117.話が重なったから
「――ああ、単位か。まだ焦る時期じゃないと思うがね」
早速クノンは、サトリの研究室を訪ねてみた。
彼女は今、水草の実験をしているようだ。
水槽の中を観察しながら書き物をし、意識半分でクノンの話を聞いている。
「やりたいことがありまして。でも時間が掛かりそうなので、前半の半年で単位を取り切ることを目標にしていたんです」
「そのやりたいことってのを、残りの半年でやろうって腹か」
「そうです。それであと三点ほど欲しいなと……その実験は何ですか? サトリ先生と同じくらい魅力的な実験に見えてしまうんですが」
本題ではない。
だから聞くまい聞くまいと思っていた。
だが、ついに我慢できなくなった。
クノンは聞いてしまった。
彼女が何をしているか、聞いてしまった。
仕方ないだろう。
あの世界的に有名な水魔術師サトリ・グルッケの実験である。
気にするな、という方が無理だ。
「こいつか? こいつは水踊虫だよ」
「すいようちゅう?」
聞いたことがない名だ。
動植物の図鑑はたくさん見てきたが、クノンの記憶にはない。
「知らないのも無理はないさ。遠くから取り寄せた、まだまだ無名の虫だからね」
「虫? 虫なんですか?」
クノンの意識と身体は、サトリの隣まで吸い寄せられた。
まさに火に誘われる虫のように。
「……虫?」
近くで見ても草にしか見えない。
水面に浮かぶ草そのものだ。
そろそろ春めいてきた昨今ではまだ見られない、青々とした普通の草に見える。「鏡眼」ではそう見える。
「上からじゃなくて横から見てみな」
根っこを見ろ、という意味だ。
クノンは少し屈んで、水槽を横から観察し――
「あ、なるほど」
そこに根はなく。
ナナフシのような細い足が六本伸びていた。
クノンが観察している時、サトリが水酔虫をペン先でつついた。
すると細長い足がゆったりと水を掻いて、ゆっくり水面を流れていく。
速度は遅いが、泳いでいる。
本当に虫のようだ。
「へえ……擬態ですか?」
「そうだね。環境によって葉の色も変わるらしいから、擬態能力と言っていいだろう。
でね、こいつの面白いところは、水の中の不純物をエサにしているところなのさ」
不純物。
普通の水にはいろんなものが入っている。
同じ水と一口に言っても、場所によって味も匂いも全然違うのだ。
「どういう意味かわかるかい? ちなみにジェニエはわからないと答えたがね」
「うーん。不純物を食べるっていうなら……水を綺麗にする生物?」
「正解。――おいジェニエ、あんたの生徒は優秀だねぇ」
机で静かに書き物をしているジェニエは、サトリの嫌味など聞こえないふりをした。
「虫ってのは適応力が高い。少しずつ毒に慣らして、毒をエサにする水踊虫ができないかって実験なんだよ。
毒素を含んだ水……まあ毒を仕込まれた井戸なんかだね、そこに放ってみたら人が飲める水になるかもしれない、って話さ」
面白い実験である。
聞く前からわかっていたことだが、案の定面白い実験だった。
「ついでに毒消しなんかも作れそう? いろんな毒に順応する力があるなら、その力を抽出できそうじゃないですか?」
「フン。優秀すぎるのも可愛くないねぇ」
流れるようにサトリの実験に夢中になってしまったが、さておき。
「単位か。あたしの手伝いで何点かやれるけど、最短でも二週間で一点だよ。そういう決まりなんだ」
一区切りつけたサトリは、クノンと一緒にテーブルに移った。
「つまり、二週間お手伝いすれば一点くれると」
「やるよ。こき使ってやるとも。
でも特級の連中からすれば、二週間で一点は効率的じゃないだろ? それこそ楽して単位が欲しいはずだ。あたしもそうだったしね」
ユシータも似たようなことを言っていたな、とクノンは思った。
彼女は、クノンを「水の中で呼吸する方法」の実験に誘ってくれた。
楽に単位が欲しい、と言いながら。
だが、しかし。
いざ蓋を開ければ大掛かりな実験となり、少々国際問題にもなりかけた。
まあ、あれはあれで楽しかったが。
「サトリ先生の手伝い、純粋に興味もあるんですけどね」
クノンの本音を言えば、別に構わない。
サトリの傍でいろんな話が聞ける。
こんな貴重な体験なら、単位なんて貰えなくても構わない。
なんならお金を払ってでも頼み込みたいくらいだ。
だが、今は難しいかもしれない。
「実力の派閥」代表ベイルには、そのつもりで話を通しているのだから。
あまり詳細を詰めてはいないが、彼も半年を目途に単位を取っているはずだ。
二週間で一点。
三点取るなら、一ヵ月以上。
これはさすがに拘束時間が長い。
「理想としては、二週間の手伝いと並行して何かしらの実験をする、というのがいいかもしれません」
これで、二週間で二点だ。
サトリの手伝いだって、さすがに四六時中の泊まり込みで、とは言わないだろう。
簡単な実験なら、空き時間でできるはずだ。
「まあ、自分で無理のないペースでやるなら、なんでもいいと思うけどね。
しかし問題は何をするかだ。
あまり時間の余裕を上げるつもりはないよ。なんの実験をするんだい?」
そこだ。
水踊虫の話を聞いた時、なんとなく発想が繋がった気がしたのだ。
「水耕方面はどうかと思っています」
ついさっき見た、聖女の野菜と。
ついさっき見た、水踊虫の特性と。
クノンの中で、この二つの話が綺麗に重なったのだ。
どうも聖女の話では、野菜の栽培・品種改良方面は、かなり楽に単位が取れているらしい。
ならばきっと、水耕関連でも単位を貰えるはず。
いや、少し語弊があるか。
単位取得が楽なのではなく。
彼女の能力が、才能が、そちら方面に異様に強かった、というべきだろう。
「畑や農作物なら、ずっと付きっきりじゃなくてもいいですし。成果があれば世のためにもなりますし」
聖女もまだ水耕には手を出していないはずだ。
最近めっきり農業に強くなった彼女がいれば心強い。
この件なら、誘ってみれば乗ってくるかもしれない。
彼女もまた、水耕に興味があるだろうから。