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119.思いのほか興味深かった





 試しにやってみる。

 その結果、想定していない驚きと発見があった。


 他の人はわからないが、クノンにはこれが多い。


 試しにやってみて、思いのほか得るものがあって。

 少しだけと言っては継続して。


 だから実験から実験へ繋がり、結局長引く。

 そんなことが頻繁にある。


「これは面白いな……」


 新たな水の世界を垣間見た気分だ。


 これまで色々、散々、水に関して思いつく限りのことはしてきたつもりだったが。


 甘かった。

 まだまだ水の深淵には程遠いことを自覚した。


 魔術師として青二才もいいところ。

 今はただの良識ある小さな紳士でしかないのだ、と。 


 ――水耕栽培の実験を始めた、翌日のことだった。


「興味深いですね。これはどういうことでしょう?」


「わからない。でも僕も興味深い」


 聖女の研究室に用意した、真新しい小さな鉢植えは三つ。


 いや。

 鉢植えというよりは、透明なコップと言った方が近いかもしれない。


 一つずつ球体に保護され宙に浮かぶそれらを前に。

 肩を並べているクノンとレイエスは、出てきた芽を仔細に観察していた。


 三つとも芽が出ている。

 つまり、栽培方法としては、これで間違っていないのだろう。


 しかし問題は。


 芽吹いた三本が、それぞれまるで異なる草のように見えることだ。


「水の栄養素だけでこんなに違うのですか」


 水耕栽培は土を使わない。

 養分はすべて水と光で賄うことになる。


 適量の綿に種を植える。

 鉢に水を満たして浮かべて、完成だ。

 綿が吸った水を養分に発芽する、という仕組みである。


 植えた種は、アギラン。

 胡椒に似た種を多くつけ、甘味に近い香辛料として使用される。


 香辛料だけに風味の癖がかなり強く、はっきり好みが別れるそうだ。


 好きな人は好きらしい。

 だがクノンは食べたことがない。名前だけは知っていたが、実物を見るのもこれが初めてだ。


 香草の一種として扱われ、一週間くらいは普通の草のように伸びる、と聞いていた。

 それからアギランの形となり、種が成っていく。


 ――というのが、土魔術師の教師キーブン・ブリッドの説明だった。


「成功ではあるよね?」


「芽は出ていますからね。成功ではあるはずです」


 ただ、引っかかるものがあるだけで。


 キーブンの説明通り仕込んでみたのが、この結果である。


 左は、順調に芽吹いたのだと思う。

 これがスタンダードだ。


 真ん中は、なんだか黒い芽が出た。

 非常に黒々としていて、黒光りもしている。


 そして右は、成長が非常に早い。

 早くも綿を抜けて、コップの下にひょろりと根が数本伸びているくらいだ。


 この水耕栽培、養分となるのは水である。


 ここでクノンの出番なのだが、定説がある。

 曰く、「魔術師の出した水は植物育成に向いていない」と言われている。


 説によると、自然水が持つ栄養素を持っていないから、だそうだ。

 過去の偉人が研究して割り出した答えなので、信憑性は高い。


 では、どうするか?

