくない環境にすればいいのだ。簡単だろう?」
「あっ」
――確かに簡単だった。
闇の精霊の特徴を聞くに、わずかでも光があれば、入り込む……挟まる?ことはないだろう。
隙間を空けるのは難しいが。
中の魔法陣を発光させるくらいの細工なら、すぐにできるだろう。
「それにしても面白い魔道具だな。魔術を入れてどうするのだ?」
「あ、それは魔術師じゃない人が魔術を使うのを想定してます」
「ああ、なるほど! 必要に応じて別属性でも入れておくのかと思ったけど、そういう使い方を目指しているんだね」
「わかりますか? 目指してる途中で、まだ全然完成してないんですよ」
「そうだね。これだと一日か二日か、それも弱い魔術しか入れておけないんじゃないかな」
「おまけに箱の中身を維持するための魔力も、かなり必要だろうな。実用にはまだまだだな」
「そうなんですよねぇ。今クラヴィス先生が持ってるのは、古い試作品ですし。でも最新型もまだまだです。
半年かけて、ようやくそれくらいって感じで――」
三人の話は弾んだ。
結局、魔術師は魔術師ということなのだろう。
少し話が盛り上がったものの、ひとまず話すべきことは話した。
魔帯箱製作の修正と要望。
一言でまとめるなら、それだけの話である。
「――最後にもう一つだけ聞いてもいいですか?」
ここぞとばかりに、クノンはいろんな質問をした。
ちょくちょく気になることはあったが。
そこには触れなかった。
答え如何では、話どころではなくなっていたかもしれないから。
だから、最後に聞こうと決めていた。
話の区切りがつき、「もう行っていい」と言われたところで、クノンは立ち上がりながら言った。
最後にもう一つだけ、と。
「何かな」
クノンの眼帯の下にある目が、クラヴィスの隣の影に向けられる。
「そちらの女性って、もしかして世界一の魔女……?」
話の中、クラヴィスが何度か「グレイ」と呼んだ、影の女性。
聞くたびに気になってはいた。
だが、確認はしないままでいた。
もし彼女がグレイ・ルーヴァなら。
なんというか。
そう考えるだけで、動悸がすごい。
非常に早くなっている。
――世界一の魔女。
それは、世界一の魔術師ということだ。
全魔術師の憧れの人である。
そんなのを認識したら、まともに話せる自信がない。
ただでさえ出会い頭に身体をまさぐるという愚行を侵しているのに。
自分で自分が許せなくなる。
「そうだよ」
さらりと。
クラヴィスは、クノンの胸の鼓動など気にもせずに認めた。
クノンは自分を許せなくなった。
心臓が痛くなってきた辺り、身体もクノンを許すつもりはないようだ。
たとえクノンが自分を許しても、クノンの身体は許さない。
「グレイ、自己紹介を」
しかも自己紹介を求めた。
こんな、まだまだ魔術師界の入り口でまごついているような一年生に。
心臓が破裂するんじゃないかというくらい早くなっている。
魔力視の覚醒や、「鏡眼」を発明した時より激しい。
間違いなく。
「儂がグレイ・ルーヴァだ。
普段は声音を変えて典型的ババア魔女の口調で話しておるが、今の方が素に近い。
ただでさえ長く生きとるんだ。心まで若さを失うと精神的にも老いるからな」
さらりと。
影の女性改めグレイ・ルーヴァは、若々しい声と口調でそう言った。
「……あの、先程は、紳士にあるまじきとんだ無礼を……」
心臓が痛い。
事実を確認して、後悔した。
好奇心に負けて。
世界一の魔女の身体をまさぐるだなんて。
自分はなんてことをしてしまったのか。
今になって冷や汗が出てきた。
だが、知らないまま別れるのも――それも好奇心に負けた結果か。
「先程?」
「あなたの身体を触った件でしょう」
「ああ、あれか。気にするな。触ってわかっただろう?
――その話詳しく!
そう言いたいところを、クノンはぐっと我慢した。
心臓も「やめろ」と言うかのように一際大きく跳ねた。
きっと、説明されても理解できない。
なにしろ今のクノンには見当もつかないのだ。
何一つ。
可能性さえわからない。
だから、きっと理解できない。
いずれそれが理解できるほど、知識も実力も身に付いたら。
その時に改めて質問したい。
あと、もう少し慣らさないと。
これ以上興奮したら、きっと身体が耐えられない。
「――ありがとうございました」
いろんな意味を込めて、クノンは礼を言い。
そして教室を出た。
教室を出たところで、少し放心した。
心臓が落ち着くまで。
そのまま動かなかった。