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112.防中の一矢





「さすがクノン君って感じね」


 観客席にいる「合理の派閥」ユシータは、クノンの魔術に舌を巻く。


 やはりクノンの実力は確かだ。


 同じ水属性である。

 一緒に実験をしただけあって、彼の実力は少しは理解している。


 だが、恐るべきは発想力だろう。

 そしてそれを魔術で実現するだけの制御と操作だ。


「……フン。ただの小技じゃん」


 一緒に見ているサンドラはそんな憎まれ口を叩くが。


 真剣な横顔が語っている。

 一瞬たりとも目が離せない、と。


 沼地の構築。

 極地的豪雨。


 ある程度できる水魔術師なら、どちらも簡単にできる。

 サンドラなんて、村一つくらいなら舐めるように消し去る濁流を出せるくらいだ。


 問題は、消費する魔力である。

 魔術の規模によっては、魔力を大きく使用することになる。


 あれと同じことをやろうとすれば、普通はもっと魔力を使うのである。


 魔術師の魔力は無限ではない。

 大技なんて一度に数発放てればいい方で、魔術が使えなくなった魔術師なんて、ただの疲れた人である。


 クノンの魔力の消耗度は、恐ろしく小さい。

 それもそのはず、彼の使っているのはあくまでも初歩的な魔術だからだ。


 沼地の構築も極地的豪雨も。

 正体は、ただの「水球(ア・オリ)」だろう。


 あれがただの「水球(ア・オリ)」だなんて信じられないが。

 正直もうインチキにしか思えなくなってきたが。


 しかし紛れもない事実なのだから仕方ない。


 ドーム状の膜の中だけで、激しい雨が降っている。

 埋まっていたジオエリオンの姿はまったく見えなくなったが……


 ――ユシータたちから少し離れたところで、一組の男女が観戦している。


 いや、正確には男と男だが。


「……う、ううん……」


 カシスは複雑だった。


 今日は、当然のように帝国の皇子ジオエリオンの応援をしにきたカシスだが。


 なぜだかクノンにも負けてほしくないと、思い始めていた。

 初手の炎上辺りから、そう思ってしまった。


 でもやはり。


 ジオエリオンの負ける姿も、見たくはないのである。

 あの眉目秀麗な狂炎王子が負ける様など、絶対に見たくない。憧れの王子様であってほしい。


 でもクノンも……と。


 乙女心は複雑に揺れ動いていた。


「あなたは意外と情に篤いですからね」


「えっ」


 隣にいた「合理」の代表ルルォメットに、不意にそんなことを言われた。


「まあ、話したこともない皇子より、接したことのあるクノンの方に情があって当然だとは思いますが」


「や、やだぁ先輩! 私クノン君結構苦手だしぃ!」


「はいはい」


「ほんとですからね!? ナンパな男ってサイテーだしぃ!」


「はいはい――おっと。動きがありそうですね」


 ――ジオエリオンの魔力が高まっている。





「あ、結構強引」


 クノンがそう呟くと同時に、勢いよく水蒸気が吹き出した。

 焼け石に水を打ったようにじゅうじゅうと、水という液体が気体になっていく。


 ジオエリオンの火だ。

 雨も、膜も、一瞬で煙になってしまった。


 超火力による豪雨の打破。

 それと――


 煙のようにもうもうと上がる蒸気の中、動く。

 ゆっくりと穴から歩いて(・・・)出てくる(・・・・)