 栄養素がないなら混ぜればいいのだ。


 クノンは魔術で出した水に、植物用の栄養剤を投与することを進言した。

 一般に知られるものから、魔法薬に使用するようなものまで。


 元々そういう実験だ。

 だから聖女の許可が下り、実際混ぜてみた。


 それが三種類。

 そしてその結果がこれである。


 ただ栄養素を混ぜただけで、ここまで大きく差異が出るとは思わなかった。


 面白い、とクノンは思う。


「……鉢、増やす?」


 これは三本と言わず、五本でも六本でも同時に試せるはず。


 混ぜたい栄養剤ならたくさん思いつく。

 クノンとしてはサンプルを増やしたいところだが。


「あなたにしては愚問ですね。興味があるならやってみるのがクノンでしょう?」


 それはそうだが。

 しかし共同実験である以上、片方だけの判断では動けない。


「私はむしろ増やさないわけにはいかなくなった、と判断しますね。どうせ仕込んで経過を見るだけですし、手間もないでしょう」


 許可が出た。


「君ちょっといい加減になった? もちろん魅力的だけど」


 前の聖女は、こう、もっと、杓子定規で冗談の通じない印象があった気がするが。


「柔軟になったと言ってほしいですね。

 植物は生き物ですから。こちらが臨機応変に併せなければいけませんから」


 確かにそうだが。


 前のちょっとツンツンしていた聖女が少し懐かしいな、とクノンは思った。

 人って変わるんだな、と思った。

 良いことなのか悪いことなのかわからないけど人って変わるんだな、と思った。


 まあ、とにかく。


 こうして共同実験の拡大が決定した。





「――俺が言うのもなんだが、もう少し計画的にだな」


 調子に乗ったとは思うし反省もしているが。


「しかし得るものは多かったです」


 そのレポートは、二週間の実験とは思えないほどの厚みがあった。

 とんでもないほどの分厚い紙の束を前に苦笑するキーブンと。


 堂々とレポートを提出するクノンと聖女。


 というか、主に聖女。


 実験中、聖女の声で、鉢植えは三十まで増えたのだ。

 最終的にはクノンが止めたくらいだ。

 

 毎日、淡々と、「増やしましょう」「増やさない理由は?」「それって理論ではなく感情論ですよね?」と詰められた。

 止めるのも苦労した。


 あれが聖女の暴走というものか、とクノンは戦慄した。


「興味深い結果が得られました。こちらは香辛料となる種ですが――」


 栄養剤ごとに育ち実った種は、当然のように味が違っていた。


 癖の強い従来のものから。

 癖のないほんのり甘いだけのものまで。


 なんというか、大きく可能性を感じる結果となった。


 この辺の研究を続けたら、欲しい香辛料にそっくりなものが、作れるようになるかもしれない。


「ほう! はっ、なるほどなぁ!」


 聖女の暴走に苦笑していたキーブンだが。

 種の味見をしてから、俄然瞳が輝き出した。


「こんなに違うものか! こいつぁ面白い!」


「主観ですが、魔法薬を投与したものの方が味の変化が大きいように思います。見た目もかなり違いました。

 形などは一緒なのに、色や成長速度、茎の伸び方は別の種のようでした」


「魔法薬!? 思い切ったな! 安い魔法薬なんてないだろ!」


「そこはクノンが自作を――」


 二人が盛り上がっているのを、クノンは観察していた。


 途中から聖女が実験の方針をリードし始めたので、ほとんど任せていた。


 単位が欲しいだけの自分より。

 単位抜きでも意欲的な彼女の方が、研究への熱が違うと判断したから。


 というか、行きすぎないように止めていた。


 実験から実験へ向かう動きは自分もよくあるが。

 聖女の場合、更にもっと規模を拡大しようとするから、かなりまずかった。


 あれは後々収拾がつかなくなるパターンだ。

 クノンもたくさん経験してきたから知っている。


 あれは本題と主旨を忘れる動きだ。

 実験は区切り区切りをつけないと終わらなくなるものだから、ちゃんと終わらせる方向へ導いた。


 面白い結果も得られたので、クノンとしては満足だ。


 ただ、思うことは。


 アギランの水耕栽培は、まだ入り口に立ったくらいのものだ、ということだ。

 たとえるなら、試しに掘ってみた鉱山から少し鉄が出た、くらいのものである。


 奥底まで掘り進め、何が出てくるのか。

 きっととてつもない時間と労力が掛かるだろう。


 クノンも興味は尽きないが、そればかりやっているわけにもいかない。


 聖女はきっと、この先へ進むだろう。

 しかしクノンはここまでだ。


 手伝いはしたいが、本腰を入れては付き合えない。

 聖女を止めるのも大変だったし。


「……でもまあ、様子を見るくらいなら……」


 だが、クノンも興味はあるので。

 聖女の水耕栽培には注目しておこう。





 思えばこれが。

 これこそが。


 後の「第十一校舎大森林化事件」の発端であった。




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