128.輝魂樹の種
「色々と確認したいことがあってね」
祭事――輝女神誕生祭が目前に迫っていた。
毎日準備に追われて忙しい最中。
アーチルドはなんとか時間を作り、孤児院の庭の片隅でフィレアと会っていた。
レイエスの侍女兼護衛のフィレアは、ただの一信者である。
表向きは、教皇及び聖教国の上層部とは、関わりのない存在である。
腕のいい魔術師であるがゆえに、半密偵のような扱いになっていた。
だからこそレイエスに付けたのだ。
「何でしょう?」
――報告義務はあるが、まさか教皇自ら報告を聞きにくるとは思わなかった。
いったい何を確認したいのか。
フィレアは少しばかり緊張していた。
もしや業務上の注意だろうか。
ジルニが仕事中に酒を呑むこと以外、目に見える落ち度は思い当たらないが。他に何か粗相があったのだろうか。
「もしやジルニの飲酒の件ですか?」
緊張のあまり、自分から言ってしまった。
「ああ、その件は構わない。元々雇う時に交渉してね。少々の飲酒は認める、と契約書にあるんだよ」
「あれって本当だったんですか」
幾度となく注意したが、ジルニが免罪符のように言っていたことである。
ちゃんと契約上の許可はあるから、と。
事実だったようだ。
「それが彼女が雇用に応じる条件だったからね。長期の拘束に子供の護衛、おまけに慣れない侍女の仕事。
大切な聖女の傍にいる者だ、誰でもいいわけじゃなかった」
ジルニはだいぶ緩いように見えるが、あれで実力は確かである。
「冒険者ギルドで評判の、明るく品行方正で仕事にも真摯に向き合う、腕がいい冒険者。それがジルニだった。
あと無宗教家っていうのもよかったね。
これぞと選んだのが彼女だったんだ。それで――」
「雇用の条件が適度の飲酒だったわけですね」
「何があろうと酒だけはやめられない、と言っていたね。酒が呑めないならどんなに報酬が好くてもやらない、と言い切られたよ」
そんなにもか。
教皇相手に言い切ったのか。
「まあ、だから、ジルニのことはいいんだ。彼女はかなりのザルだ。ワイン十本くらいでは酔わないから」
少々納得がいかない部分もなくはないが。
上で話が付いているなら、フィレアから言うことはない。
「それよりレイエスのことだ」
アーチルドの顔が真剣味を帯びる。
ここからが本番のようだ。
「――男友達が多いというのは本当かい?」
真剣な顔で何を言うかと思えば、聖女の交友関係のことだった。
一瞬「えっ」と思ったフィレアだが……いや、大事なことだな、と思い直した。
人形姫とも呼ばれていた、感情に乏しい聖女レイエス。
そんな彼女に友達ができたという。
正直、どんな関係なのかが、いまいち想像しづらいのは確かだ。
「普通の友達のようですよ」
クノン、ハンク、リーヤ。
その辺りはレイエスからたまに聞く名前だし、クノンなんてかなり世話になった相手だ。
……確かに、冷静に考えると男友達が多いだろうか。
しかし三人とも同期なので、これは仕方ないとも思える。
「フィレア」
「は、はい」
「私はね、レイエスには自由恋愛をしてほしいと思っている。だから許嫁も探していないし、申し込みも断っている」
「……そう、なんですか……」
意外、と言っていいのかどうか。
ただ、この教皇ならば、聖女の婚姻を政治の道具にはしないだろうな、とは思っていた。
アーチルド・セントランス。
優しく、清廉潔白で、不正を嫌う高潔な方だ。
高官であっても贔屓しない、誠実で、公正で公平な方だ。
そんな彼が政略結婚を推すとは思えなかったから。
「だから正直に言ってほしい。聖女であるレイエスを手放すことはできないから、婿を取る形になるだろう。できれば輝女神教の信者であってほしいし、結婚後でもいいから入信してほしいとも思っている。
つまり――わかるね?」
「……いえ、ちょっと、わかりかねます……」
真剣な顔の圧がすごい。
見た目はどこにでもいそうな冴えない初老だ。
しかし、やはり教皇にまで上り詰めた男である。芯の部分は普通ではない。
「レイエスが婿に選びそうな男を事前に調べておきたいんだ。他意はないよ。まだね。本当に他意はないんだ。まだないんだ。
わかるね?」
念押しの圧がすごい。
どこまでも穏やかな声音が逆に迫力を感じさせる。
「そう、ですね……同じ年に入学した同期とは仲が良いようですよ」
「クノンか」
