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118.水耕とは





「さすがクノン。目の付け所が違いますね」


「そう? まあ見えないんだけどね」


 サトリと話した翌日。


 クノンは早速、聖女の研究室にやってきていた。

 水耕栽培の共同実験の話をするためだ。


「今日は特に左こめかみの銀髪が美しいね」などと軟派な挨拶もそこそこに。


 さっさと本題に入ると、聖女は「目の付け所が違う」と唸った。


「水耕栽培に関してですが、当然興味はありますよ。

 しかし今年度はもう単位を取り切っているので、進級してから挑戦しようかと思っていました。

 今は他にやりたい実験もありますし、手を広げるのは尚早かと」


 そうだった。

 聖女はすでに進級の条件を満たしている勝ち組だ。


 言わば、単位競争を早々に勝ち抜けた勝者なのである。


「僕も単位が欲しいんだ。でも付きっきりじゃない実験じゃないと時間が取れなくてね」


「だから農作物に目を付けたわけですね」


 環境を整え、種を植える。

 あとはよく観察し、成長を待つだけでいい。

 

 確かに付きっきりで見る必要はない。

 要所要所を押さえれば充分だ。


「あ、ところでレイエス嬢。水耕栽培って僕がイメージしていたのと違ったんだけど、君はわかってるよね?」


 クノンは昨日、水耕について調べた。

 そうしたら、驚いたことに、想像していたものと大きくかけ離れていたのだ。


「わかります。水田のように思われがちですが、別物ですよね」


 そう。


 水耕と水田は別の存在である。


 聖女と交渉するため、少し調べたのだが。

 最初から想像とはかけ離れた全く別の物だと知らされ、驚いたものだ。


 水耕とは、簡単に言えば、土を使わない栽培方法のことである。

 土に根を下ろさせず、水の養分だけで育てるのだ。


 クノンは水田と勘違いをしていた。

 水田は、水を張った畑の土に、苗を植えるものだから。


 しかしまあ、単位が貰えるなら、水耕でも水田でもどちらでもいいのだが。


「やっぱり気が進まない? 無理なら諦めるけど」


「本音を言いましょう」


 聖女は胸を張って言った。


「最初から強い興味と関心しかないですね」


 こうして、水耕栽培の共同実験がスタートした。





「こちら、農業関係を専門に研究しているキーブン先生です」


 実験を開始するにあたり。

 まずは水耕栽培に詳しい人に話を聞こうと、聖女の案内で、とある教師の研究室へやってきた。


 キーブン・ブリッド。

 三十五歳のがっちり大柄で、伸ばしたヒゲがワイルドな中年男性である。


 汚れてもいい簡素な服装といい、整えていない髪型や伸ばし放題のヒゲといい。


 一見して農夫感が出ているものの。

 しかし粗野に見えないのは、その鳶色の瞳が理知的に輝いているからだ。


 聖女の研究室と同じく、この部屋にも鉢植えがたくさん置いてある。


 かすかに香る花の香りと、濃い緑の香りがこの部屋に満ちている。

 それは生命の香りでもある。


「初めまして。クノンです」


「ああ、君のことは知ってるよ。俺はキーブン・ブリッドだ。よろしくな」


 落ち着いた、低く渋い声が返ってくる。

 きっと身形を整えたらなかなかの紳士っぷりに違いない、とクノンは思った。


 ――光属性の教師スレヤ・ガウリンの紹介で出会い、今一番お世話になっている先生だ、と聖女は簡単に説明する。


 クノンに対するジェニエ、サトリのような存在なのだろう。


「それで? レイエス、今日はなんだ? また野菜の種が欲しいのか? それとも相談か?」


「水耕栽培について聞きたいのですが」


「お、興味が湧いたか? 実はそっち方面は俺の魔術がいまいち有効活用できなくてな。まだわからないことも多いんだ」


 キーブンは土属性だ。

 しかし水耕栽培は土を使わないので、土の改良ができないそうだ。


「そっちもレイエスが研究してくれりゃ俺も助かるよ」


 ――キーブンは今、手を広げ過ぎたせいで、新しい種を育てる余裕がないそうだ。


「困った困った」と豪快に笑う。

 然して困った様子でもないのは、今が充実しているからに違いない。


「二週間くらいで成長しそうなものはありますか?」


「あるよ。ある香草なら二週間くらいで育つ。ただ今は時期じゃないし、水耕栽培できるかどうかも定かじゃないぞ」


「わかりました。その種を譲ってください。ついでに基本的な水耕栽培のやり方も教えてください」


 聖女の結界は、魔を遮断する効果がある。


 ――そして、あまり知られていないが、多少の豊穣の力もある。


 これは聖女自身も最近気づいたことだ。

 一応教典には、過去の聖女にはそういう力を持つ人もいた、とはあったが。


 しかし聖女なら全員持っている力というわけではない、と記されていたから。


 だからレイエスも勘違いしていた。

 豊穣の力は、自分にはないと思っていたのだ。


 霊草シ・シルラから始まり、様々な植物に触れた結果、判明したことである。


 結界の範囲を狭くすることで、豊穣の力が強くなるようだ。


 使う時はだいたい家一軒分くらいの規模。

 そして長くても半日くらいしかキープしなかった。


 だからこれまで気づかなかった。

 もし土いじりを始めていなければ、一生判明しない能力だったかもしれない。


 ――要するに、レイエスなら時期じゃなくても育てられる、ということだ。


「そういや金の問題は片付いたんだよな?」


「ええ。毎月問題なく暮らしています」

 

 聖女とクノンが友達になった一件でもある。

 あれ以来、お金の問題はない。


「そうか。香草もいい金になるぞ。まあ霊草ほどじゃないがな」


「それはいいですね。お金はいくらあってもいいですからね」





 なんだか聖女が頼もしい。


 キーブンとの話は任せて、クノンは二人の交渉風景を見ていた。


 ――なんだかしっかりしてるなぁと。


 どこがどうとは言えないが。

 半年前に会った時より、今の聖女の方がしっかりしていると思った。


 クノンも成長しているように、彼女も成長しているのだ。

 ハンクやリーヤも成長しているだろう。


 もう半年会っていないミリカも、きっと。 





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