11.父の呼び出し 後半
2021/08/11 誤字を修正しました。
夫の小遣いなし宣言も、小遣いなし宣言に震え上がる息子のことも、今は本題ではない。
「あなた。落ち着いて」
珍しく熱くなっている夫を妻がたしなめると、アーソンはイライラを吐き捨てるように溜息をついた。
「ふう……それよりミリカ殿下のことだ」
このタイミングで許嫁の名前が出たことに、クノンは眉を寄せる。
クノンの貴族学校の話とお小遣いなしの話が、ミリカとどう関わっているかがわからない。
「まだおまえにはわからないかもしれないが、彼女の許嫁として、貴族としての義務は果たしておいた方がいい。
貴族の義務を果たさない者や身分に見合わない行動は、社交界では弱味になる。
クノン、おまえは自分のせいでミリカ殿下が槍玉に上げられても、平気でいられるか?」
「……なるほど、そういうことですか」
ミリカとの関係は良好だ。
許嫁になり始めた当初こそかなりぎくしゃくしていたが、今ではお互い、将来は結婚するものだと認識している。
少なくともクノンに拒む理由はない。
「私とティナは、今のおまえは貴族の子の義務をこなせると判断したんだ」
父親は、妻と相談してこの話をすると決めた。
以前のクノンには言わなかった――言えなかったことだ。
きっと世に出る意欲も意思もなく、狭い屋敷の中だけで過ごし、一生を終えるのだろうと思っていたから。
ミリカも結婚すればそんなクノンに一生付き合うことになるか……あるいは、結婚はするがいずれクノンを置いて出て行くだろう、と。
そんな、あまり明るくない未来を思い描いていた。
しかし、状況は変わったのだ。
今のクノンは、もう屋敷の中の世界だけでは狭い。現に外の世界の情報を掻き集めているくらいだ。
お小遣いも毎月きっちり使い果たしている。
使い果たした後、母に甘えて少し融通してもらっていることも、父は知っている。
クノンはいずれ、魔術を通して世界に羽ばたく。
早いか遅いかの違いはあるだろうが、きっとそうなる。
それを見越しての、今回の話だ。
これが、クノンが外に出るきっかけになるかもしれない。
「貴族の義務ですか……だから、学校に通えと?」
クノンはまったく、学校に行く気はない。
両親の気持ちも全然通じていない。さすがに九歳には、親の気持ちを察するのは難しいものがある。
が、クノンは考える。
面倒だが、行く行くはミリカのためになると言うなら、諦めの気持ちが湧く。
視界を得るという野望はまだまだ道半ば。
今の生活を壊すのは残念でたまらないが、しかし、ミリカのためなら、多少の遠回りくらいはできる――
「いや。さっきも言ったが、私はおまえには学校は必要ないと思っている」
断腸の思いで話を呑もうとしたところで、父親は少し違う話を持ち出した。
「だから、昇級試験を受けなさい」
「昇級試験?」
「貴族学校は、六歳から十四歳までの貴族の子供が通う。通う期間は決まっておらず、幾つかの昇級試験を通れば卒業になる。
早ければ入学した数日後に卒業する子もいるし、焦らずじっくり学んでいる子もいる」
つまり――クノンは頭の中で話をまとめる。
昇級試験とやらを通れば、学校に通う必要はない、という話だ。
先に触れたフラーラ先生の話は、ここに関わってくる。
フラーラ先生は、もう学校で学ぶべき範囲は終えたと言っていた。
ということは、クノンはもう試験を通過するだけの知識を持っている、ということになる。
だからこそ、父親は学校はいいから昇級試験を受けろ、と言っているのだ。
「受ければ通るだろ?」と。
「昇級試験は五回ある。イクシオは次の試験を通れば卒業だ」
「へえ。兄上はもう卒業するんだね」
確か、兄は七歳から通っているはずだ。
今は十一歳だから、四年ほど学校に行っていたことになる。
思わず兄の方に顔を向けると、イクシオは言った。
「ミリカ殿下も次の試験で終わりだ。たぶん俺と一緒に卒業すると思うぞ」
――そう応えたイクシオは、ほんの数日でもいいから、弟と一緒に学校に通いたいと思っている。
イクシオは貴族学校を卒業後、次の春を待って上級貴族学校へ入学することになる。
グリオン家の後継ぎなので、父親の仕事を手伝いながら、いつか来る家督相続に備えるのだ。
そして、きっとクノンは魔術学校へと通うだろうから、今を逃せば一緒に登下校する機会はなくなるだろう。
「そう……じゃあ僕も一緒に卒業していい? できるかどうかわからないけど」
学校にも行ったことはないし、試験というものも受けたことはないが。
だが、フラーラ先生がもう座学は終わったというのなら、クノンは試験を通る見込みがあるのだろう。
もしダメだったらその時はその時また考えればいいや、とクノンは気楽に考えた。
――以前のクノンなら、挑戦さえしなかっただろう。
「えっ!? 学校に行くんですか!?」
あの家族会議から数日後。
「二週間に一度は許嫁に会う」という義務を果たすべくやってきたミリカ・ヒューグリアに、貴族学校へ行くことを話した。
「はい。と言っても、昇級試験というのを受けるだけのようですが」
「それはそれは! いいですね! ということは、クノン君と一緒に学校生活を過ごせるんですね!」
「そうなんですか? 僕は正直何が何だかよくわかってないんですけど」
ミリカが興奮しているのはわかる。
興奮して水で作った猫を撫で回しているのはわかるが、その学校生活とやらの具体的な内容がさっぱりわからない。
「大丈夫! お姉さんがちゃんと付き添いますよ!」
二歳年上のミリカなので、この二年で彼女のお姉さん気質の成長が著しい。
「あ、じゃあお願いしますね」
「ええ、どんとお任せを!」
「でも心配だなぁ」
「え? ……何か心配事でも?」
「――だって僕がミリカ殿下と一緒に学校に行ったら、殿下のことが好きな男の子たちに嫉妬されちゃうでしょ?」
「え、あ……ああ、はあ…………大丈夫だとは思うんですけど……」
ミリカは反応に困った。
何と答えていいか、照れつつ迷った。
「あれ? もしかして、あんまり人気はないとか、そういう……」
「いや何を言っているんですか! 人気はありますよ! これでも王女ですから! 私を好きな男の子なんて右手の指の数だけいますよ!」
つまり五人は心当たりがあると。
多いのか少ないのか判断が難しいところだが――クノンは決めた。
冗談半分で言ってみたものの、本当に誰かに恨まれそうな可能性があるようなので、念のために実戦用の杖を持って行こう、と。