124.発足からしばしの時が流れて 後編
エリアの強制休止宣言が発動し、開発は一時中断となった。
彼女は本気だった。
教師に訴えてでも、五人に休息を取らせるつもりだった。
しかし意外や意外、異論はまったく上がらなかった。
後に「あれで完全に意識が切れたんだ」と、丸一日も深い眠りに着いたベイルは言った。
何をしていても考えている。
寝ている間も考えている。
思いついたらすぐ起きてメモを取る。
実験が始まり集中力が高まると、よくこういう状態になる。
聞けば五人とも同じような状態になっていて。
寝ても醒めても、実験のことばかり考えていたそうだ。
率直に言うと、寝たいと思っても眠れなくなるのだ。
いつ閃くかわからないから、意識がずっと緊張状態を保っているせいだろう。
夢中になる、とはよく言ったものだ。
たった一つの目的のために、夢か現実かなんて関係なくなるのだから。
しかし、エリアの宣言で、緊張の糸が切れた。
――まずクノンが「今日は寝ましょう! 僕も眠い!」と声を上げ、「超軟体水球」を全員分用意し。
全員すぐに寝た。
誰も何も言わずに、水ベッドに飛び込んだ。
怒鳴ったエリアも驚くほどの早業だった。
死相の浮かんだ疲れた寝顔は、とても安らかだった。
このまま永眠しやしないかと心配になるほどに。
チームが眠りに着くと。
残ったのは部屋の惨状と、ここに一人起きている自分だけ。
「……さすがにもういいよね?」
迷いはあるが。
だが、もういいだろう、と思う。
足の踏み場もないひどい状態だ。
どこに何があるかわからない。
図書館から借りっぱなしも本もたくさんあるのに。
少しは片付けてもいいだろう。
研究成果は机周りに集中しているようなので、それ以外は、整理してもいいだろう。
このまま放置しても、彼らはきっと片付けないだろうから。
となると、だ。
「一人は無理かな」
何しろ空き教室中に広がっている混沌の海だ。
一人でやるには規模が大きい。
ここは素直に、誰か助っ人を呼ぼう。
一日が経過した。
門限のあるクノンは眠そうな顔で帰ったが、残りの四人は昏々と眠り続けた。
その間、エリアは助っ人と研究室の掃除と整頓をしていた。
呼んだのは「調和」の代表シロトである。
研究内容が研究内容なので、誰でもいいとは思えなかったのだ。
「魔術を入れる箱」。
特定の魔術を保管する物、という考え方をしたら、世紀の大発明である。
要するに、魔術師なしでも魔術が使えるようになるのだ。
世界も魔術師界も変えてしまう可能性がある。
そんな魔道具を開発しているのである。
成果の持ち逃げなどされたら大変だ。
だから、多少責任のある立場の者を呼んだのだ。
「研究に関係があるところは自分たちで片付けろ。
いいか? 片付けが終わるまで研究には復帰させないからな」
ほぼ丸一日寝ていた彼らは、目覚めるなりシロトに宣言された。
片付けろ。
片付けないと実験させない、と。
こういうところでも頼もしい助っ人だった。
そんなこんなで、五人と二人は二日ほどを掛けて、研究室の掃除に努めた。
「せーの」
「「ありがとうございました」」
ベイルの号令の下。
なんだか大人に言わされた子供みたいな感じで、エリアとシロトは礼を言われた。
まあ、死相は綺麗さっぱり消えたので、一安心だが。
久しぶりに帰って着替えもしたらしく、小ざっぱりしているし。
ちょっとお節介だったかな、と心配していたエリアだが。
これはこれでよかったのだろう。きっと。
「あまり口出しする気はないが」
と、エリアと並んで礼を言われたシロトが口を開いた。
「彼女を正式にチームに入れたらどうだ? このチームには雑用と体調管理をしてくれる者が絶対に必要だと思うが」
彼女、というのは、エリアのことである。
「入れないにしても、少しは手当でも出してやれ。ただ働きの域はとっくに超えているからな」
あと私にも礼をしろ具体的な形でな、と言い残して、シロトは行ってしまった。