「あ、はい。聖女様から聞きましたか? クノン様とは仕事上の付き合いもあるようで、かなり仲は良いと思いますよ」
「……やはりクノンか」
「教皇様? ……教皇様?」
とんでもなく険しい顔をしているが、何があった。
「それで?」
「は、はい?」
「クノンとやらはどんな子だ? 聞けば出会い頭にレイエスをお茶やパフェに誘うといった非常に軽薄な子だという話は聞いているが。本当なのかね?」
「それはたぶん本当ですね」
何しろ女性に甘い言葉を掛けるのが礼儀だと思っているような子だ。
まあ、口先だけだというのはすぐにわかったが。
あの子の甘い言葉には感情が伴っていない。
本気にする女子は早々いないだろう。
魔術の話をする時との温度差がひどすぎる、と思ったくらいだから。
「――わかった。ありがとう」
「……教皇様?」
さっき険しい顔をしていたはずなのに、今は静かに笑みを讃えている。
なんだかよくわからないが、アーチルドは何かを理解し、納得したようだ。
「――あ、そうだ」
しばしレイエスの交友関係の話をし。
神官に呼ばれ、アーチルドとの会話は終わった。
そして、行こうとしていたアーチルドが振り返った。
「君の目から見て、レイエスはどこまで植物に対する興味があると思う?」
「え?」
どこまで、と言われると。
少し返答に困る。
質問の意図も見えないが、フィレアは少し考えて答えた。
「植物の種と見ればなんでも植えてみよう、育ててみようと思うくらい、じゃないでしょうか」
おかげで庭先は植物だらけ、家の中は鉢植えだらけだ。
近所の雑貨屋に、珍しい種があったとかなんとか。
無表情ながら嬉しそうに話していた。
よくわからないものもあるし、食虫植物にまで手を出していると知って驚いたのは、つい最近のことだ。
まあ、香草の育ちがかなりいいので、食卓は豪華になったと思うが。
「そうか……大神殿の彼女の部屋も、今すごいことになっているよ」
「あー……わかる気がします」
ディラシックの住居を思えば。
きっとこちらも似たような感じになっているのだろう。
「それでね。レイエスに
「……
――それは、輝女神キラレイラの本体と言われる神木である。
輝女神キラレイアが降臨した際、その身体は非常に大きな大樹であるという。
それが神木、
教典にはそう載っている。
もちろん、神話なので誰も見たことはない。
「そんなものがあるんですか!?」
「うん。それも結構な量があるんだよ」
なんと。
神話の中にだけ存在すると思っていた、輝女神キラレイラそのものであるご神木の種が、結構な量があると。
「ただね、聖女の豊穣の力がないと芽吹かないんだ」
――
アーチルドを含む聖教国の上層部は、ちゃんと知っている。
過去の記録にちゃんと詳細に残っているから。
恐らく古くからある他国にも、似たような記録が残っているだろう。
いわゆる霊樹だ。
この樹があると、周囲の大地が活性化する。
原理まではわからないが、霊草などと同じく、魔術的な素養を含んだ樹なのだろう。
効果だけ聞くと、確かに神話にでもまつり上げられそうなものである。
――過去、深く濃い瘴気をまとう大地に植え、その地を浄化するために使用されたという。
ここ二百年ほどは育てた記録がない。
なので、現代においては知る者などほぼいないだろう。
「ディラシックに帰る際、レイエスに持たせる。彼女には誰にも教えないよう伝えるから、君はそれとなく見守っていてほしい。もちろん逐一報告もほしい」
「わ、わかりました! ……育つんですか?」
「きっと育つよ。レイエスが育てる。彼女は私の自慢のむ……聖女だからね」
む?
何を言いかけたか少々気になったが、アーチルドはさっさと行ってしまった。
そしてフィレアも、それどころではなかった。
「……
さらりと告げられた衝撃の予定に、フィレアは少しばかり放心していた。
今後、己も神話の一端に触れるかもしれない。
聖教の信者として、喜ばしいやら誇らしいやら恐れ多いやら。
「……顔に出ないようにしないと」
神話の種を託される。
知ってしまった以上、意識しないでいられるだろうか。
きっとレイエスは、何の種であろうと、淡々と育てるだけだろう。
こうなると、フィレアが一番気にしてしまいそうだ。
――レイエスらがディラシックに帰ったのは、それから約三週間後のことだった。
鉢植えたちというたくさんの仲間を連れて。
重量過多で飛行を制御するのが大変だったが、フィレアの心は踊っていた。