 全身を灼熱に染めたジオエリオンが。

 その姿は、まるで火でできた人間である。


「驚いた」


 水蒸気が晴れると、灼熱に染まったジオエリオンもゆっくりと元の色に戻った。


 恐らく、土が融解するほどの高火力で拘束を解き。

 雨と一緒に、地面の水分までも奪い去った。


 もちろん、さっきまで豪雨に打たれていたジオエリオンもすっかり乾いている。

 少々薄汚れてはいるが。


 彼が踏みしめる地面に、ゆるみや焼け焦げた痕はあっても。

 不安定さはない。


「まさかこんなに早く中級魔術を使うとは思わなかった」


 自身を火炎で覆う中級魔術「火熱鎧(カ・ネガキ)」。

 火属性における防御魔術である。


「僕も先輩が力技で抜けるとは思いませんでした」


 クノンは笑っている。

 ただし、さっき以上に警戒心を高める。


 ジオエリオンの魔力が、まだ高いままだから。


「少し失望させたかな」


「いいえ。だってこれから面白いものを見せてくれるんでしょう?」


「ああ――」


 少々薄汚れたジオエリオンは右手を上げる。


「ここからは手加減しない」


 右手から小さな小さな火球がいくつも生まれ――即座に放たれる。


 速い。

 だが特筆するほどの速さではない。


 奇怪なのはその動き、軌道だ。


 直線に飛ぶものもあれば、曲線を描いて飛ぶものもある。

 速度を落とすものもあれば、逆に早くなるものもある。


 ただ共通しているのは、すべてがクノン目掛けて飛んでくること。

 標的に向かってくることだ。


 まっすぐ一定で飛ばないそれは、とても捉えづらい。

 そして、それらはずっと放たれ続けている。


 もはや千を超える数の火球の群れがクノンに迫る、と――


「――蜂だ」


 近くまで来て、クノンは正体に気づいた。


 そう、火球は蜂の形をしていた。

 まっすぐは飛ばない、というのは、蜂の動きを模しているから。


「蜂かぁ。そういえば僕は作ったことないなぁ」


  ボン


 クノンの目の前で、一番最初に迫った蜂が爆ぜた。

 もちろん当たっていない。


  ボンボン


 次も、その次も。

 クノンに触れる前に、狂い咲いていく。


  ボンボンボンボンボンボンボンボンボンボンボンボンボンボンボン


「数がすごいなぁ」


 呑気なことを言いながら、クノンは火蜂たちを安全に処理していく。

 傍目には何もしていないように見せながら。


 そして――





「むっ!?」


 火蜂が止まった。


 ジオエリオンが回避した(・・・・)からだ。


「あ、すごい。あれ気づいたんだ」


 ――クノンが使った魔術は「砲魚(ア・オルヴィ)」である。


 まっすぐに水を飛ばす、という初歩魔術だ。


 ただし、見えないほど細く小さく尖らせた勢いのある放水である。

 それで蜂たちを一匹ずつ排除し。


 ただ一本だけ、ジオエリオンまで到達するものを放った。


 元々見えないし、初歩魔術なので魔力も感じづらい。

 そんな一発だったのだが。


 しかしジオエリオンは気づいた。

 攻撃に夢中になり、うっかり当たるとクノンは予想したのだが。


 金属や岩は無理だが、人体の肉くらいなら貫通する威力がある。

 何より不可視で速度がある。


 それを、避けた。

 クノンは嬉しくなった。


 攻防の手が止み、二人は見詰め合う。


「――加減はしない、といったぞ。クノン」


「……あっ」


 火蜂は目くらまし。

 目くらましにして一矢放ったのは、クノンだけではなかった。


「燃え上がれ」


 ジオエリオンを中心にして、地面が真っ赤に染まる。


 ――中級魔術「火炎方陣(カ・ユィダ)」。


 赤は揺らめき。

 やがて火となる。


 一帯は火の海となった。

 ぼこんぼこんと火を散らし、赤い花畑は狂い咲く。













「今のは危なかったな……」


 とっさに逃げたクノンは、今になってひやりとしていた。


 クノンは目が見えない。

 だから、自分の足を使った移動は苦手だ。


 戦うにしても、動かないのが原則だ。


 ジオエリオンは容赦なく、その弱点を突いた。

 しかも、クノンが沼地を用意したことに対する意趣返しの意味も込めて。


 手加減しない。

 その言葉に偽りはなかった。


 クノンは余計嬉しくなった。


「――あ、偉そうですみません。咄嗟だったもので」


 クノンは偉そうな体勢で飛んでいた。


 そんなクノンを見上げ、ジオエリオンは言った。


「気にするな。すぐに引きずり降ろしてやる」




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