シロトも暇ではないのに、三日も付き合ってくれたのだ。
確かにお礼の言葉だけで済ませていいとは思えない。
まあ、呼んだエリアが支払うべきものかもしれないが。
今度パンケーキでも誘ってみようと思う。
「じゃあエリア先輩も加わってくれます?」
シロトが出ていったドアを見ていたエリアは、クノンの声に振り返る。
「……」
振り返った先に、嫌に誠実な顔をして自分を見ている五人。
一人は眼帯ではあるが、視線が向いているのがわかる。
なんという何かを訴えかける顔だろうか。
特にベイルだ。
あんなにも期待して物欲しそうな顔をして。
あんな顔これまで見たことがない。
できることなら、個人的な気持ちで向けてほしいものだ。
実験のための人員確保ではなく。
……だが、まあ、いい。
「えっと……別に嫌じゃないけど。でも私まだ単位が取り切れてないから、これまで通りの通いでよければ」
彼らがやっていることはだいぶ高度だ。
それに魔道具造りには関わったことがないエリアには、わからないことばかりである。
だから、開発への参加は無理だ。
できることなど身の回りの世話だけだろう。
それでよければ、の話だが。
「じゃあよろしくお願いします!」
彼らはわっと湧いた。
手に手を取って喜んだ。
――そこまで歓迎してくれるなら、エリアも悪い気はしなかった。
「……あのさぁ」
もう少し、こう、なんだ。
今度は気を付けよう、あの惨状にならないようにしよう、と。
努力する気はないのか。
あれから数日後。
正式なメンバーとして迎えられたエリアが、研究室に顔を出すと。
あれだけ整理したのに、床に資料が広がり。
面々は疲れた顔をしていて。
エリアが来たことに気づかないくらい、実験に夢中になっていて。
返事を早まったかもしれない。
エリアはそんなことを思いながら、溜息をつきつき書類の片づけを始めた。
丁度その頃だった。
「では先生、この子たちのお世話をよろしくお願いします」
聖女の研究室には、二人の教師がいた。
一人は光属性のスレヤ・ガウリン。
もう一人は、土属性のキーブン・ブリッドである。
「水を上げるだけでいいのね?」
「はい。野菜などはよかったら収穫して食べてください。あと一週間くらいで育つと思いますので」
聖女レイエス・セントランスは、研究室の植物を彼女らに任せることにした。
「どれくらいで戻るんだ?」
まだ未熟な木苺の鉢を見ていたキーブンが問う。
「予定では二週間ですが、きっと細々した用事が入ると思います。だから一ヵ月は掛かるかもしれません」
「そうか。ちょっと長いな」
「申し訳ありません。植物に関しては信頼できる方にしか頼めません」
「あ、いや。別に責めてるわけじゃない。君の研究が一ヵ月遅れることへの危惧だ」
「――こればかりは仕方ありません」
本音を言えば。
レイエスも、魔術学校を離れるのは嫌だ。
そう。
感情に乏しい己が、今明確に抱いているこの気持ちは、間違いなく。
嫌なのだ。
ここを離れたくないと思っている。
「私は聖女ですから」
聖教国セントランスから、祭事の出席を求められた。
聖女として。
毎年のことなので、不自然なことではない。
そもそも魔術学校に属する前からやっていたことだ。
急遽決まったことでもないし、無理にスケジュールを押さえられたわけでもない。
ただ。
ここを離れたくない、自分はここにいたいと願っているだけだ。
――しかし、そんな我儘も言っていられない。
ここでは聖女である前に魔術師でいられるが。
国にとっては、魔術師である前に聖女なのだから。
「明日からよろしくお願いします」
明日の朝。
レイエスは聖教国へ向かい、しばらく学校に来られなくなる。
同期には伝えてあるが。
ただ、クノンには、会えないままだった。
ずっと魔道具造りに掛かりきりなので、邪魔したくなかったのだ。
こうして、レイエスは帰郷した。
学校生活一年目。
残り約三ヵ月のことだった。